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映画感想:ディザスター・アーティスト ~恐るべき「部屋」への入口~

皆さんこんにちは。

6月からシネコンがスタジオジブリ作品の再上映を行っていますね。

僕は『風の谷のナウシカ』を生まれてから一度も観たことが無かったのと、『もののけ姫』を劇場で観たかったことからこの2つを観に行きました。

『ナウシカ』はもう今見ても色褪せない世界観に圧倒されましたが、『もののけ姫』は大人になって映画としての技術的な面でかなり楽しめる部分があり、どちらも料金分以上に楽しんで帰りました(ちなみにどちらも劇場はほぼ満員でした)。

そんな名作を観てきた上で今回取り上げるのは、ジェームズ・フランコ監督・主演作品、

「ディザスター・アーティスト」

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2017年12月1日アメリカで公開。監督・主演はサム・ライミ版「スパイダーマン」のハリー・オズボーン役で有名なジェームズ・フランコ。

同名のノンフィクション作品を原作としたコメディ映画(?)で、第75回ゴールデングローブ賞映画部門で主演男優賞(ミュージカル・コメディ)を受賞するなど高い評価を得ています。

・「The Room」という稀代の怪作について

まずこの作品の感想を書くにあたって、前提知識として2003年に公開された「The Room」という映画について述べておく必要があります。

こちら、トミー・ウィソー(Tommy Wiseau)という人物が原作・製作・監督・脚本・主演を務めた自主制作映画なのですが、そのあまりの不可解な出来映えから「クソ映画界の市民ケーン」と言われる1本です。

詳細についてはWikipediaの記事や海外のレビュー動画が充実しているので省きますが、

主演であるトミーの演技がとにかく下手

基本的にセックスの話しかしておらずストーリーが意味不明

時々入る乳がんやドラッグの話など本筋と関係ないノイズがやたら多い

屋上の場面がグリーンバック撮影で無駄に金がかかっている(通説では総製作費600万ドル)

と、何をしたいのか一切分からないまま99分映像が続く拷問のような内容。

公開当時はそれはもう非難轟々だったようですが、そこはゲテモノ好きが東西に蔓延る映画界隈。

上映中内容に堂々と文句を言ったり、何故か額に飾られているスプーンの写真が画面に映ると「spoooon!」と言ってスプーンを投げつける、いわば「逆応援上映」スタイルで映画が上映されると、瞬く間に全米で注目を集める人気作に。

その後DVD、BD等のソフト展開も行われ、初週の興行収入では1800ドルしか収益を上げられなかったところから、製作費を回収しきるまでに成功を収めてしまいます。いやー素晴らしきかな、アメリカンドリーム(と言っていいのかこれは)。

カテゴリーとしては70年代に制作され、インターネットの普及と共にその不可解さがかえって人気を集めた日本のアニメ作品、「チャージマン研!」と似たようなものだと思ってください。

そしてこの「ディザスター・アーティスト」、「The Room」の製作に関わり、トミーと今も映画制作を行っているというグレッグ・セステロが原作に携わっており、なんとその「The Room」が出来るまでの舞台裏を赤裸々に綴った内容となっています。

なので一応コメディという分類にはなっていますが、一種の伝記映画だと思った方が呑み込みやすい作りだと思います。

というか実際観た僕の個人的な所感としてはこの作品、ぶっちゃけ並のホラーより全然怖いです。

・トミー・ウィソーという「謎」の人物

色々と見どころのある本作ですが、やはり語っていく上で外せないのが監督となったジェームズ・フランコが自ら演じる「The Room」の仕掛け人、トミー・ウィソー

自ら「The Room」のポスターに写っているこの人です(どういう感情なんだこの顔)。

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あくまで映画なのでどこまでが事実なのかは分からないものの(ほぼ事実らしいですが)、どう言い繕っても度を越して頭のおかしい人物にしか見えないというのが一番の特徴です。

まず、映画全体を通して見てなお人物背景に謎が多すぎます

本作は原作者のグレッグ・セステロ(演じるのはジェームズの弟、デイヴ・フランコ)が、19歳の時に演劇学校のようなところでトミーと出会うところから始まるのですが、トミーは妙に金を持っており、良い車に乗っており、そして明らかに30~40代ぐらいの風貌です。

俳優になった理由についてグレッグに尋ねられても具体的な答えは示さず、喋る英語に訛りがあり北欧系ではないかと言われているものの、本人はニューオーリンズ出身だと主張しています(ニューオーリンズの発音が下手すぎて一発で聞き取ってもらえないのも絶妙な胡散臭さ)。

虚言癖なのか物を知らなさすぎるのか(恐らく両方でしょうが)、「スタニスラフスキーに演技を教わってくる」と大真面目なトーンで言ったり日常の言動からして奇妙な内容が多すぎるため、彼という人物を理解するのはほぼ不可能と言ってよいレベル。

(※スタニスラフスキー…演技について学んだ人なら多分誰でも知ってるロシアの演出家。当然故人)

ただ、それでも明らかに分かるように提示されているのは、このトミー・ウィソーという人物が、全くと言っていいほど「自分を客観視できていない」人物だということです。

特にそれを表しているのが、「The Room」を観た人ならば誰もが知っている彼の「演技の酷さ」

訛りはひどく抑揚もまともについていない。場面によってはロクに台詞も覚えられないといったスキルの劣悪さ。

更に救えないのはそうした自分の演技やルックスになんか無駄に自信を持っているという点で、特にそれが明瞭に現れているのがグレッグと共にロサンゼルスにやってきて、チャンスを掴むべく邁進する中で「スタニスラフスキー」にワークショップのようなところで演技を披露するシーン。

唐突に十四行詩(ソネット)を始め、講師に止められた後「君はまず人相が悪いからヒーローじゃなくて悪役をやりなさい」と言われる。

ロン毛で老けてて目つきが悪いという特徴から考えたら誰もがそりゃそう言うだろと思う場面にも関わらず、当のトミーは「俺を笑い者にするお前らが悪役だ!」と捨て台詞を吐いてその場を去ります。

トミーを徹底的に一歩引いた映し方で見せるこのシーン、非常に皮肉とも言える相対化がきいているところなのですが、同時に彼が自分のことを本気でヒーローだと思い込んでいるという恐ろしさが垣間見えるシーンでもあり、この後の彼の暴走に拍車をかけていきます。

・「映画撮影」という名の第9の地獄

そして本番に入るのが物語の中盤。

ロサンゼルスにやってきて数年、所属事務所と恋人を得ながらも、自らの目指す映画の仕事には恵まれないグレッグと、偶然出会った映画のプロデューサーに突撃をかまして「お前は俳優になれん!」と堂々爆死したトミー。

各々が落ち込んでいる中、グレッグが「俺たちの映画を撮れば…」と言ってしまったことから、トミーはあることを思いついてしまいます。

そう、ここから映画史に名を残す「The Room」の製作が始まってしまうのです。

……が、映画で提示される「制作風景」(と呼ばれるもの)は、少なくとも「製作」とは呼べないレベルで完全なるトミーのワンマン体制

映画を作ることへのノウハウはおろか知識すら無い彼は、普通は高額なのでレンタルする撮影機材を全て「購入」、しかもHDとか35mmフィルムとかの違いも碌に調べもしないで両方購入し、撮影に使用するという前衛的過ぎるスタイルを導入。

更に実景を使えば良さそうなシーンまで全てセットやグリーンバックをわざわざ作り、映画の制作期間みたいなのも特に考えず予算を積み重ねていくという誰もがツッコまずにはいられない無計画ぶりと、それを許すトミーの全く謎でしかない無限の預金残高

しかもトミーは自分が書いた台詞が覚えられず、1シーンを撮り上げるために丸一日、軽く60テイクはかかると、毎シーン、毎カット、何なら毎セリフ(そんな言葉はありませんが)変なところしかないこの制作過程は本当に必見です。

「映画」という軸すらよく分からないまま進んでいくこの映画撮影の様子、羅針盤の無い航海のようなもので当然上手くいく筈もなく、実際はこの作品内で起こってる以上に酷いことも色々あったそうです(スタッフが4回総入れ替えになったとか、この映画だと多分敢えて省かれてるんでしょうね)。

あとエンディングにご丁寧に比較映像がついたりしているのですが、ジェームズ・フランコが自らトミーを演じて作る「The Room」の一部シーンの再現の完コピぶりがまた凄まじいクオリティ。

他はまだどっちが再現した映像かなんとなく分かるのですが、トミーの映っている部分に関しては一瞬気を抜くとどっちがどっちか見分けがつかなくなるレベルのそっくりさん具合です。

まあちゃんと見るとやっぱりジェームズ・フランコの方がまだ若干演技が上手く聞こえるという微妙な違いがあったりしますが……。

・「映画」の凄さを感じるラスト

あまりにメチャクチャすぎる「The Room」の撮影シークエンス。

本当ならここで全力を使い果たしてしまってもおかしくないところなのですが、この映画で本当に素晴らしいのはむしろこの後のラストの部分

「The Room」の撮影後、トミーに別れを告げ舞台俳優としての仕事を得ていくグレッグ(劇中で出演しているのはトミーがよく口にしていたテネシー・ウィリアムズの「セールスマンの死」)。

そんな中、「The Room」のプレミア上映会に招待され、参加することに。

いざ完成した「The Room」が上映されると、スクリーンいっぱいに映し出される主演のケツや、不可解なシーンの数々に阿鼻叫喚となる劇場。

やがてその声が嘲笑に変わっていくとトミーは耐えきれず、劇場を一旦出ていきますが、グレッグはそんな彼を諭します。

入口から会場を改めて見返すと、場内は観客も関係者も全員巻き込んで爆笑の渦と化していました。

「どんな形であれ皆喜んでいるんだ」

そう説得されたトミーは、映画の終了後観客達の前で登壇し、「私の仕掛けたコメディで笑ってくれてありがとう!」と堂々と宣言。撮影中は自分を蛇蝎の如く嫌っていた人々からも、喝采を浴びるのでした―—。

全てが杜撰であるがゆえにとんでもなく突き抜けてダメな映画と化してしまった「The Room」が、その突き抜け具合から最初に願っていたのと違う形とはいえ支持されてしまい、作り手であるトミー自身すらそれを良しとしてしまうこのラスト。

世界的に評価されるウェルメイドな超大作も映画なら、これもまた「映画」であるという意味では同じであり、また結果的に世界で評価されているのなら同じ土俵に立てているのではないか?と突きつけてくる話の繋げ方は本当に秀逸。

この映画の恐ろしいところはそれが更に、変な嫌味を帯びることなく、ストレートに「映画的」なカタルシスを持たせながら提示されるところ。

トミーは経済面などの謎は多く抱えたままで、凄く強引かつ横暴で、正直言って近くにいてほしくはない人物。

でも自分を認めてくれたグレッグのことは憎からず思っていたのは恐らく間違いないし、彼が恋人と同棲するために自分と住んでいたマンションを出ていくと言った時はかなり落ち込んだ様子を見せています(それを演技に活かせよとも思うんですが)。

笑い者にされるのも嫌だと思って映画を作った、そんな彼が、なんやかんやあって一度仲違いしたグレッグの励ましによって「The Room」に対する周囲の評価を受け入れる……こんなに正体不明の男の心理描写が綺麗にハマった瞬間も無いでしょう。

自らトミーを演じ、監督まで務めたジェームズ・フランコ。

実際のトミーは今もアメリカで活動していて、この映画を制作するとなった際「(恐らく「エド・ウッド」を参考に)俺の役はジョニー・デップにやらせろ」なんて話をしていたそうですが、ジェームズ・フランコで大正解でしたね。

トミーを礼賛するでもなく、適当にこき下ろすでもなく、一歩引いた目線で見せながらも自身はそのトミーに完全になり切るという離れ業。

要は極限まで「自分がどう見えるか」を突き詰めた結果であって、ある意味劇中のトミーに一番足りないものを映画内の姿勢で見せてしまっているこのパラドキシカルな関係性も見事です。

色んなことがSNS等で話題になっている今の世の中。皆さんは、自分がどう見えるかを考えたことはおありでしょうか?

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……などと、似合わない社会風刺的なことを言ってみましたが、いかがでしょうか。

若干の怖いもの見たさで鑑賞した本作、本当に素晴らしい出来でした。

100点満点で点をつけるなら、90点は出したい逸品です。減点要素と言えば「題材にしたのがクソ映画」という点と、もうちょっと色々なエピソードが観たいと思ったことぐらいでしょうか。

作品としては日本ではビデオスルーになってしまいましたが、本国では高い評価を得ていくつかの賞を獲ったりアカデミー脚色賞にノミネートされたりもしたため、この映画をきっかけに「The Room」ブームが再燃。

公開から丸2年経ってもその勢いは衰えず、なんと日本でも「未体験ゾーンの映画たち 2020」のクロージング作品としてラインナップされ、コロナウイルスによる延期を経て5月末にテアトルシネマグループの系列劇場で上映されました。

ちなみに現在も稼働中のノリのいいTwitterアカウントもあったりするので、気になる方は是非チェックしてみてください(→@TheRoom_JP)

色々とあってすっかり心が荒れ果ててしまったであろう皆さん、「映画の1つの到達点」を確認することで、癒されてはみませんか?

それでは、いつも心にスプーンを。

ここまでのお相手は、たいらーでした。

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