コーチング日記 2024/5/10
いつもより長めに間が空いて、1ヶ月ぶりのコーチング。
1週間後に退職を控え、ここまできたら「やれるところまでやるのみ」という気持ち。今はわりと穏やかな心境です、とチェックインで伝えた。
今回のテーマは、「お金を稼ぐ」ということについて。
次を決めずに仕事を辞めるので、しばらくまとまった収入が入らない見込み。とはいえ、「自分の分は自分で稼ぐべき」と思う私もいるので、私とお金の関係について考えてみたいと思ったのだった。
-お金に関して、塩冶さんの中でいろんな声があるように思います。一番聴かれたがっている声はどれでしょうか?
「自分の分は自分で稼がないとダメでしょ、という声ですかね。自分の内面からというよりは、外側から発せられている声という感じがします」
「世の中に対して価値を発揮して、その対価としてもらうのがお金。だから、お金を稼いでいない=価値を生み出していない存在である、という感覚がありますね」
他者に対しては、お金を稼いでいないからといって「価値のない人間だ」とは決して思わない。けれど、自分に対してはなぜか別の見方をしてしまう。
「仕事を辞めたことで、"この人はキャリアを諦めたんだ"と解釈されるのも嫌だなと思います」
ここで、話の軸が「お金」から「キャリア」に移った。
-そう解釈された場合、塩冶さんにとって何か不利益が生じますか?
「…生じません」
-また、塩冶さんの周りにはそういう解釈をする人たちばかりなのでしょうか?
「そんなことありません」
コーチに問いかけられるまでもなく、分かっている。それなのにどうして、こういう思考をくり返してしまうんだろうなぁ、と不思議に思う。
-もうひとつ気になったのですが… "サラリーマン"じゃなくなると、キャリアが断絶されるような感覚があるのでしょうか?
それは、あるかもしれない。
私の場合、思考よりも先に身体的な感覚として「あ、もう辞めよう」と結論が出てしまった感じだった。直観的には「もうサラリーマンはやらないかも」と思っているのだけど、一方で「履歴書の空白」を心配している自分もいたりする。
実際のところ、「履歴書の空白」をネガティブに評価するような企業には入りたいと思わないだろう。それでも、自分の中に「リスク回避派」がいて、「大丈夫なの?」と警鐘を鳴らしている。
「いやいや、アンタそんな企業に入らないっしょ!」と無邪気に言う私と、リスクを予測し回避しようとする私。それぞれの意見が合致しない。
-そのやり取りを見ている大人の塩冶さんは、どんな感覚ですか?
「どっちの言い分も分かるなぁ、と思います。でも、今は白黒つけようと思わない。これからいろんな出会いがあるだろうし、その都度うまれる感情がある。焦らず気長にいこうぜって思ってます」
うんうん、いいですね、とコーチは微笑む。
-キャリアの話はひとまず整理できましたね。ここで改めて、お金の話に戻りましょうか。改めて、どんな声が聴かれたがっているでしょうか?
「自分で稼ぐにはどうしたらいいんだろう、という声ですかね」
-「自分で稼ぐ」が前提になっているんですね…
うーん。自分の中では、それが当たり前になっているな。何かしら価値を生み出して、対価をもらいたいという欲求もある。
-価値を生んで対価をもらう、は「手段」なんじゃないかと思うんです。「目的」は何でしょう?
自立した個であること。また、ほかの自立した個たちと豊かなつながりを持つこと、という回答が浮かんだ。
自立のためにはお金が必要だし、他者とつながる手段の一つに「仕事をし、対価をもらう」というのも含まれている。
私とお金の関係は、そういうことらしい。
じゃあ、どういう状態だったら自立していると言えるのかな?という話から、まずは1ヶ月の支出をちゃんと把握してみようということになった。
いくら使っていて、削れる出費はどれで、何万円稼ぐ必要があるのか。そこを具体的に見ないことには話が始まらない。
ちなみに、とコーチが最後に言う。
-「自分で稼いでいない人間には価値がない」という固定観念については、改めて時間を作って扱ってみてもいいかもしれません。強い思い込みの裏に、傷ついている小さな自分がいるかもしれないので。
退職して1~2ヶ月経った頃、「稼いでいない自分は価値のない人間だ…」と落ち込んでいる自分が想像できる。そうなったときには、コーチングの題材として持っていこう。
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