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背景としての土木

「建築写真」はあるのに、「土木写真」とはあまり聞かない。何かと建築と土木を区別するのも野暮だけど…
Instagramで検索してみると、「#建築」は200万件近く投稿されているのに対し、「#土木」は8.3万件程度だ。ちなみに、「#街」は49.5万件、「#都市」は10.7万件だった。この差の理由は、単体で被写体として成立する建築物と写真メディアの親和性の高さ(ばえるよね)とか、建築に携わる人たち、建築が好きな人たちが、日々発信の場・記録の場としてこういったプラットフォームを利用しやすい点など様々あると思う。

だから土木の写真全然ないじゃん(ばえないし)と言いたいわけではなく、思ったことがあって。土木がカバーする範囲があまりに広いから、外へ出て適当に写真を撮れば、道路やその他インフラ施設が背景として写り込み、ある意味誰もが「土木写真」をもう既に撮っているのではないか。市民のための工学というぐらいで、生活を支える身近な存在であることがよく謳い文句にされるけど、身近すぎるとかえって意識されないというジレンマがある。撮る人も見る人も、そこに土木が写っていることを認識していない。本当は、ハッシュタグの件数に現れない多くの土木写真が埋もれているはずだ。

土木の情報発信を考えるにあたって(実務でのデザインの考え方にも通ずるかな)、「背景として存在する土木」が新しい視点のひとつになると思う。土木写真・土木の広報を盛り上げようとする動きはもちろん既にあって、効果も見えつつある。こうした動きの中での土木の写真といえば、大規模なダムやジャンクションなどをあおり撮影し、巨大な構造物のダイナミックさを伝えるものが多いイメージを抱く。これは間違いなく土木の大きな魅力のひとつだけど、見る人が自分の生活との関わりを見出しづらいのも事実だと思う。もっと日常の暮らしに根差した、名もなき土木、背景としての土木という見方もあっていいのではないか。

すぐそこにある土木。大切なのは、それを背景にとどめたまま、私たちとの関係性を少しだけ意識の表側に引き出すことだ。あくまで主役はそこに暮らす人たち自身だから。


これからもがんばります。