おうたき

つながりを生かして、自分にしかできない仕事を。|CAREER BOOK #1_私の夫

どんなキャリアを歩んできたんだろう? どういう思いでその道を選択したの? 誰かの「働く」について聞きたくて、CAREER BOOKというマガジンをはじめることにしました。

第一弾は、夫へのインタビュー。

東大大学院を修了後、「地域おこし協力隊」として長野県の山村へ移住。

3年間奔走したのち、再生可能エネルギー(以下再エネ)事業を展開するベンチャー企業へ転職し、日本各地の地域とかかわりながら仕事をしています。

面白いキャリアだな〜と思うけれど、本人は「自然な選択をしてきただけ」と淡々としています。

普段あまり自分のことを語らない夫に、いろいろ聞いてみました。

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ー今の道につながるきっかけは?

学部3年の夏、テニスサークルの先輩からインドのスタディツアーに誘われて参加した。電気のない村にソーラーランタンを導入するプロジェクトで。

ちょうど当時はBOPビジネス、ソーシャルベンチャーの流行りもあって、そういう領域に興味があった。

ただ、インドの電気のない村の子どもたちでも、当然俺たちが行かなくても幸せそうに暮らしている。俺がここで支援をやる意味はあるのかなと思ってしまって。

Why(なぜやるのか)が明確に言えることを探したいと思って、そのスタディツアーを企画した団体が持つ国内のプロジェクトにも関わりはじめた。

ーそこで長野県の村(大学院修了後に、地域おこし協力隊として移住することになる)に出会うんだね。

人口749人(2019年5月1日現在)の村。東京から4時間で行ける秘境。空気と水が最高に美味しい。

学部3年の冬にツアーの参加者として初めて村に行ったら、すごく良かった。そこから企画側にまわって、年間2〜3回、合計10回くらい、東京の学生や外国人向けのツアーをやった。

ー就職について考えはじめたのはいつ頃?

院1年の夏、周りのみんなと同じようにメーカーのインターンに行ったりしていた。たしかにものづくりは面白い。ただ、もっといろんな人や場所と絡みながら物事をつくりあげる仕事がいいなと。

今まで自分がつながってきた人や場所を最大限使いつつ、いまこの歳でやったら面白そうな、後からできなさそうなことをやりたいと思うようになって。

院2年の春、周りのみんなは内定が決まっているときに、村への就活をはじめた。

ーどうしてその村だったの?

顔の見えるつながりが一番あって、自分の子どもや家族にも見せたい、のこしたいと思える場所。

それに、島根というバックグラウンドを持っていて、その村とつながっている東京の学生って自分しかいない。そんな自分が入り込んだら面白いことができそうだなと思った。

いま自分にしかできないことで、自分が持っているつながりを最大限使って、もちろん最低限のお金ももらいつつ働けるような枠組みを考えたら、その村になったという感じ。

ー地域おこし協力隊という手段をとったのはどうして?

村にとって導入しやすいから。国から補助金が入るし、給料に加えて事業のためのお金もとれたりするし。

*地域おこし協力隊…2009年に総務省がはじめた地域活性化事業。都市部から地方に移住する人を「地域おこし協力隊員」として地方自治体が委嘱。隊員は行政や地域団体と連携して、地域資源をいかした新規事業立ちあげなどに従事する。隊員の報償費や活動経費の一部は、国から地方自治体に対して最大3年間補助される。

協力隊制度の活用方法を村に提案するところからはじめて、導入が決まったのが大学院2年の秋頃だったかな。

公募ではあったけど、俺以外にエントリーする人なんていなかったから、ただ1人の地域おこし協力隊として働くことになった。

最長3年という期限の中で、制度を村に導入して、自分以降にも人を採用して、定着させていく枠組みをつくろうと思った。

自分自身はその後も村に住んで価値を生むというよりも、外からつながって、村の人たちと一緒に物事をつくれる立ち位置でい続けたいなと思っていた。

ー3年間でやろうと思っていたことはやり切れた?

うーん。もっと色々できたかなとは思う。最初の方は協力隊活用の枠組みをつくるので精一杯だったし、実現できなかったプロジェクトもある。

それから圧倒的に、お金をきちんと儲ける事業をつくる能力が足りなかったな。人に紐づけずに仕組み化して、継続的な事業にすることができなかった。俺が関わっていればできるけど、抜けたら止まる事業が多くなってしまった。

ー村での3年間が終わったら何をやるのか、いつから考えてたの?

ずっと考えてた。村の人たちから、冗談も含めて「出て行くな、村長になれ」って言ってもらったりもした。

でもやっぱり村とつながりながら、いろんな地域で仕事をつくることが両立できるところがいいなと。そういう方向に行こうと決まったのが協力隊3年目の夏で、秋に今の会社の内定が出た。

ー入社を決めたのはどうして?

地域をなんとかしたいと思っている人たちと一緒に、物や仕組みをつくる。その結果、地域も日本も面白くなるといいなと思っていて。それができそうな会社だと思ったから。

再エネ事業が中心ではあるけど、会社としてめざしているのは地域の課題解決なんだよね。

再エネをたくさんつくるのが目的だったら、大資本の会社が大きい発電所をつくればいい。ただ、再エネをつくることさえも一つの手段で、その先の暮らしのデザインを地域の人と一緒に考える仕事。

エネルギーだけじゃなくて、農業、医療、教育… 暮らしにかかわること全部をうまく関連させて、その地域にあった形でつくっていこうとしている。そのスタンスが自分の考えとすごくマッチしていると思った。

入社後、協力隊として住んでいた村との共同事業を立ち上げて、今も定期的に通っている。思い描いていたとおりの関わり方ができてるよ。

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