自分を守っていただきたい
幼い時、すごい生きにくくて、家も嫌いだった
とあるセラピストさんに視ていただいた時によくこんな環境で生きられたね
〇んでしまってもしてもおかしくなかったよと言われたことがある。小学校5年生の時に、父が帰って来なくて娼婦に本気になり一緒に住んでいて全然家に帰って来なくなって、凄い悲しかったし、ママはお仕事だからと嘘つくし、近所のおばさんたちが噂する上に直に
『あら、もとこちゃんのおうちのお父さん帰って来ないって、この近所の人たちみんなで心配しているのよ、どうしたの?』とデリカシーのない近所の人達、嫌な笑みを浮かべている、心配ではないでしょ、その表情は、面白がっているって言うんだよ
そのおばさんたちに『そのうわさ話でどんだけうちのママや私が傷ついてると思うんですか』と怒ったら黙ってしまった。
うちは一時的にお金周りが良くて、そのころから父が遊びだした。ママにも原因がある、もちろん。自己紹介にも書いたけれど。興味があったら読んでくださいませ。
当時、一戸建ての家に住んでいた。でね、いつ2階から飛び降りようかなってずっと考えていたの。父がバブルがはじけて家に帰ってくるようになって、そのころは父の事を憎んで、父はバイオレンスだった。
一緒にいたくなくて、ママはお金の為に我慢するとかいうから私は出ていくねとママの幸せはどうなるの?と
知らない、我慢するなら好きにしなよ、私は限界だから
と家を中学の時に出ていったら捜索願を出されて連れ戻されて、散々父に殴られて、ママの教育が悪いってママが攻められて、父のあんたが最悪で悪いのにってもう話にならない
何が言いたいかと言うと
このブログを読むことが出来る子供たちへ
家庭環境が最悪だったり、虐待受けているという目にあっている子供たちへ、
逃げ出していいんだよ
逃げたかったら
逃げてよ!勇気を出して逃げてよ!自分を守ってよ
守って欲しい!守りたい!
なぜならば、今このように逃げられるチャンスがいっぱいあるのだから。もえなじぃが令和の時代にこの家庭環境だったら
間違えなく、児童相談所に助けを求めて逃げていると思うから
今となっては和解しているからいいのだけど、当時は誰も分かってくれないいし、家庭環境も辛い、勉強するのもビクビクして出来ない
だったら、一人でも児童相談所に逃げて、もう家族はいないから自分自身で前を歩いて人生を生きていく覚悟をしていたのだなと感じているから。
44歳になって思う、携帯電話もある、情報もある。術が沢山ある。このように虐待される、ネグレクトの親からは逃げて欲しいのはエゴだよね
私が何も出来ないのに
ただ出来る事、幸せを祈る事 1つ
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