どう生きてほしいか考えることは、どう生きたかったか考えることだった
息子が生まれた。
「どんな風に生きてほしいか」「どんな親でありたいか」をよく考える。
今のところ、私の中のキーワードはこの2つ。
・自己肯定感
・自分で考え、自分で決める
自己肯定感
これさえあれば健やかに生きていけるんじゃないかと思うのだけど。
「愛されている」という絶対的な安心感と、「何だってできる」という(根拠のない、でも無敵な)自信を持って。
自分で自分を愛し、認め、信じて生きていってほしい。
私は恥ずかしがらずにまっすぐ愛を伝えたい。たくさん褒めて育てたい。
自分で考え、自分で決める
親である我々のことなんて気にしなくていいし、周囲の期待に応えようとしなくていい。他人の言うことは聞き流していい。自分の心に従って素直に生きてほしい。
自分以外の何かを軸にしたら、言い訳の多い人生になってしまうから。
私は、息子が自分で決めたことを否定せずに受け止めたい。先回りして「これはどう?」なんてことはしたくない。信じて見守る、ができる親になりたい。
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息子にどう生きてほしいか考えることは、自分が(幼少期に)どう生きたかったかを考えることだった。
私はたぶん自己肯定感が低かったし、周囲の反応をかなり気にして生きていた。
たとえばファミレスでメニューを選ぶという小さな決断でさえ、一番食べたいものじゃなくて、二番目を選ぶような子どもだった。(親に負担をかけないように少し安いのにしようとか、これを選んだら「そんなに食べられるの?」って言われるかなとか、いろんなことを考えて)
息子が伸びていく植物だとしたら、私にできることは、栄養をたっぷり含んだ土を用意して、太陽の光にあてて、水をあげる、ということくらいで。
頼まれてもいないのに雑草を抜いたり害虫を駆除したりはしないでおこうと思うし、ましてや支柱を立ててそれに沿って伸ばすことはしたくないな。
なんてことを考える今、息子は生後2ヶ月。まだほにゃほにゃである。
すくすく元気に大きくなってね。
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