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ぶどうの世界 ② マスカットの物語

光り輝く新品種

2006年、一つのぶどう品種が新たに登録された。
その品種は、瞬く間に高い人気を獲得し、現在に至る一時代を築き上げた。
そのぶどうの名は「シャインマスカット」である。

強い甘味、弱い酸味、美しい外観、そして皮ごと食べることができるという今までにない特徴。

現代日本において果物に求められる性質をことごとく有したこのぶどうが人気を得るのは、もはや必然といってよいだろう。

収穫期を迎えた「シャインマスカット」


しかし、「シャインマスカット」は一朝一夕にできたわけではない。その誕生は、完成することのない長い物語の最も新しい1ページにすぎない。

この記事では「シャインマスカット」誕生に至るまでのマスカットの歴史について語っていこうと思う。

「マスカット」とは何か

「マスカットの定義とは何か?」
私はこれまで、何人かの人に質問してみたことがある。
この質問を受けた人は、全員「緑色であること」と答えた。
確かに、多くの普通のぶどうは紫色や赤色で、多くのマスカットは緑色だ。

しかし、「色」はマスカットの定義ではない。

緑色の普通のぶどうもあるし、緑色でないマスカットもあるのだ。

このぶどうは「ハニーシードレス」といい、緑色だがマスカットではない。

このぶどうは「ミニ甲斐路」といい、赤色だがマスカットである。

では、何があればマスカットといえるのか。

マスカットは、"muskat"と綴る。
"muskat"は"musk"から派生した単語である。
"musk"とは何か。
それは「麝香(ジャコウジカ等の動物から採れる香料)」のことである。

すなわち、

「麝香のように香りを持つぶどう」

こそがマスカットの定義であるのだ。

補足1 
ただし、麝香とマスカットの香りに共通する成分はなく、麝香は単に香料の代表として挙げられているにすぎない。

補足2 
紫色ぶどうに「マスカット・ベリーA」という品種があるが、この品種名は交配親の名前を並べたものであり、「マスカット・ベリーA」自体はマスカットの香りがないので、マスカットではない。

「シャインマスカット」前史

世界で栽培されているすべてのマスカットの先祖は、エジプト原産の「マスカット・オブ・アレキサンドリア」であるとされる。単にマスカットと言った場合、この品種を指すことが多い。
名前が長いのでぶどう業界では「アレキ」と呼ばれていることから、この記事でも以降「アレキ」と呼称する。

「アレキ」は少なくとも2000年の歴史を持ち、「クレオパトラも食べた」と謳われることもある非常に古い品種であるが、それにもかかわらず現代でも一線級の人気を有する。
一品種がここまで長い期間にわたり商品としての競争力を保つ例は、果物界全体でも他にないのではないだろうか。

南ヨーロッパを中心に世界的に普及していた「アレキ」は明治時代に日本に渡来したが、砂漠の国のぶどうは湿気の多い日本の風土に合わず、成功例は少なかった。
当時どのような失敗があったかははっきりとはわからないが、「アレキ」の性質から考えて、
・湿気で葉や実にカビが生えた
・根が水分を吸収しすぎた結果粒が割れた
・フィロキセラ(ぶどうの根に取りつき枯らす害虫。当時世界的に猛威を振るっていた)の襲撃を受けた
などが考えられる。

結局、日本で大規模な商業的栽培に成功したのは、比較的雨が少なく、雨を完全に遮断できるガラス温室を用いて栽培を行った岡山だけであった。
温室などの莫大な設備投資は価格にも反映され、現代に至るまで「アレキ」は超高級ぶどうとして扱われている。

「アレキ」の人気を見た育種家たちは、このように思ったに違いない。
「お求めやすい価格で消費者に提供できるマスカットを作れないだろうか?」
そのような発想で育種家たちは「アレキ」を親とし、より栽培しやすいマスカットを作ろうと交配試験を始めた。
そのような交配種の中で、最初に普及したのが広田盛正氏によって作出された「ネオマスカット」である。ぶどう界では「ネオマス」という通称がある。
「ネオマス」は「アレキ」と日本在来種である「甲州三尺」を交配した品種である。
「アレキ」よりも日本の気候に適し、育てやすいことから、戦後急速に普及することになった。

しかし、その繁栄は長く続かなかった。

最大の原因は、味の当たり外れが激しく、消費者の人気が下がったことにある。
日本人は初鰹に代表されるように、早く出たものほど高値で買う習性を持っている。
だから、農家も早く収穫しようとする。
紫のぶどうは熟すとともに色が緑から紫に変わるので、収穫時期を見た目で判断できるが、緑色のぶどうはわからない。
そのため、収穫を急ぐあまり、まだ酸っぱい時期に収穫してしまう例が続出したのだ。

「ネオマス」の生産者は紫色ぶどうから参入した農家が多く、緑色ぶどうの栽培経験に乏しかったことも災いしたのだろう。

「ネオマス」の人気が下降する中でも、「アレキ」「ネオマス」に続く、第三世代のマスカットを生み出そうという努力は続けられた。
その中でも、山梨の植原正蔵氏が「ネオマス」と、ヨーロッパ原産でアメリカでも普及していた赤色ぶどう「フレームトーケー」の交配で作出した、赤いマスカット「甲斐路」は一定の成功を収めたといえるだろう。
美しい赤色と素晴らしい味を持つ「甲斐路」は高い評価を得て、山梨を中心に普及した。

ただし、収穫時期が9月後半以降とぶどうとしては遅く、また「マスカットは緑色」というイメージも依然としてあるので、ぶどうのメインシーズンである8月後半〜9月前半に収穫できる緑色のマスカットが引き続き求められた。
この要望に応えるべく、植原氏は「甲斐路」を親として様々な品種を作出した。
その中にソ連(当時。現在のウズベキスタン周辺か)原産の白色のぶどう「カッタクルガン」と交配した「白南」があった。
「白南」は味は優れていたものの、外観の美しさに劣り普及しなかった。
「白南」はこのまま注目されずに消えていく運命にあるように思われたが、事態は思わぬ方向に向かっていくのである。

「シャインマスカット」の誕生

1988年、広島県にある農林水産省果樹試験場(現 農研機構果樹研究所)の安芸津支場で、ぶどうの新品種を作成すべく交配試験が行われていた。
新品種作成にあたっては、味が良いことに加えて、以下のような方針が掲げられた。

・歯ごたえのある食感を実現すること
従来の主流品種「デラウェア」「巨峰」「ピオーネ」はいずれも柔らかい果肉を持つ。
硬い果肉はそれだけでセールスポイントになると思われた。

・湿気や病気に強いこと
硬い果肉を持つ品種はこれまでにも存在したが、湿気の多い日本では病気になりやすく、万全の湿気対策をとった「アレキ」を除き普及しなかった。

・少なくとも「巨峰」並みの大粒であること
大粒であることは当時から人気の必須条件とみなされていた。

・種なし栽培ができること
「アレキ」や「甲斐路」はジベレリンがあまり効かず、種なし栽培ができなかった。

・緑色マスカットであるとなおよい
「ネオマス」の退潮以降、手頃な値段の緑色マスカットがなくなっていた。

交配によって新品種を作る場合、優れた形質を受け継がせるべく、少なくとも親の片方は人気のある品種とすることが多い。
特に果樹類は、個体サイズが大きいことや、交配で種を得てからその個体の味がわかるまで何年もかかることから、数を試すことができないので、よりその傾向が強いように思われる。

ところが、この年の試験対象には、まったく無名の品種「安芸津21号」が選ばれていた。

「安芸津21号」はアメリカ原産の黒ぶどう「スチューベン」と「アレキ」の交配によって作出された品種である。
「スチューベン」は北海道や青森を中心に栽培されている品種で、小粒だが、湿気と病気に対して非常に強い。
「安芸津21号」は「スチューベン」の耐湿・耐病性と「アレキ」の味と香りを受け継ぐ最強のぶどうを目指して作られた。
できあがった「安芸津21号」は期待通りの耐湿・耐病性を示したが、実については食感は素晴らしかったものの味や香りはいまいちで、不採用となった。

果樹試験場では「安芸津21号」は味や香りさえ改善されればは最強になると考えられた。
そこで、味の良い品種を交配させることにしたのである。
その中には、味は良いものの他の要素で評価されなかった「白南」も含まれていた。
この判断が、20年後にぶどう界に革命を起こすことになるとは、どれほどの人が予測できただろうか。

時は流れて1999年、全国の農業試験場に数種類のぶどうの枝が届いた。
その中には、「安芸津21号」と「白南」の交配で得られた115個の種から育てられたぶどうの木の中で、最良と認められた木「安芸津23号」の枝もあった。
果樹試験場では、優秀な系統が得られた場合、安芸津支場以外の場所でもよいぶどうができるのかを検証するため、都道府県などが設置している農業試験場に栽培を持ちかける。
試験場としても最新の品種を自ら栽培し、知見を得ることにはメリットがあるので、多くが検証に参加する。
各試験場ではぶどうの枝を挿木、接木によって増やして栽培し、数年にわたりデータを収集する。
このようにして行われる全国規模の栽培試験を「系統適応性検定試験」と呼ぶ。

かつて「安芸津21号」もこの試験を受けていたのだが、通過できず不採用となっていた。
しかし、「安芸津23号」は以下のような高い評価を得た。
・安定して甘味が強く、酸味が少ない。
(「ネオマス」のように酸っぱいぶどうが出荷される可能性が小さい)

・大粒ながら「巨峰」や「ピオーネ」といった従来の大粒品種と比較して、食感に歯ごたえがある。

・ジベレリンによく反応し、種なし栽培ができる。

・皮や果肉が強く、収穫前に粒が割れる、輸送中に粒がつぶれるということがほとんどない。

・収穫してから日数が経過しても品質が落ちにくい。

・木の生命力が強く、枝の伸びがよい。

・病気にも強い。

これを受けて、2003年には「安芸津23号」は正式に品種として採用されることが決定した。

ところが、このころ発展を見せていたウイルス検出技術により、苗木が植物ウイルスに感染していることが判明した。
ウイルス入りの苗木を出荷するわけにはいかないので、3年をかけてウイルスを除去した苗を作り、2006年にようやく品種として登録された。
品種名は「シャインマスカット」である。

シャインマスカットに至る系図

交配左側が種子親(雌)、右側が花粉親(雄)である。枠の色は果実の色を表している(安芸津21号と白南の色は推定)

想定外の大革新

「シャインマスカット」は考えられるかぎりの良い特徴を備えていたが、開発陣にとっては心残りとなる部分もあった。
「シャインマスカット」の皮は薄く、果肉に密着していて、とてもむきにくいのである。
開発当時は「ぶどうは皮をむいて食べるもの」という常識を誰も疑わなかった。
開発陣も同様であり、食べやすいよう皮をむきやすいぶどうの開発を目指していたのだがかなわなかった。

ここで、大発見があった。
最初はおそらく、皮をむくのが面倒になった誰かが、皮をむかずに食べてみたのだろう。
そのとき、意外な事実が発覚した。
「シャインマスカット」は、皮をむかなくてもおいしく食べられるのだ。

「シャインマスカット」が、ぶどう界に革命を起こした瞬間だった。

「シャインマスカット」は2008年ごろから苗木の販売が始まった。

偶然の産物である「皮ごと食べられること」は今までにない革新的特徴とされ、現在に至るまでその栽培面積は右肩上がりで、わずか10年程度で「デラウェア」「巨峰」「ピオーネ」に並ぶ基幹品種となるという驚異的拡大を成し遂げている。

ぶどうの直面する新たな問題

「シャインマスカット」の急速な拡大の主要な理由は、その優れた性質であることは間違いない。しかし、理由はそれだけではない。
実はこのころ、「巨峰」「ピオーネ」をはじめとする紫色・赤色ぶどうに激しい逆風が吹きはじめていたのだ。次回はそのことについて語っていきたいと思う。

参考文献

東 暁史「注目のブドウ「シャインマスカット」が 育成されるまで」農薬時代 198 : 41-45

植原葡萄研究所HP
http://www.uehara-grapes.jp

山田昌彦ら「ブドウ新品種 ‘ シャインマスカット ’」果樹研報 Bull. Natl. Inst. Fruit Tree Sci. 7 : 21-38, 2008

山田昌彦、山根弘康、佐藤明彦「ブドウ新品種‘シャインマスカット’の育成と普及」園学研.(Hort. Res. (Japan)) 16 (3):229–237.2017.

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