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地獄に行きたいなら、どうぞ。
ある檀家さんから教えてもらった、目が見えない禅僧の言葉です。
「地獄に行きたいのであれば、そのようにすればよい。誰でも行きたいならば必ず地獄には行ける。とてもたやすいことだ」
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私はこのように解釈しました。
地獄などという場所は最初から存在しません。しかし、心次第では、地獄を作り出すことができます。自ら地獄という世界を作ると、自分自身で地獄に堕ちて自ら嘆き悲むことになります。
悲しい出来事は誰にでも起こります。それは地獄ではなく運命です。運命は決して拒否することはできません。それを地獄とすれば誰もが何時でもすぐに地獄に行くことができます。
逆に悲しい出来事があっても、人生を極楽にできるのも自分の心次第です。
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檀家さんの子どものS君は、中学1年生頃から視力低下がはじまりました。2度ほど手術をして視力低下を抑えてきましたが、数年後に視力がゼロになると医者から告知されました。それからS君は薬や診察も全て拒否し、自暴自棄となって自分の部屋にひきこもって一年間不登校になりました。結局、自分が希望する高校には進学できずに、リストカットなど自傷行為をするようになりました。
そんな子どもを見かねて、その檀家さんは自分の子どものS君にこう尋ねました。
「お前が地獄に行きたいのであれば、そのようにすればよい。誰でも行きたいならば必ず地獄には行ける。とてもたやすいことだ」
S君は泣きながら答えました。
「地獄は嫌だ」
檀家さんは子どもに優しく言いました。
「自分の手を広げて見てみなさい。明珠掌に在り、幸せは既にその手のひらにあるんだよ。目が見えなくてもその手で幸せはいくらでもつかめる」
その後、S君は目がまだ見えるうちに高校を卒業したいという思いが強くなりました。生活態度も改め、1年遅れて高校に入学しました。視力低下を可能な限り抑えながら、先生、クラスメート、保護者などの協力を得て、何とか高校を卒業しました。
S君は、現在、福祉関係の仕事に就くために面接指導など積極的に受けるなど頑張って就職活動中です。
S君は高校を卒業後に言ったことが心に残っています。
「眼が見えにくくなったほうが世の中よく見えるようになった。もしかすると大切なことは見えないのかもしれない。運命は変えられないけれど、超えることはできる」
S君の言葉を聞いて、私は「音を観(み)る」という「観音」と同じだと思いました。
お坊さんが一般の人から説法されるとは、何とも恥ずかしい限りです。私にはS君のような人を諭す経験もストーリーもありません。「だったら、もっと精進しなければ」と私に教えてくれた、檀家さんとお子さんのS君の話でした。
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