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分かってればいいってもんじゃない。

28日はお不動さまのご縁日。

お不動さまの迦楼羅炎はさまざまな不浄を
焼尽します。

人の身口意の三毒、執着や煩悩も不浄のうち。

神社仏閣は神仏に向き合うところであり
自分の心に向き合う場所でもあります。

結界され清浄であるよう常に手入れされています。

神前や仏前にお参りするときは、
衣服を整え、手や口をすすいで
きれいにしてから参上します。

神仏はけがれから離れた清浄な存在。
仏さまは修行によって、
神さまは祓い清めることによって
その清浄さを維持しています。

以前日本の穢れ感というのが独特、というお話をしましたが。

キリスト教とは違って、仏教や神道では
人間はもともと穢れている存在というわけではありません。


でも、人間が穢れてしまう理由は人の心と行動にあります。

懺悔文にもあるとおり、
無始よりこの方貪瞋痴に由来する身口意が作ってきたもの。
つまり、輪廻のはるか過去から
貪り、怒り、愚かさから起こってきた
行動、口にする言葉、考え方によって作られてきました。


ある時点でこのことに気づいたら
これ以上作らないようにすることができます。
そして、今まで作ってきたものを減らしていくことも。

神仏のところにお参りして祈るということは
そういうことに気づいた自分が
そういう行動をします、ということを示している
ことでもあります。

罪穢れや悪業を減らし、これからなるべく作らないように。

神仏の前に出るときに身を清めるのは
少しでも神仏に近いものになるためであり
それを行動で示していることでもあります。

作法や礼儀というだけではなく、
小さなことではありますがそれは実践です。

神仏はわたしたちと全く別の違うものではありません。
ですので、どんなに小さなことでも
自分たちに近づいてこようとする人の努力を
喜びと共に見守ってくださっているという気がします。

自分の身口意をどのように使うかを決められるのは自分だけ。

日頃から身口意を神仏の心に添うように
使おうと心がけているのなら、
神社仏閣にお参りするときは
その成果を神仏にお見せするチャンスです。

どんなこともただ頭で理解しているだけではなく
実践できることが大切。
だとしたら、信仰でもそれは同じこと。

観光や御朱印集めやご利益を期待して参拝するのでも
なるべく神仏に近づこうとしている自分の心を
神仏の前で実際に行動で表そうとしてるのだな
と心に留めてお参りしてみてはいかがかなと思います。

神はおそれ畏むべき
仏はつつしみ敬うべき
そうしながら人は
昨日より今日、今日より明日
少しでも神仏との距離を縮めようと
どこかで願っているのかもしれません。


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