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自然の中にあるんだなあ

我々はどれだけ人工物をこさえたところで、やっぱり自然の中に生きているのだということを感じます。

突然ですが、キャンプにゆくことになりました。出かけたのは天竜区にある「秋葉神社前キャンプ場」です。
音心の相方がキャンプハマりしてから数年。何度か着いていったことがあったのですが、今回は車中ワーク付き!実はこれを1度体験してみたかったのです。仕事の体験をしてみたいなんて変な話だって思われるかもしれませんが、えんじろうもそう思います(笑)

満開お花見キャンプ場

確か桜の木もそこそこあったような程度に思っていたのですが、キャンプ場についたら目の前が真っ白というレベルの満開の桜。
空は晴れ渡り、鳥たちは歌い、花は今この時間を精一杯のびのびと体感している。ただただすごい!

満開の桜たち

緑の地面と桜の枝の写真

これは美しい。まるで桜の木々に呼ばれたかのような気分で、調子に乗って写真を撮りまくりました。風もまあまあ優しく、まだ散った様子があまりないところからして、最高のタイミングを拝ませてもらっているらしいです。
もう素直に感謝ですね。

空を背負う桜並木の写真
花びらの拡大写真
空をバックに拡大写真

薄紅色の花びらに、金色の雄しべだか雌しべだかがとても上品に見えます。生きるための仕組みが神々しい。
最近思ったのですが、桜よりもハクモクレンの花の寿命の方が短いように感じました。それでも桜は短命で儚いというイメージ。そういったイメージに繋がるのも、雄しべや雌しべのように人にとって「気品を感じる姿」だからなのかもしれないですね。

重なり合った花びらの写真
青空を仰ぐ花びらの写真

もう開いた口が塞がらん勢いで、圧倒的な気品と美しさにあふれる「さくらさくら」これなら日本の古曲のあの曲が浮かんでくるわけだと妙に納得してしまいました。因みにえんじろうも「しだれの桜」というオリジナル曲があるんですよ。まだCDはないので、機会がありましたらぜひ1度ライブで。

歌うスイセン

桜のふもとのスイセンの写真
立ち並ぶスイセンの写真

大きな腕を目一杯広げている桜の木の下では、並んで咲いているスイセンがいらっしゃいました。受粉すれば新たな個体が、球根からならコピー体が生まれるのかな?ここのスイセンはコピー体なのか、みんなそっくりな姿で固まって咲いていました。

おひさまの歌をうたうスイセンの写真

はいそれじゃあみんな、おひさまの方を見て心を込めて歌いましょうね。と親株が言うと、みんな口を大きく開けて「おひさまの歌」を歌い出すのでした。というシーンが見えてきました。
あっ因みにえんじろうのオリジナル曲には「お日様の方へ」というゆったりした曲があります。心象風景というアルバムにございますので、こちらからどうぞ。

早速セッティング

簡易作曲セットの写真

さて、用意したのはバッテリーとノートパソコンと簡易キーボード。以前話題に出した簡易的音楽制作環境のセットです。

これが思いの外「はかどらない」のです。キーボードを入力すると普通はすぐ音が出ます。しかし非力なノートパソコンだと情報処理から発音までにタイムラグがあるんです。約0.3秒位なのですが、これ「何だそれだけか」などと言えない致命的な時間なのですよ。

弾きながらの入力では参考リズムとの差が常に0.3秒あるので、曲ののりを維持したままそれを先回りするなんて無理です。総合音楽ソフトの方は賢いので、参考リズムもちゃんと設定した遅れの文だけ遅らせてくれるのですが、楽譜ソフトはそれをしません。
どうしてこう実用的なことを使用者の立場で考慮してくれないんだろうかと言いたいことがたくさんです(あっ愚痴りだした!)

桜の花の光と影の写真

物事には光と影があるのですよね。影があるから光が光として見える。お互いなくてはならないものという考えは好きです。ソフトによる挙動の違いも、よりその仕組みのありがたみをわかるためのものなのだと(思えんわい!)
一方桜の明暗は、それぞれ良いところを引き立てているように見えますね。

河原でのひととき

気分転換のために河原に行きました。既に河原なのですが、より川に近いところに行けば、人気もなくただ自然の歩みにどっぷり浸かれます。

多様性はみな素敵

大きな石の写真

河原には大小様々な石が大量にあります。いやそういう場所を河原というのかな?
越すに越されぬ「大井川」を見て育ったえんじろうにとって、河原は自然のいろんな姿を見せてくれる凝縮空間です。

大きさの違う石、形の違う石、手触りもみんな違うんですよ。匂いはほぼ一緒でした(いやかぐな!)それらの石たちはひとつずつが歩んできた時間と歴史を持っており、その結果として今ここにたどり着いているんですよね。
この場所にこの方向でここに重心があってという一つずつの現象に、ちゃんと答えられる歴史的理由があるんです。

人間も植物も音楽も、多様性ってなんて素敵なことなのでしょう!

年々丸くなる

水を浴び続ける石の写真

ゴツゴツした岩みたいな石も、こうやってひたすら流水を浴び続けると削られてゆくことてしょう。

丸い石の写真

そしてこんな風に穏やかな丸い形になってゆく。そこには写真のように傷もあるかもしれないけど、それが個性や相手の「優しい気持ち」を引き出す鍵になっていたりする。
人間もそうだといいなと思います。

お気に入りの景色

桜の並ぶ川のほとりの写真

気田川の脇に立ち並ぶ桜並木。川津桜の派手なピンク色も美しいですが、こちらの淡い色も素敵ですね。川の青い色が、桜の淡い色を引き立ててくれているようです。

一本の樹と楽園の景色の写真

多分今回最大のお気に入り写真。

水辺にたたずむように見える黄緑の樹。辺りにはただ川のせせらぎだけが響き、そこに突如けたたましい声がします。コジュケイの「ちょっとこい」が始まると、突然日の光が暗くなりました。雲の通り道なのでしょう。
コジュケイが鳴き止み、それから少し経つとやや強い風が。するとまたみるみる雲から太陽が顔を出し、元の明るさに戻りました。

そんな一連の流れを黙って見つめ続ける中央の樹。それだけで十分壮大なドラマに見えませんか?

まとめ

車内ワークは失敗に終わりましたが、この記事を書くことには役だったし、自然の中に身を置くことで嗅覚をはじめ聴覚や触覚を解放できました。
自然だ人工だと言っていますが、人間自体が自然物なので、どれだけ不自然に見えるものを生み出したり、自然の原理に逆らうように見える行動をとることがあっても、それも含めて自然現象の内に過ぎないのでしょうね。そう、たとえ核で人類が絶滅する現象が起こっても、宇宙視点から見れば共食いでひとつの種が絶滅したというだけのことなのでしょう。
みんながそれを考えて、心地よく生きたいですね。

我々はどれだけ人工物をこさえたところで、やっぱり自然の中に生きているのだということを感じます。

そんなひとときの感想でございました。

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