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事業者紹介 【浦臼町】静川農園 静川尚大さん・久美子さん

ほんのりピンクの皮が特徴の、代々継がれてきた北海道在来種のニンニク。
静川夫妻がその貴重な種を育てるようになったのは、高齢になった近所の農家さんが作っていた種を「引き継いでもらえないか?」と託したことがきっかけです。
食べてみると、香りが立ち、クリーミ―で味が濃い。農家として胸が高鳴るような可能性を感じました。
ふたりはピンク種の新しい歴史を紡いでいきたいと願っています。


北海道の希少な在来種ニンニク、ピンク種
収量すくない、手間多い、助成もない。それでも美味しさを届けたい。

尚大さん
にんにくは普通白色のものを思い浮かべると思いますが、北海道には開拓時代から栽培されていたピンク色の在来種があるのです。
ピンク種は品種改良されておらず、原種に近いものです。そのため小さめですし、収量もさほど多くありません。
10月に作付けし、冬を越して4月の雪解け後に芽が出ます。そこから追肥と草取りです。芽を摘み取らないと、片が大きく育ちません。一般的に流通しているホワイト種は品種改良されていて芽が出にくいのに比べて、ピンク種はひと手間かかります。
ピンク種は一片から茎が伸びて4~5片ほどの収穫です。ホワイト種は改良が進み大きめのものが6片収穫できる品種もあるので、収量に差が出ます。
効率性を考えたらピンク種は明らかに肩身が狭い存在、といえます。

ですがピンク種は香りが強く、糖度が高くて味も濃い。こんなに違うんだ、という食の驚きがあります。

レベルが違う同世代に自信を砕かれた。
もっと課題をみつけて、もっと、挑むと決めた

尚大さん
私は110年続く農家の5代目です。次男ですので継ぐことはないと思っていましたが、兄が異なる仕事に就いたので、実家に戻り家業を継ぎました。26歳の時です。
機械が好きだったのでコンバインやトラクターに乗るのも楽しいな、と思って。それまでは自動車整備の仕事をしていました。
父や母、祖父母たちが尽くしてきたことをなくすのは私にとって悲しいことでした。懸命に作りあげてきた広大な土地を無にしたくなかった。周りから頼りにされてきた父をみてきて、自分もそうなりたい。いつの間にかそんな風に考えるようになっていたんだと思います。

自分の性格は元々、引っ込み思案なほうです。妻とは中学高校の同級生ですがきっと、当時の僕の事は印象にないのではないでしょうか。でも本当は、もっと前に出たい気持ちはずっとあった。どこかで、そんな自分を変えたいとずっと思っていました。
農家の仕事を始めて、ここが自分の舞台だと思いました。殻をぶち破ったような感覚でした。
自分で作ったもので、人から美味しいと言ってもらえる、自分がやったという実感がすごく持てて、本気で打ち込める仕事だと思って働いてきました。

久美子さん
結婚前、「静川くんは農家を継いだらしい」と人づてに聞きました。再会するとがむしゃらに仕事をしていてびっくり。学生時代に知っていた大人しいイメージと違って、まるで別人のよう。ひたむきに農業という仕事を挑む姿をみてきました。
毎日田畑を見に行って、作物の質をあげるためにできることに努めている人。万歩計をみると1日5万歩なんて日もあります。

尚大さん
すごく仕事するよね、と地元では言われていました。自分はよくやっていると自負もありました。
でもある出会いで自信が打ち砕かれました。
北海道全域から農業青年部が集まる研修会に行ったときです。同世代の農家なのに、レベルが違った。夕食に一緒にいって仕事の話をしても、畑の規模も違うし、知識量も違った。圧倒されて何もしゃべれませんでした。
気落ちして浦臼に帰ってきました。自分にはまだまだ何もかも足りていないと実感しました。しばらくは落ち込みましたが、でも落ち込んでいても何も始まらない。もっと勉強するし、チャレンジもする。そう決めました。せっかく自分が見つけた舞台なんだから、ここで絶対に負けたくないと思いました。

畑の規模となると地域ごとに事情が異なり、自分の強みとはなりづらい。
だったら味と質で勝負する。人のやらないところでもっと課題をみつけて、しっかり研究して。
町内のご高齢の農家さんから、手間のかかるピンクニンニクを誰も継ぐ人がいないからやらないかと言われ、可能性を感じて3年前から作り始めました。
いま農業試験場にピンク種の成分分析をお願いしていて、来年1月に結果が出ます。
自分たちにしかできない作物の一つかもしれない。やっていて楽しいです。

久美子さん
全道青年部との集まりに「行ってきます!」と意気揚々と出かけたのに、首を垂れて帰ってきたことは私もよく覚えています。

自分たちにしかできないことをがんばって、食べてくれる人に喜んでもらいたい。
私も夫と同じ気持ちです。夫は協働するパートナーであり、同業としてよきライバルのような存在。同級生同士なので余計、お互いに切磋琢磨しあう気持ちが強いのかもしれません。

32歳で結婚。妻は酪農家の家で生まれ、栄養士を経て農家に。

久美子さん
私は同じ町の出身で、実家は酪農家です。自然相手の大変さは子どもの頃からみてきたので「自分はなるものか」と思っていました。
ですが夫の働く姿をみていたら、なんだか、ワクワクする仕事だと思えてきました。
32歳で結婚しました。結婚前の社会人としての12年間は栄養士として勤めていました。こども園で離乳食や幼児食の知識と経験を身につけ、その後、スキルアップしたくて治療食に関心をもち病院に勤めました。
食品会社に転職し、品質・衛生管理も。道外の物産展への出展にも携わり、北海道の食べものが多くの方に喜ばれる様子を肌で感じる機会もありました。

いま、ピンク種を発酵した黒ニンニクも加工品として少しずつ販売しています。ニンニクを乾燥させて自家製ハーブと混ぜ合わせた、ニンニク塩も。野菜ふりかけや乾燥野菜など食品ロスへの取り組みにも、栄養士の知識が役に立っています。

嫁いでまもない頃、「この畑、好きに使っていいからね」と義母から大切な土地を分けてもらいました。手を貸してもらいながら、自分のやりたいことができていると思います。
ミニトマト、葉物野菜、ハーブ、じゃがいも、かぼちゃ、ズッキーニ。ポップコーンなど加工品やマイクロ野菜ですとか、珍しいものもやっています。
町の直売所で提供していて半年で50~60種類ほど作ります。
食べてくれる人へ届けたいのは、驚きと喜び。「こんなものも作ってるの?」と言ってもらえると嬉しいです。

6歳、3歳、1歳の3人の娘がいます。今年は三女をおんぶしながら畑に出ていました。
大変そうと思われるかもしれませんが、土と向き合う仕事が好きみたいです。
私の親も同じように育ててくれていました。
子育てと仕事は暮らしにくっついた営みだよ。きっと、どちらもおもしろいよ。
いつか子どもたちが大きくなったときにそんな姿を覚えていてもらえたら。そんなことを思ったりもします。

自分たちにしかできない農業で
食べ物の驚きと楽しみを届けたい

尚大さん
スケールのある土地をもち巨大な農機具で効率的に進める農業法人にはない、自分たちにしかできない農業は何か。試行錯誤しながらステップを踏んで、できることを増やしていきたいと思います。
「静川農園の作物がほしい」。そう言って頂けるような農家になりたいです。
地元で継承される在来種であるピンク種は、挑戦のひとつだと思っています。来年に向けて1片を大きく育てられるよう研究しています。来年は大きめにできるのではと楽しみです。

一般的であるホワイト種は助成対象なのですが、実はこのピンク種、現在は残念ながら町の作物助成支援の対象ではありません。
現状では収量が少ないし、手間も多くて、助成もされない。でも、驚くほど味わいがあるのです。
質の高さを活かしてくださる料理人の方、飲食店に届けたら、より多くの方に喜んでいただけるかもしれません。
先祖からずっと愛されてきたこのニンニクを、もっと多くの方々へ届ける機会が作りたいと思っています。

l  縁ハンスプロジェクトで出会いたい方
・ピンクニンニクの販路を一緒に考えて作ってくれる方を募集しています。
・まだ、種を増やしている段階のため、大量に生産はできず、年間100kg程度の出荷となります。そのため、まずはこの品種の持つ味と香りのよさを評価してくださる方に届けられるようにしたいと思っています。
・にんにくは加熱して食べることが多いので、上手に調理して美味しさを引き出してくださる料理人・飲食店の方を販路に考えています。他にもよい販路があればおしえていただけると嬉しいです。

<静川農園と一緒にお仕事したい方は、下記からお申し込みください>

リンク
直販サイト(ポケットマルシェ):https://poke-m.com/producers/368692


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