人は思いたいように思う
先日、父の付き添いで病院へ。ついでにちょっと友達へのお土産を買うために寄り道をしたんですね。お店に向かうと言っても病院から往復25分近く歩きます。
そんな徒歩の移動中にこんな光景を見ました。
事実の写真
皆さんはこの光景を見て、どんな心境になりましたか?
足の踏み場もない
白線の上にも容赦なく積もっている落ち葉たち。道に広がっていたものを、誰かがここに集めてくれたのでしょうか?それとも単に風で集まったのでしょうか?
どちらにしても集まったままここにあるので、なんかやりっぱなし感がありますね。
あーしょせんは山の道って感じがするなあ。袋にでも集めて捨ててしまう方が良いのではないか。観光に来た人には「きれいにしてない」って思われるのではないだろうか?
何という生命の源
おーっ、眩しいほどの宝の山じゃないか。
これが全部土へと還り、再び大地の循環に関わって行ける材料となるんだよなあ。神秘的で格好良いよなあ。山に巻いてきてあげたい気持ちだけど、今はごめんなさいね。
例えずっとここに堆積したとしても、いずれはアスファルトまで飲み込み大地に還してしまえるだけのポテンシャルが、この枯れ葉たちにはあるんだよね。まさに資源の塊。すごすぎます。
事実と感性
よく「人は物事を見たいように見ている」とか言いますね。この話も同様に、自分が思いたいように思うために、そう見える方向から見ようとしているだけのこと。現実そこにある事象は全く同じなのに、感じ取れるものが真逆になるなんて普通にあるってことですよね。
物の考え方とか、事実に対する受け止め方すらも。
情報を共有したということは、一見同じものを見て同じことを感じた人のように思われますが、共有したのは情報だけ。それを元に全く違った受け止め方や考えに至ったとしても、情報を共有したよという事実は変わらないのですよね。
伝えたのだから、あの人も同じこと思ったに違いないとか。そんな勘違いしないようにしなければって思いました。
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