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「ヨガは生活のためのツール」であるという意味が腑に落ちた日

先日、こんなnoteを書きました。

ヨガをスクールで学び始めたばかりのころ、ヨガの先生が「ヨガは生活のためのツールです」と言っていました。

この先生の一言、いまいち腑に落ちてなかったんです。それはエクササイズとしての印象が強すぎて、”便利なツール”のような言い回しに頭に?が浮かんだからです。

それから数ヶ月ヨガを学んだころ、あることをきっかけにこの言葉が腑に落ちる出来事があったので、今日はそれをご紹介します。

落ち込むことがあったとき、あなたはどんな反応をする?

これは人それぞれだと思いますが、少しわたしの話をさせてもらうと、わたしはおそらく切り替えが下手な方です。というか、みずから積極的に悲しみに浸りに行っている節がある。
黒歴史すぎて恥ずかしいのですが、若い頃に失恋したとき、失恋ソングを聞き、思い出を反芻しながら飽きるまで涙していました。当時はそんな恋愛に浸る自分に酔っていたのもありますが、まるでガムの味がしなくなるまで噛み続けるように悲しみを味わっていましたね。

さすがに今はそんなことはしませんが(結婚してるので失恋という事象にも縁がありませんが)、落ち込むことへの対応方法って、人間そうそう変わらないものだと思うのです。

たとえば仕事で失敗したとき、物事がうまくいかないときなど、今でも失敗を頭の中で繰り返し再生してしまう癖があります。そしてなかなか落ち込みの沼から立ち上がれない。我ながら面倒くさい。

レジリエンス(困難をしなやかに乗り越え回復する力)は高い方がいい、自ら変えられないことをうじうじと悩んでいても仕方がない、他方面から言われ尽くしていて、本当そのとおりだと頭では理解しています。でもそううまくは対処できないよ、と正直思っていました。

瞑想と哲学のおかげで気持ちの切り替えが上手くなった

それが、瞑想とヨガ哲学のお陰で知らず知らずのうちにレジリエンス(困難な局面での復活力)がアップしていることに気が付きました!

実は少し前にショックなことがありました。

そのショックな出来事に直面した直後、もっとこうすればよかった、後悔や自分への失望など、そのことが頭を占めて苦しい時間がありました。

でも、おそらく過去最速で立ち直ることができました。そのことに自分でもちょっとびっくりしました。ヨガを学び始めて数ヶ月が経っていて、その学んだことが生かされたからだと思っています。

ヨガはポーズを取るエクササイズの側面ばかり注目されがちですが、それはヨガのほんの一部。ヨガ哲学を学んで心を整え、呼吸を意識しながら身体を動かすことで身体を整え、心身のバランスを整えた先にある”究極の心の静けさ(穏やかで満たされた感覚)”を目指して行う行為がヨガだとされています。瞑想とヨガ哲学で学んだことが今回とくに自分を助けてくれたのだと感じています。

瞑想(マインドフルネス)

ヨガを学び始めて、ほぼ毎日5分〜10分と短い時間ですが瞑想(マインドフルネス)を続けています。

マインドフルネスはヨガの瞑想が源流で、マサチューセッツ大学のジョン・カバットジン博士が開発しました。もともと博士は東洋の禅を学びその影響を受けた人。瞑想のストレス軽減効果に着目し、宗教的要素を外してヨガ思想に明るくない人でも行えるように開発したメソッドがマインドフルネスです。ビジネスマンやスポーツ選手でもやっている人が最近多いですよね。

▲わたしのおすすめアプリです。寝る前にやってます。

黙って目を閉じると、今日あったこと、明日やること、子どものことなど次々と雑念が頭に浮かび上がってきます。それらを「考えてはいけない」と否定するのではなく「雑念だ」と認識してただ受け流します。頭に浮かんだことを深追いして考えていかないのがポイントです。最初はうまくできなかったのですが、だんだんと受け流すことに慣れてきます。思い浮かんだ特定の雑念を深追いして考えることをしなくなってきます。

例の落ち込む事案が発生したとき、反射的にこの瞑想の雑念の扱い方法が役に立ちました。気を抜くと落ち込んだ出来事が頭に浮かぶ瞬間があったのですが、「◯◯が思い浮かんだ。わたしはショックを受けたんだな〜」とただ気持ちを認めて受け流す。それを繰り返す。

落ち込む事案があった直後は気を抜くとそのことばかり頭に浮かんでましたが、その都度、ただ認めて流す、という行為を繰り返しました。

これの何が良いかというと、考えることってとても頭を疲労させるので、何かに囚われてるとすごく疲弊する感覚があったのですが、それがなくなります。

もちろん何か自分に改善すべきところや対応が迫られている場合はそれをやります。ですが、自分にできることが終わったらいつまでもうじうじ考えない。うじうじ考えてたっていいことないですからね。それが瞑想の練習を通してできるようになった自分に気がつきました。

そして、落ち込むことってだいたい自分にも非があると思うのですが、何度も繰り返し考えているうちに「でも相手だってここが悪かった」というように、自分を正当化して相手を非難する気持ちが芽生える原因にもなります。そういう風に気持ちをこじらせないためにも、悲しみや落ち込みに浸りすぎるのってよくないと思うんです。

ヨガ哲学

このヨガ哲学にハマって、関連する本を読み漁っています。
ヨガ哲学「ヨーガ・スートラ」の基本的な教えの中に、ヤマ(やってはいけないこと)・二ヤマ(すすんで行うべきこと)という項目があります。

ヤマ(やってはいけないこと)のひとつに、アヒンサー(非暴力)という項目があるのですが、これは他人への肉体的暴力だけではなく、自分を否定することも自分への暴力だと言われています。反省することは必要ですが、いつまでも後悔し、自分の不甲斐なさを責め続けることは自分への暴力ですよね。

加えて、二ヤマ(すすんで行うべきこと)のひとつに、イシュワラ・プラニダーナ(祈念・ゆだねること)があります。世の中は自分ではどうにもならないことがあるのだから、やるべきことをやったらそれに囚われすぎず委ねることも大事、という意味です。「人事を尽くして天命を待つ」に近いですよね。

この辺のヨガ哲学の考え方にもとても気持ち的に救われました。

▲わたしたちが慣れ親しんだ東洋思想(仏教など)の元となったとも言われるヨガの思想。ヨガ哲学を学んでみると、ヨガ哲学のエッセンスを取り入れた映画や本がたくさんあることに気が付きます。「夢をかなえるゾウ」シリーズは特にヨガ哲学のエッセンスを感じます。

ヨガは4,500年もの歴史があるとされています。大昔の人がどうやったら心穏やかに過ごすことができるかを考えてまとめた、いわば知の結集。
ヨガには「人生で痛みは避けられないけれど、その後のオプションはある」という言葉があります。

なるべくならば心地よく、心穏やかに日々過ごしたいですよね。心穏やかに過ごすためのヒントや、そのための練習を詰めるのがヨガだと考えると、「生活のためのツール」という言い回しにも納得がいきます。今回落ち込む出来事に直面して始めて、ヨガの先生が話していた「ヨガは生活のためのツール」という言葉の意味を実感できたのでした。

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