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まだ、なのか。もう、なのか。コップの水理論で測れない自分の矜持を持つ人になりたい

「諦めたらそこで試合終了ですよ」
もはや説明は不要な安西先生のこの名セリフ。
スラムダンクを読んだことがない人でも知ってるレベルで格言化されているのは、それだけ心を掴まれるからに他ならない。

この名セリフに並べたいのが、救命病棟24時の第2シーズン5話「最後の授業」の回で、進藤先生が救命医の矜持として刻んでいるかつての恩師のこの言葉。オタク全開で何話とか添えてごめんなさいだけど。

「30分しかないんじゃない。30分もある。それが救命医療だ」

・・・いい言葉。大好きすぎてテキストで見ただけで涙腺が緩む。
これって、要は諦めるなってことですよね?
30分しか時間がないから助けられない、治療できないって考えるんじゃなくて、30分あれば助けられる、治療ができるってめちゃめちゃポジティブに捉えてて、助からないかもしれないじゃないんだよ!絶対に!俺が!助ける!みたいな気迫、プライド、使命感、とにかく一瞬でブワッと気持ちを揺さぶられてしまう。

そして、物事は、自分の捉え方次第で、ポジティブにもなるんだと気付いた一言でもある。

「○○しかない」と感じるか。
「○○もある」と感じるか。

そう、これってかの有名な「コップの水理論」でもあるんですね。
放送当時はもちろんそんなこと知らずにエグエグ泣いてたけど。
出典はこれまた安西先生を凌駕する(比べるな)マネジメントの父こと経営学者ドラッカー先生の理論とのこと。

コップに『半分入っている』と『半分空である』とは、量的には同じである。だが、意味はまったく違う。
とるべき行動も違う。
世の中の認識が『半分入っている』から『半分空である』に変わるとき、イノベーションの機会が生まれる

P・F・ドラッカー『イノベーションと起業家精神』

・・・やっぱり進藤先生だ!
言ってることは進藤先生と同じだもの!
正確には、進藤先生が学生時代に大教室の片隅でメモした言葉だから、恩師である柴田先生なんだけど。(オタク全開)

そして厳密に言えば、この理論と全く同じではないのは百も承知なんだけど、ドラッカーのドの字も知らない放送当時から、あのセリフがガツーンと胸に響いた理由は、ここにもあったんだと思う。

コップに半分の水が入っているという事実に対して、「半分しかない」というネガティブな視点が「まだ半分もある」というポジティブな視点に変わるとイノベーションが生まれるのであれば、これすなわち、救命医療ならば、助けられる時間は十分にある、ということ。

ネガティブに捉えるか、ポジティブに捉えるかで行動が変わるなら、未来も変わるということでもあると思う。

口癖みたいについ言ってしまう「もう○歳だから」という言葉も、「まだ○歳だから」に変えるだけで、随分とポジティブになる。
歳を重ねることがいつからこんなネガティブなことになったのかわからないけど、たとえオールで遊ぶ体力がなくなったって、人生は楽しめる。

そして、放送当時のあの頃より大人になった今は、少しだけわかる。
コップの水理論は、時として自分の都合のいいように捉えられてしまうこともあるから、言い訳にしてはダメだと。

例えば、今日が締め切りのタスクが、午後14時になっても手付かずな時。
18時の定時まで「あと4時間もある」って余裕ぶってると高確率で間に合わなくなるし、「もう4時間しかない」って焦ると高確率でミスるから。
どの道ミスってるけど。
そもそも14時まで手付かずなのやめなさいね?っていう話ではある。

自分の都合の良いように、コップの水理論のポジティブな視点とネガティブな視点を言い訳にしてしまうのはよろしくない。

今よりはるかに気ままだった、けどそれなりに悩んでいた学生時代に、どうしてこの言葉が刺さったのか?
それはたぶん、自分の中で「これが私です」という矜持を探していたからだと思う。
自分が持ってないもの、いつか持ちたいと憧れるものを持っている人が、
わたしにとって、あの時に観た進藤先生だったんだと思う。

自分に残されたものが時間なのか、チャンスなのか、運なのか。
どんなことでも、どんな時でも、できることなら
「もうこれだけしかない」とネガティブになるよりも
「まだこれだけある」とポジティブでいたい。

わたしは今、あのとき憧れた進藤先生みたいに、自分の中で譲れない自分だけの矜持を持てているのだろうか。

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