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日本人には何が欠けているのか

 山本七平さんの「日本人には何が欠けているのか(さくら舎)」副題にタダより高いものはないと書かれている。1921年生まれの戦争体験者である筆者は、国際的で異国の文化を理解するためには外国語を話せるだけでは不十分だという。語学の本ではないのに通訳や英語学習にも通じる意識の持ち方が書かれており、概念を理解せずに多言語に一言で置き換えるのがどれだけ難しいかがわかる。
 正式な英語の先生ですらない私が英語を教えていても、頻繁に直面する「これって英語でなんていうの」という質問には、必ず一言では表せないような日本語が多い。なんとなく感じていたこの小さな不快感は、日本独自の文化を理解していないことに通じるのだと思った。日本語話者として、「これって英語でなんていうの」において、「これ」がとても日本らしいものと気づく事も大切であり、多言語に直すときにはその言語特有の文法や自然な使い方を知らなければならない。
 海外旅行に興味がない稀な存在であろう私は、日常生活で日本人以外と交流しても文化の違いをそれほど感じたことがない。彼氏は白人がいいなどという女子もいるが、男性を日本人だけに絞らないからといって地球上のいい男(または好きになる人)のパーセンテージが変わるわけではない。自分の話ばかりする人はどこにでもいるし、めっちゃ話すから聞いてあげてたらなんか喋ってなど見当違いのことを言ってくる。ではといって話し出すと俺も俺もと言って話を全部奪って再び一人で話続ける。
 この著書には戦時中、戦後の話も出てくるのだが、語学学習者として面白いと感じる点は、戦争には通訳、翻訳の分野が必ず関わっていること。「軍人勅諭」を「軍人詔勅」と読み間違えた軍人が間違えを指摘されて自殺したという話が紹介されている。さらに、それは今の日本人の心情と変わらないのではと書いてある。完璧主義が多く失敗を恐れるために言われたことしかしない日本人が多いというのは、ここからくるのか?世界の男性に対して特別な違いを見出せない私も、間違えに対する文化の違いは目を見張るものがある。この本では、聖書の訳について抜けているであろう単語を指摘するか否かというやり取りが書かれているのだが、誤りに対する捉え方がよくわかる。まず指摘する側の日本人は「イギリスの出版社に指摘する」こと自体にしり込みをする。読み進める私は、あるあると電車で頷いていた。完璧主義の上司や教授にそんなことを言ったらブチ切れるじゃないか。それなら指摘されて自殺してくれた方がマシだ。イギリスの出版社は悪びれることもなくメールでThank youと返信があったそう。 

 広島・長崎の原爆は、投下前の新聞で「黙殺」がingoreと英語約されたことが引き金になったのではという一説をテレビでみた。言葉の持つ意味と背景というのは語学において大変重要であるが、わたしはそこまで追求する自信がない。






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