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自分とつながるということ

ゴッホという人

「自分とつながる」ということを考えるとき思い浮かぶ人物がいる。
あまりにも著名な画家ゴッホである。

ゴッホは牧師の息子として生まれた。
ある時期まで、天職として、運命として、牧師を目指していたという。
しかし、牧師の道に挫折、大きな転換を求められることになる。

小林秀雄はその辺りの様相を絶妙に表現してくれている。

画家の魂と聖者の魂との不思議な混淆は、彼の生涯を通して見られる様に思われる。

『ゴッホの手紙』

ゴッホは、画家として10年間過ごし、2000点以上の作品を描いた。
しかし、よく知られるように、また多くの芸術家がそうであるように、評価されるのは、この世を去ってからであった。37年という短い生涯、貧しさは相当のものだったことは想像に難しくない。

僕の経済状況は悲しむべきものであった事は本当だ。未来はただもう真っ暗なのも本当だし、どうにか仕様があったかも知れぬのも本当だ。パンを稼ぐのに時間をとられたのも本当だし、僕の勉強が惨めな希望のない状態にあり、僕の入用は僕の所有を限りなく超えているのも本当だ。

『ゴッホの手紙』

ゴッホはなぜ自画像を沢山書いたのか

先述のように貧しさの極致にあったゴッホは、39点もの自画像を残している。その理由として、モデルを雇うお金が無かったという記述がある。また習作の訓練になるとも。

一面の真実かも知れないが、自分には全く違う側面が厳然としてあるように思える。書かざるを得ない、鬼気迫るものが伝わってくるのだ。
自分という存在を深く見つめ直し、問い直していた衝動のようなものが、彼をして自画像を描かせたとしか思えない。

牧師になるという信じていた目標への挫折が、画家ゴッホの誕生につながった。いったい自分は何者で、生きる意味は何なのだろかという底知れぬ苦悩が、自画像に向かわせたと、描かせたと思う。


敬愛してやまないゴーギャンとも、献身的に支えてくれた弟とも衝突したゴッホの内面の激しい葛藤を感じる。

自覚宗教としての禅と『十牛図』

「自分とつながる」ということを探究している宗教の代表は仏教であろう。仏陀は「目覚める」という意味のサンスクリット語の漢字音写で、仏教は、本来の自己に目覚めた人、覚者としての教えである。

その流れを真中心に引き継ぐ禅は「自分が自分であること」、「自分が自分になること」を問題としてきた「己事究明」の道である。

『十牛図』は禅の自覚宗教としての修行の道筋を、端的にしかも深さを失うことなく示すものとして、禅門で珍重されてきている。私自身もユニークに表現される10の絵コマを繰り返し味わって来た。

その『十牛図』を近年研究が進んでいる「成人発達理論」の助けも借りつつ、自分の専門領域としての経営学の知見も活かして、実践的に思索し『ZEN 禅的マネジメント』を上梓させていただいたのが2022年である。


「軽井沢禅的リトリート」 自分と深く出会い直す

先週末は雪降る軽井沢にいた。
『ZEN 禅的マネジメント』をモチーフにリトリートを始めたのは昨年。
今回で4回目となった。軽井沢の四季の移ろいは美しく、その季節、その季節にそっと佇み、身を置くだけでも豊かな機会になっている。

会場の隣の森を散策

「驚きと感動の種をまく」探究学舎の取締役である宝槻圭美さんのお声かけから始まり、軽井沢在住の教育プログラムの企画・運営や、野外教育・インクルーシブ教育に関するコンサルティングを行う長谷川絵里香さんと3人で場をつくっている。

細胞からの変容の契機をという思いから、食事は養生食を専門とするパーソナルシェフの田頭和みさんにお願いしている。

食べる曼荼羅

https://zen-retreat.studio.site/?fbclid=IwAR0o3voqG-WmjmnuYsBpxPcHwo5RowndHmAZAicOnt2ioG3m7VJmIDaz53I

内省的な対話と沈黙。
沈黙が導いてくれる深い質感。
なかなか言葉に表し難い場の様相。
こちらは6月の様子を映像に納めたもの。

場をつくっていると表現はしたものの、実際は「いきもの」としての場が私たちを包み、慈しんでくれている、主客逆転の感覚がある。

最後に小林秀雄『ゴッホの手紙』の冒頭にあるフランスの批評家サント・ブウブの言葉の引用を記しておきたい。

人生の謎とは一体何であろうか。それは次第に難しいものとなる。齢をとればとるほど、複雑なものとして感じられて来る。そして、いよいよ裸な、生き生きとしたものになって来る。

自分と深くつながるとは、外側にある理想的な何かを追い求めることではなく、最先端の情報を得ることでもない。目的があって効率よく解決するための手段でもない。似ているように見えるかも知れないが、個性ある自分を作ることでも、確固たる軸を立てることともほど遠い。

もっと身近で、懐かしい、深淵な、もう既に内在することとの再会だと思っている。


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