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紙一枚の大切さ

布袋丸は六歳の時に出家し、お母さんと別れて本願寺にやってきました。当時の本願寺は、火を灯す油やお米を買う余裕はなく、とても質素でした。布袋丸は裏地すらないボロボロの衣を着て、水に溶かした麦の粉で空腹を凌ぎながら修行しました。

十五歳になった布袋丸は、お経を覚えるために昼夜問わず一生懸命に勉学に励んでいました。寺は相変わらず質素で、灯りや紙を買う余裕すらありませんでした。布袋丸は夜になると、月の光を頼ってお経を学び、砂に字を書いて覚えました。

月が出ない夜は、囲炉裏で薪が燃えている微かな灯で、書物や経典を照らして学びました。囲炉裏の薪から出る煙が目にしみて、目を開けておくこともままならなくなっても目を擦りながら一生懸命学びました。学べば学ぶほど、布袋丸は経典を書き写すための紙と筆を欲しくなりました。

しかし寺にはそんな余裕はありません。
「何でこんな苦労してまで、この貧乏寺で仏道を全うする必要があるのか」

布袋丸は、出家したことを後悔しました。心が折れそうになると、幼い時に別れたお母さんに会いたくなって自然と涙が流れてきました。

布袋丸はそんな時、お母さんが別れ際に手渡してくれた手紙を何度も読み返しました。
「布袋丸、一生懸命修行するのですよ。しっかりと修行を積んで、立派なお坊さんになってください。そして世の中のために仏様の教えを広めてください。この世には苦しんでいる人々がたくさんいます。その人々に仏様の教えを伝えて、苦しみを和らげてあげてください。それがあなたの務めです。修行が辛くてもきっとあなたなら成し遂げられます。お母さんはお前と別れるのはとても辛いけれど、一生懸命に修行に励んいるあなたの邪魔にならないように、お母さんも我慢します。ですから、あなたも辛くても決して負けてはなりませんよ」

手紙を読み終わると、布袋丸はお母さんにこう誓うのでした。
「私はお母様の言いつけをしっかりと守って一生懸命修行に励んでいます。私が居るこの寺は他の寺と比べてお参りに来る人はとても少なく、いつも貧乏です。しかし、私は必ず立派なお坊様になって、多くの人々に仏様の教えを伝えます。そして私の教えを聞きたい人々が、この寺にたくさん来てくれるように頑張ります。いつまでも私を見守っていてください」
布袋丸は、溢れる涙をこらえて、弱音を吐く自分にこのように言い聞かせました。
               *
それから何十年か経った本願寺での出来事です。本堂で朝のお参りが終わって、蓮如が庫裡に戻る廊下に一枚の紙くずが落ちていました。蓮如は黙って紙くずを拾って、手のひらでその紙を広げて紙のシワを丁寧に伸ばしながら、側に仕えている若僧に言いました。
「この紙はまだ使えるではないか。捨てるなんて、なんともったいないことを。一枚の紙でも仏様のおかげでこの世に存在するのに。私がまだ小僧だった頃、ここは貧乏寺で紙などは滅多に手に入らなかった。今では紙は使い捨てなのですね。ここに捨てられた紙も、仏様からの頂き物です。この紙には、原料になる木、その木を育て太陽や雨などの自然の恵み、原料から紙にする職人の努力、紙を流通する人々、全てがこの紙一枚に集約しています。これが仏様からの頂き物という意味です。出来る限り使えるだけ使って、紙のいのちを生かしてあげましょう」
蓮如はそのシワシワな紙くずを大切に自らの懐に入れました。

そうです。この立派なお坊さん、本願寺八代目の蓮如こそ、小さい時に紙がなくて苦労して修行に励んだ布袋丸でした。布袋丸は、お母さんの言いつけを守って、立派なお坊さまになっていました。そして、多くの弟子や信者を抱えながら日本中に仏様の教えを広めて、本願寺を日本屈指の立派なお寺にしたのでした。


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