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富士山と 赤い鼻緒の草履

「ふ~間に合った」
静岡へ行くため、ひかり8時17分発・東京行きに
ぎりぎり飛び乗った。
車両の入り口近くの3人掛けの通路側に座ろうと
「ここ よろしいですか?」と隣に座っていた女性に声をかけた。
「はい!どうぞ」と言う声を聴きながら座席に腰かけると
隣の足元に揃えて置かれた、畳表を貼った赤い鼻緒の草履が目に飛び込んできた。横を見ると、年頃は80代くらいであろうか、痩せた女性の笑顔があった。座先前に倒したテーブルの上にはメモ帳とペンが置かれていて
花柄のエプロンをしてちょこんと正座している。
新幹線で初めて見た乗車スタイルに少し驚いた。

「私、今日は富士山を見に来てね。どこで見られるか車掌さんに聞いたところなのよ」と話しかけてきた。
メモ帳には、清水港・パルシェ展望台と書いてある。
車窓から見える空は曇っていて、今にも雨が降りそうだ。
若い車掌さんがやって来て「駅から近いパルシェの展望台が、良いのでは。
やはり清水はちょっと分からないので、現地で聞いてみてください」と
優しく教えていた。
「ありがとね」と言う胸鎖乳突筋(首の側面にある筋肉)の浮き出た細い首をつい見てしまった。私は最近、なぜか知らない人に話しかけられる事が多くなった。年配の方が多いのだが、無意識にwelcomeオーラを出しているのだろうか・・・。

「私な、3年前にお父さん(ご主人)を亡くしたんや。
腹部大動脈瘤が破裂して、突然やった。悲しくてご飯も食べられんし
ずっとお仏壇拝んでばかりいて、家の外に出られんかったのよ。
やっと外に出る気になって、そうや!富士山を見に行こうと思ったの」
血管が浮き出た細い腕を見せながら、「体重、40キロ切ってしまった」
と笑いながら言う、その声は少しかすれている。
年齢はまだ72歳で、大きな会社の生産管理部に68歳まで勤務していた
キャリアウーマンだった。きっと退職後は、旦那さんとの幸せな時間をゆっくり過ごしていたのであろう。
がりがりにやせ細った姿から、その悲しみの大きさが伝わって来た。

私は歯科衛生士で食べる事に関わっていると伝え、会話の中から
全部自分の歯で入れ歯は使用していない・歯みがきはしている・
お茶を飲んでもむせない、などといつの間にかアセスメントをしていた。
「今は食事はとれていますか?」と聞くと
「ちゃんと食べてるよ。息子たちと一緒に住んているけど、自分の分は
自分で作って食べてるよ」・・・食事の内容が心配になる。
「肉や魚は食べていますか?」
「魚が好きやから、良く食べているよ」
よくあることなのだが、一善のご飯に漬物と味噌汁、野菜の煮物が少しだけでも ちゃんと食べていると思ってしまう。
食事量が少なければ、食事から摂るタンパク質は減っていく。筋肉になる
栄養素・タンパク質を効率よく食べなくてはいけない。
「いつもの食事にもう1品、肉料理やハム・ソーセージやチーズ、ゆで卵なんかを増やしてみたらどうかな。1度に食べられなければ、おやつにヨーグルトやカロリーのあるパンを食べるのも良いですよ。もう少し太って、筋肉つけないとね。しっかり食べて元気でいなくちゃね。」と言うと
「そうやな、もう少し太らんとな。味噌汁に豚肉いれてみようかな。
それなら食べられるわ」と笑顔で返事があった。
静岡に着くまでの短い時間、私のミニレクチャーは続いた。

静岡に着くと、赤い鼻緒の草履を履きながら
「いろんな靴を試したけれど、この草履が一番踏ん張れるんや。
鼻緒を足の指でぎゅっと挟むとふらつかん。このエプロンも、ポケットから
すぐに出せて鞄よりも重宝や!」といたずらっぽく笑った。
気が付くと私達は手を繋ぎ、静岡駅のホームを歩いていた。
「富士山が見られなかったら、清水港で美味しい海鮮丼を食べてくれば
いいんじゃないかな」
「そうやな、海鮮丼食べてくるわ!」
改札を出ると、「お姉さんに会えて良かったわ、ありがとう」と
痩せた顔が少しくしゃりとなった気がした。
手を振りながら、どうか転びませんように、元気になりますようにと赤い鼻緒を見ながら思った。

手を振り見送りながら、私もいつの間にか、
顔を上げて踏ん張って立っていた。







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