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人生で一番感動した邦題『あのこと』

“2023年映画館はじめ“にして、もう2023年ベストムービーが出てしまったような気分。

『あのこと』

中絶が違法だった1960年代のフランスで、望まない妊娠をしてしまった大学生のアンヌが、自らの願う未来を叶えるために、独りで葛藤する物語だ。ヴェネチア国際映画祭で最高賞を受賞した本作を鑑賞した。

まず、度肝を抜かれたのは音の使い方だ。BGMは最小限にしており、劇的な演出もなく、物語は淡々と進んでいく。
この映画が静かであることの意味が、まさか、アンヌが流産した瞬間ートイレに胎児を産み落とした瞬間にあるとは微塵も予想していなかった。

ポチャン

全編を通して静かだった分、この水の音がひときわ大きく響く。恐ろしくも、アンヌが解放された瞬間である。なんとも生々しい嫌な音だった。

そう。この映画は「妊娠を望まない女性が中絶をすること」がどういうことなのか、観客に逃げ場を作らせないかのごとく全てを見せている。アンヌと医師が向き合い中絶作業をしている姿も、胎児をトイレに産み落とした水音も、便器を真っ赤に血染めて母体と胎児が臍の緒でつながっている姿も。わたしたちに、アンヌを追体験させているのだ。だから、正面・横・後ろと、息遣いが聞こえてくるほどの近い距離でアンヌを映している。とりわけアンヌの背中を映し出したシーンが多い印象だった。

あまりの生々しさに、思わずこちらが目を隠し、耳を塞ぎ、体に力が入らなくなり気持ちが悪くなる。だがこれがアンヌの現実であり、望まない妊娠をしてしまった女性が向き合う事実と精神的・身体的ダメージであることを十分に認識しなければならない。それは、中絶が違法だった時代もそうでない現代も変わらないし、まだ経済力がなく夢半ばの若年女性であれば尚更のことだ。本作が描いている通り、中絶自体が命懸けであるにも関わらず、周囲の親しい人物に相談することさえ勇気が入り、大事なものを手放してまで金を工面する必要があり、挙句の果てに父親であるはずの男性は何も助けてくれない。この状況がいかに孤独であるのか、近すぎるカメラワークで映し出すアンヌを通して痛いほど教えてくれている。この映画を観て強く思う、女性が自分の身体への選択権をまた持てなくなる時代に逆戻りなんてあり得ないのだ。

『あのこと』この言葉は、アンヌが命をかけて自分の未来を守り抜いた「あの当時こと」でもあるし、また、お腹に宿った「あの子」の二重の意味を持つように感じる。
「あの子が宿った当時のこと」どうか目を背けず、全ての性別の人に見てほしい。


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