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学生インターンエンジニアだった僕が新卒でフリーランスになった話

 はじめに

 啓発系の記事によくありそうな紛らわしいタイトルで申し訳ないですが、これは単に僕のこの一年が書かれているだけです。フリーランスになる方法が書かれているわけでも、エンジニアリング的なことが書かれているわけでもないです。一種の回顧録であり、エンジニアリングに魅せられて、いろんな人に助けられて、僕の人生が確かに大きく変わったことを記したものです。暇なときに読んでみてください。

 本編

 4月。彼女に振られ、精神を病み、社会不適合者の看板をぶら下げながら世間を練り歩いていた僕でも就活は終わるもので、果たして未経験の僕がエンジニアとしてやっていけるのかなどという不安を他所に内定は決まった。
 5月、6月はお金がないし、友達もみんな就活中だったので、家にこもって趣味の作曲やPHPでちょっとしたプログラミングをして日々を過ごしていた。
 7月になり、インターンとして内定先に通い始めた僕はそこで先輩と出会う。関西弁で背はそれほどないが、体型は少し良い先輩は、理系の大学出身で頭もよく切れるしユーモアもあって、エンジニアリングとお金と女の子が大好きな明るい人だった。正反対な先輩と僕だったが、僕らはアニメやボカロが好きでよく話をした。また、そのころ常に下を向いて生活していた僕と違って先輩はとても人当たりがよく、僕に優しく、そして根気よくプログラミングを教えてくれた。
 先輩と過ごした8月、9月、10月はあっという間に過ぎた。
 この間に僕は同期のエンジニアではない女の子と恋をし、めでたく付き合い、2週間で破局するという地獄を味わうのだが、それはまた別のお話である。
 先輩のおかげですこしずつ動くコードが書けるようになった僕は、すっかりプログラミングにハマった。インターンから帰ってきてもコードを書いた。それから、僕らは本当に仲良くなって、先輩は僕にプログラミング以外にもいろんなことを教えてくれた。エンジニアとしてどう生きるか。最近流行りの技術。お金の使い方。時間の使い方。女の子の持ち帰り方(僕には真似できなかった)。

 そんな先輩がある時こう言った。

 「俺来月には会社やめるわ。」

 人生において、楽しい時間というのは絶対に終わりが来る。ずっとわかっていたことだった。でも、それを理解できるかと受け止められるかはまた別の問題だ。
 先輩はどうやら某ウルトラテクノロジスト集団か、博多の方で有名なデータ分析系の企業どちらかに転職できる状態にあるらしい。僕はせめて東京に残って欲しかったが、先輩の人生、僕が口を出せる問題ではない。
 実は彼は、この会社に来る前にブラックな内定先の企業インターンで1日18時間近く何ヶ月も働かされた挙句、体を壊して内定取り消しにあっていたのだった。フルタイムで業務をこなしながら、ほぼ寝ずに企業に見せるためのポートフォリオを作り、転職時のテストのためにpaizaをやって、時にはチャーシューを作り、いつのまにか先輩は自分の人生をやり直していた。(チャーシューは関係ない)
 残された僕は呆然としてもいられなかった。これからは僕が一人でこの会社の管理システムをいじっていかなければならない。単なる社内SEのインターンだった僕だったが、先輩が辞める時点でITの事業部は僕と上司の二人だけになり、この上司はほぼマークアップとデザインに特化していたためスクリプトが書けるエンジニアは僕だけという状態だった。
 11月。先輩がいなくなった会社に、僕は魅力を感じなくなっていた。社内には開発の話ができる人もいない。先輩の技術力のたたき台になったほぼフルスクラッチ(WP)で書かれた管理システムのバグや仕様変更と向き合う日々。「このままじゃダメだ」と思った僕は、エンジニアのいろんなイベントに顔を出すことにした。その理由は色々あるが、また別の機会に話そうと思う。
 初めて行ったのはメイプルシステムズさんのもくもく会だった。そこで共通の知人がいたtashiroさん(@tashiro_rb)に出会い、僕は初めてエンジニアの知り合いが出来た。これを皮切りに12月から今日まで僕は色々なところに顔を出した。不定期の小さいイベントを除けば、YYPHPやペチオブ、平成.rb、あとはLaravel conferenceなども行った。(昨日はPHPerkaigiにも行った。)
 忙しい時期はインターンが週三、授業やサークルも週一であったが、週に一回は必ずどこかの勉強会やコミュニティに行った。行って質問をした。もう聞くことのできる先輩はいないからだった。
 そうこうしていると知り合いが増えた。その中で出会ったある人にフリーランスのコミュニティに誘われて、インターンとは別に案件を受けることになった。これが転機だった。僕は勉強会にいくペースを落として、案件をする時間に割いた。単に経験がないために時間がかかっただけだが、インターンがある日は朝五時に起きたりして通算で13時間コードを書いた。寝ない日もあった。
 一生懸命やっていた僕を、その案件を一緒にやったフリーランスのコミュニティの人たちはとても評価してくれた。この頃にはこのコミュニティはもうほぼ会社になっていたが、うちの社長は会社という仕組みがあまり好きではないのでこの表現は控える。僕はエンジニアの技術レベルで言うと最下層の人間だが、その姿勢を文字通り買ってくれたコミュニティの人たちは僕を端的に言うとヘッドハンティングしてくれた。
 僕としてはとても魅力的な誘いだった。ただ、業務委託契約として契約になる。僕はこのコミュニティが好きだった。好きな技術を使って開発をやりたいといえば責任は伴うものの、自由にやらせてもらえる夢のような環境があった。僕がとちっても一人で巻き取ってしまうような尊敬かつ信頼できるエンジニアがいた。このまま内定先に行っても僕はきっと保守運用がメインの業務で、開発という開発には携われないだろうと、すでに転職の準備を進めていた僕には渡りに船だったが、契約を結ぶなら開業してフリーになる方が都合がよかった。というか内定先は副業禁止だったのでフリーになる必要があった。

 僕は腹をくくった。少し悩んだが答えは実はすぐに出ていた。

「自分の身のことなんてどうでもいい、好きなことをして燃え尽きたい」

 僕はふと、Twitterのアカウントを作るときに読んでいた本を思い出した。醜く周りからも嫌われている鳥が、厳しい自然の世界に生きていることに耐えられず空を上へ上へと飛び続けて星になる話。

 僕はよだか。多分最期は星になる。


 あとがき

 ちょっとクサい言い回しがありましたが、我ながら良いオチがついた気がしております。昔は小説家になることが夢だった時期もありました。
 このように僕はフリーランスになろうとしてなったわけではなくて、「好きな人たちと好きなように好きなだけ好きなことをしてお金を稼ぐために必要だった」からこういう働き方になったわけです。プログラミングは僕にとって手段であり目的です。誰にも何にも邪魔されずにいろんな技術を触っていろんな物を作りたい。そういう環境を用意してくれた僕の今のコミュニティはまさに僕の理想の場所だと思います。あと、リモートだけど実質フルコミットなので仕事に困らない分普通のフリーランスとはちょっと違うかもしれないですね。
 対して経験もないくせにフリーという決断には賛否両論あると思いますが、まぁ僕の人生です。あまり気にせず、外野から見ている分には僕の人生は最高に面白いと思います。ちなみに僕の身近な人たちはありがたいことに割と受け入れて応援してくれています。
 あとうちのコミュニティ(会社)では常時エンジニアを募集してます、多分。リモートで副業したいとかあれば僕に声かけてもらえればあるいはと思います。

 最後に、こんな僕を引き入れてくれた会社のみなさんと、右も左もわからない僕が行ってもちゃんと楽しく参加できた、YYPHPやペチオブ、平成.rb…その他いろんなコミュニティ、イベントを作っている人たちに感謝です。
 こういうコミュニティがなかったら僕はエンジニアリングの面白さを見失っていたでしょう。
 本当にありがとうございます。


 さぁここからが人生の本番だ!
 やるぞー!!!

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