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【美術展】皇室のみやび 第3期(後期):近世の御所を飾った品々2/2@皇居三の丸尚蔵館

国宝「更科日記」は前期とは違った頁の展示。

国宝「更科日記」藤原定家 鎌倉時代(13世紀)

別れにしのちは、誰としられじと思しを、又のとしの八月に、内へ入らせ給に、夜もすがら殿上にて
お別れした後は、そのお方には私の名前などは知られないようにいようと思っていたのに、翌年の八月に、宮様が宮中に参内なさった時に供奉して、清涼殿の殿上の間で一晩中、
御あそびありけるに、この人のさぶらひけるも知らず、その夜はしもに明かして、
管弦の催しがあり、私はあの方が出仕なさっていたのも知らず、自分たちの局にいたまま夜を明かし、
ほそ殿のやり戸を押しあけて見いだしたれば、あか月方の月のあるかなきかにおかしきを見るに、くつの声きこえて読経などする人もあり。
細殿の引き戸を開けて外の景色を眺めると、有明の月が、あるかなきかの細さで空にかかっているのが趣深い。退出する沓の音が聞こえてきて、歩きながらお経を読んでおられる。
読経の人は、このやり戸口に立ち止まりて、物などいふに、答えたれば、ふと思出でて、
その殿方は、私が外を眺めている引き戸口に立ち止まって話しかけてきた。それに返事をすると、何やら思い出した様子で、
「時雨の夜こそかた時忘れず、こひしく侍れ」といふに、こと長う答ふべきほどならねば、
「あの時雨の夜のことは、片時も忘れることなく恋しく思っています」と言う。長々と返事をしていられる場合ではないので、
 なにさまで 思出でけむ なをざりの
 この葉にかけし 時雨ばかりを
「どうして、そこまで覚えていらっしゃるのでしょう。木の葉に降りかかる時雨のような、ほんのかりそめの出会いでしたのに」
ともいひやらぬを、人々又来合へば、やがてすべり入りて、その夜さり、
と私が言い終わらないうちに、退出する人たちがどやどやとやって来たので、私はそのまま奥の方に引っ込み、その夜のうちに退出した。

「更科日記」

前期の頁はあふれんばかりの「源氏物語」への憧れだったが、今回の頁はちょっと艶っぽい語らいの場。


「牡丹に蝶、茶に小鳥図衝立(ついたて)」円山応立(おうりゅう) 江戸時代(19世紀)

初公開の京都御所伝来の衝立。応挙(おうきょ)を祖とする円山家を継いだ応立による作品。

「松竹薔薇蒔絵十種香箱(しょうちくばらまきえじゅっしゅこうばこ)」江戸時代(18世紀)

こういったよく使いこまれたみやびなお道具類を見る度に、こういった世界を支えた民草の厳しい生活も同時に想像してしまう。

この日は、皇居から歩いて15分ほどの「国立公文書館」での「夢みる光源氏」展も見たので、途中でランチを。

KKR HOTEL TOKYO「展望レストラン 芙蓉」からの皇居の杜の眺め

眺めが素晴らしいとは事前情報で知っていたので、その眺めも楽しみに。

天麩羅定食 2,800円(税込)

落ち着いたレストランで、天麩羅定食もお値段相応に美味しく、大満足な午前中だった。

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