飛べない人間、地を這い駆ける

職場で新しい人が採用された。来週、初出社になるという。
年配(私の親より年上)の方との事だがフルタイム勤務らしい。

その歳から新しい仕事をフルタイムでするなんて、超人か……?

私は恐れ慄いてしまった。まだ会ってもいないその人が少し怖い。
いや、勝手な物言いだなと我ながら思う。

私がこの職場に入ってまだ3ヶ月も経っていない。まだまだ新人の気分なのに、私が仕事を教えることになるだなんて……まさかであった。
思い返せば、私は今までの仕事で同じ部署に自分より新しい人が入ってきたという環境にいたことがなかった。いつでも自分が一番新人だった。それに慣れていたしそれが当たり前かのように思ってしまっていた。

遠い昔、学生時代の部活では後輩がいた時期もあったが本当にその一時期くらいだ。
私は年下と接する方が苦手で、年上の人との方が気楽に過ごせる。
年齢の面だけ見れば今回の件も良かったと言えるのだろうか。いや、しかし不安が拭えない……年齢うんぬんよりも性格が良い人であってほしい、ただそれに尽きる。

私は超心配性のネガティブ被害妄想の達人なので、あらゆるマイナス思考想定をしてしまっている。
その人の年齢の半分以下なのに、勤務時間も半分近く短いなんて、考えたら虚無。
「20代で(若くて)結婚もしてなくて子供もいないのになんで短時間勤務なんですか?」などと聞かれたらこころがしんでしまうので軽率に触れてこない人だといいなと願ってしまう。
職場の人たちはみんな私に対してそういうことを言ってこないからとても有難いのである……偏見を持たれることもなかった。
それどころか「いずれ社員にもなれるよ!」と言ってもらえたりもしたのだが、それって普通に正社員できる人間だと認識してもらってるってこと……? 自分ではとても信じられないのだが、お世辞を言って必要以上に持ち上げようとしてるわけでもないのだと思う……多分。でも単純に若いから=未来があるからって理由で社員になれる可能性が高いよって意味かもしれないし……(マイナス思考

でも私は社員になりたくない。出張とか行きたくない。責任の重い仕事したくない。という社会不適合者である。
非正規のままこの先ずっと生きていくのかと思ったら将来が怖くはなるが、だからといって「みんなと同じ」ように働くことは難しい。心身ボロボロになって死にたくなるだけだ。それが見えているから私はこの働き方を選んでいる。
詳しくは、もうお馴染みかもしれない以下の記事を参照していただきたい。


新しい人が入ると聞いた時、キャリアがあって長時間勤務だと聞いた時、まず不安に思った。
「私のいる意味、薄くならないかな……」
クビになるわけはないが、ぶっちゃけ私は必要なくなってしまうのでは……?
そんな考えがどんどん浮かんでくる。

長時間勤務できる有能な人と短時間勤務の有能な人、ならそりゃ前者のほうが良いだろうし
長時間勤務できる有能な人と短時間勤務の無能な人、なら言うまでもなく前者に決まってるし

「私は短時間勤務の無能なのでは……?」
そこまで考えてしまいそうになる。つらい。
入社してから今までの私の仕事を見てきた職場の人たちからは褒めてもらえているのに……こんなに自己肯定感が低いのは、評価してくれる周りの人たちに失礼なのでは……そう思っていてもなかなかこの思考回路を正せない。つらい。
他人からの評価を素直に受け入れて喜べるようになりたい。それが簡単にできないのはやはりインポスター症候群なのだろうか。
お世辞を真に受けて自惚れて調子に乗る恥ずかしい奴になりたくない、というある種怯えのようなものが己の中にあるのだ。お世辞かどうかの区別はある程度つくはずなのに。「気を遣って褒めてくれているのでは?」ということはどうしても考えてしまう。

自分は能力が足りないと思ってしまっている私。それならせめてフルタイム勤務ができる体力と気力があれば良かったのに。できないことを自責する。
自分に無いものやできないことを嘆き悔やんで、できることを自分で認めてあげようとしない。そんなの自分がかわいそう、そりゃあ生きづらいよ……頭ではわかってはいる。
すごく速く走れる人が「でも私は空を飛べない」と泣いている、みたいなたとえ話を昔どこかで見かけたが、まさにそんな感じなのかもしれない。自分ができること、持っている能力の価値を評価せず、できないことばかりに目を向けて悲しむ……ということ。
私は空を飛べないことを嘆き続けている。それでもせめて走り続けることは忘れないようにいられたら……否、疲れすぎないように歩きながら生きられたらと思う。




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