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ぶどうの世界③ ぶどうと気候変動

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南からの危機

広島県の沿岸地域は、日本のぶどう栽培地域の中で最も温暖な場所の一つである。
この地域のぶどう園では、古くは「デラウェア」「マスカット・ベリーA」が主流であったが、最近は「ピオーネ」「安芸クイーン」が主要な品種となっている。
特に「安芸クイーン」は他の産地では生産が少なく、この産地を特徴付ける品種となっていた。

「安芸クイーン」は「巨峰」の実生(種から育てた木)から優秀な個体を選抜するという手法により開発された赤色品種で、1991年に品種登録された。
「安芸クイーン」最大の特長は、その豊かな風味である。味そのものは「巨峰」と大して変わらないはずなのだが、「安芸クイーン」は他の品種にはない特有の香りを持っていて、香りと味の絶妙なハーモニーが他の追随を許さないのである。(私個人の感想です)

この地域の「安芸クイーン」は大きな人気を獲得したが、やがて栽培にある問題が発生し、年を追うごとにその問題は深刻なものになっていった。

赤い色がつかず、緑色のままの粒が年々増えていったのである。

赤色の粒と緑色のままの粒では、味にそれほど差があるわけではなかった。しかし、緑色の粒があると見た目の評価は大幅にダウンするので、ぶどう農家の売上に大きなダメージを与えた。

着色不良の原因は何なのか。
着色には、以下のような傾向があった。

・「安芸クイーン」の着色不良年は、「ピオーネ」など、他の紫色・赤色ぶどうの着色も悪かった
・着色不良は、広島県だけでなく、西日本の沿岸部を中心に広範囲で発生していた
・沿岸の産地で着色が悪い年も、高原の産地では着色が良好であった
・着色不良年は、夏の平均最低気温が高かった

ここまでくれば、夏の高温、特に夜間の高温が原因であることは明らかだろう。

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「ミニ甲斐路」の着色良好な房(左)と着色不良の房(右)

ぶどうの着色は、紅葉と同じメカニズムによって起こる。
低温によってカロテン・アントシアニン等の色素の合成が誘導され、着色するのだ。
紅葉とは誘導が発生する温度が異なるだけである。

着色促進の試み

実のならせ過ぎや、特定の栄養素の不足・過剰によっても着色不良が起こることもあるが、それらの原因とは違い、気温は栽培技術の工夫でどうにかなるものでもない。
各農家や研究機関はさまざまな方法で対策を考え始めた。

対策① 水をまいて気化熱で気温を下げる
→夜のぶどう園の湿度は100%近く、水が気化せず気温は変わらず

対策② 冷房を設置する
→ビニールハウス全体を冷やすのは現実的ではない

対策③ 房周辺のみ冷却する
→空冷・水冷ともに冷却パイプの設置に多大な手間と費用を要する

このように、直接冷やすことで着色を促進しようという試みには、あまり成功したものはなかった。

ある程度の成果を収めたのは「環状剥皮」と「アブシジン酸処理」である。

「環状剥皮」とは、ぶどうの幹に傷を付け、篩管を切断することである。
こうすると、根から葉・実への水や栄養の流れを保ちつつ、葉から根への栄養の流れは遮断される。結果として実に栄養が集中し、着色不良が緩和される。
適切な方法で行えば傷は時間とともに塞がり、木への影響はあまり大きくない。
元々ぶどうの着色を早め、早く収穫する技術として開発された歴史ある技術で、広島県では戦前から行われていた。

「アブシジン酸処理」とは、着色を促進する植物ホルモン剤を散布する方法である。
試験ではある程度の効果があったが、日本では農薬取締法での使用許可が出ていないので、売られているぶどうには使われていない。

これらの方法は確かに効果があったものの、根本的な対策にはなっていない。根本的な対策とは、高温でも着色する品種を開発することである。

着色特化品種の誕生

国の果樹研究機関である農研機構果樹研究所でも着色良好な品種の開発が始められた。
しかし、従来手法による品種改良では、前回のシャインマスカットのように長い時間がかかる。
そこで、「遺伝子解析」という、新たな手法を用いることにした。
遺伝子解析を用いた品種開発は、以下のような流れで行われる。
①着色を司る遺伝子を探す。
②着色遺伝子が存在する品種を選抜する。
③選抜した品種同士で交配を行う。
④得られた種を育て、苗の段階で着色遺伝子の数を調べる
⑤着色遺伝子の多い苗を選抜して育て、味の良いものを探す。

従来の手法では、実がなるまですべての種を育てる必要があったが、その必要がなくなり大幅な効率化が達成された。
味や香りと違って、色は少数の遺伝子によって決まることも幸いした。

こうして「藤稔」と「安芸クイーン」の交配個体から選抜された品種「安芸津30号」は、系統適応性試験も通過し、2017年に品種登録された。品種名は「グロースクローネ」。
なぜか品種名にドイツ語が採用されており、「Große Krone」、すなわち「Great crowm」である。「黒」とかけた命名でもあるらしい。

「グロースクローネ」は苗の販売が始まってから年が浅いため、市場には出回っていない。そのため、味についてはまだ知るよしもない。
外観は親の「藤稔」に似ているので、味も似ているのか。
「安芸クイーン」の要素はあるのか。

今後が楽しみである。

余談 : 過去の気候変動とぶどう栽培

歴史上ぶどう栽培の中心地であったヨーロッパでは、時代ごとの産地の変遷がよく記録されている。(ヨーロッパの歴史記録の場合、「ぶどう」とはほぼワイン用ぶどうを指す)
10世紀から13世紀までは「中世の温暖期」と呼ばれる気温の高い時代で、イギリスのようなヨーロッパ北部でもぶどう栽培が行われていた。
しかし、イギリスではぶどうの商業的栽培は行われなくなった。14世紀から19世紀まで「小氷期」と呼ばれる寒冷な時代であったことが第一の理由、輸送技術、保存技術が発達し(特にガラスボトルとコルク栓の発明は画期的であった)、無理に地元で生産しなくても南ヨーロッパのワインを輸入できるようになったことが第二の理由である。
近年イギリスや北ドイツなど、一度ぶどうの生産が途切れた場所でも栽培が始まっている。
栽培技術の進歩もあるが、やはり気候変動の寄与する部分が大きいのだろう。

参考文献

(研究成果) 高温でも容易に着色する極大粒のブドウ新品種「グロースクローネ」
農研機構プレスリリース

田上善夫「欧州における近年の温暖化とブドウ栽培の変化-とくにドイツを中心とする欧州北方について-」富山大学 人間発達科学部紀要 3,1, 103-120. 2008

山根崇嘉「瀬戸内沿岸部におけるブドウ‘安芸クイーン’の着色向上技術の開発」
広島県農業技術センターマニュアル

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