夜中の光
水族館のクラゲの入った水槽・・・ではありません。
タイトル画像は夜中にお湯を沸かそうとしているガスコンロの炎です。とても幻想的で美しいと感じませんか?
お茶が飲みたい
夜中に目が冷め、なんだか体がふわふわと浮いているような感覚。そんなときってありませんか?僕はよく風邪をひくと、そんな感覚になります。もちろん今回は風邪っ気は感じていませんけど。
夜中にふと目が覚めて、何となく喉の乾きを感じたのですが、お茶は昨晩飲み干していたので、新たに用意しようと思いたち台所へ。
画像の正体
お店で一目惚れしたホウロウの白いやかんです。タイトル画像はこのお湯を温める炎だったというわけです。
ガスの炎の美しさ
ガスの炎って青くて幻想的ですね。昼間の炎は周りが明るくてあまり認識できませんが、夜中は他からの光がない分じっくり眺めることができました。時折赤色の通常の炎をちらつかせながら、燃焼を続ける炎。
ひとつの生き物でも見ているような感覚になってきます。
こちらはやかんと同じくホウロウのガスコンロで、その表面にガスの炎が映り込みとても幻想的に見えました。ってこれは、写真の編集中に初めて発見したのですがね。
すべてはアート
こうして考えると、キャンプファイヤーだろうと花火だろうと、落ち葉焚きだろうとガスコンロだろうと、その気になって感じようとすることですべてが「アート」として認識できるということを感じます。
何かを感じたり考えたりするのは、それを受け取った側の認識次第だってことがよく判ります。
この画像を見ても「普通じゃん」と思う人もおられるでしょうし、普段の昼間のガスコンロを見ても感動する人だっているかも知れない。
実はオカリナも音楽そのものも、そういうコンロの炎と同じ立場なのかもしれませんね。
ちょっと薄味のお茶を飲みながら、そんなことを考えついたので、その場でノートに記すことにしました。
演奏と演奏家
演奏で感動するかどうかは聴手次第、それは実際にそうなのだと思います。だからこそ演奏者は自ら率先して感動するように務めるのではないでしょうか?
えんじろうはオカリナ奏者ですが、そうである理由は「オカリナの虜」だからです。このガスの炎を見たときと同じく、オカリナの音色にものすごく深く優しく温かみを感じて感動したから、この記事のようにそれを皆さんにお伝えしてゆきたいなと思って活動しているのです。
記事を書いている現在、外では雨音がしています。それも静かに整然と降る感じで、これまたアートに思えてきます。
最近こういったことを本当に強く感じます。パフォーマンスの方向が明確になりそう。そんな思いで、今日も演奏してまいります!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?