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ゆるいシーリア(シーリア企画)『メメント・マリー』 クロスレビュー

まだ、無名の劇団の知名度向上のため公演を観に行き一人10点満点でクロスレビューをするこの企画。
今回取り上げるのは2022年から活動開始したシーリア企画の番外公演ゆるいシーリア。
プロデューサー、作・演出家、デザイナー、漫画家という異なる立場の4人が集まったユニット。普段は漫画と演劇のコラボなどを上演しているプロデュースユニット。このクリエイター集団はどんな作品を作るのか。

『メメント・マリー』
プロデュース:山口敦子/作・演出:白瀬一華
(会場:イズモギャラリー)
出演:浦田かもめ /作曲・演奏:rio.
【あらすじ】
一人の女性はイマジナリーフレンドたちに語りかける。優雅な自分の生き方を喋るが言葉の端々から彼女の現実が透けてきて。

・公社流体力学(美少女至上主義者)
自分の世界に閉じこもっていた女性が外へ旅立っていく、シンプルなストーリーだがシンプルすぎて想定通り。つまり凡庸な話。この手の戯曲は難易度がとっても高い。簡単に物語が作れる分すぐに凡庸に落ちる。この作品も女性の自意識を描いている。自分の世界から飛び出ることを生前葬にたとえる。観客たちをイマジナリーフレンド観客を弔問客として扱う。この発想は見事、でもやっぱり着地は予想通りで結局凡庸の崖から這い上がることはできなかった。
物語だけ見るとそういう評価。ところがこの作品、というか演出家の白瀬は演出が抜群に面白い。
写真撮影可能という言葉を裏切らず。とにかく写真映えするシーンが多い。
俳優の身体に感情を宿らせ、瞬間瞬間でまるでコンテンポラリーダンスのような芸術的な光景を作り出す。観客に背中を見せる、髪やバッグで表情が見えない、そんなシーンに目を引かれる。体のシルエットを崩した立ち方、全てに主人公の言葉、もっと言えば詩が込められているのだ。物言わずとも我々は物語を感じ取れるのだ。
主演の浦田かもめの目がいい。優雅さに固執する主人公と反してこちらを射抜くような目。そんな女性が語り、暴れるのだ。抑揚とパワフルさ、相反する演技を見事に演じている。彼女が躍り暴れる姿の絶妙のユーモア。踊っていたら、立っていたソファーが勢いで傾きぶっ倒れた彼女が上手くソファーに着席する。この瞬間自体も最高だが、さっきまで暴れていたと思えないスンとした顔つき、最高。
また小道具の使い方も上手い、自意識の世界を下界へと戻すのがLINE。客入れ中から受信音を流して常に自意識世界の隣に置いている。眠りから覚ますのも、終盤の内容の聞こえぬ会話も見事に仕上げていた。
洋服も、バッグも、彼女の自意識の象徴としてあたりに散乱していく。
白いドレス、彼女が眠る中観客はそのドレスに薔薇を好きな場所につける。一人、一人席から立ちドレスに薔薇をつける。あれ、これってお焼香じゃん。なるほど、生前葬というアイデアをこのように生かすか、上手いなぁと呟く。
rioによるピアノの生演奏も、驚くほど作品にあっている。静謐な作品であれば音が邪魔になる場面発生してしまう。しかしこの公演ではそんなシーンは1秒も発生していない。女優とピアニストの二人芝居ともいえる、見事なコラボ。
そして、今回最大の小道具といえるのは場内整備の女性だろう。受付を担い観客を客席に誘導する彼女。この作品は1時間程度だが何故か途中休憩がある。その時に客席全員にお茶をふるまってくれる。ドレスに薔薇をつけるときも彼女が案内する。アットホームな公演だなぁ。ゆるすぎる気もするが、まぁこういうホスピタリティも楽しいな。
そしたら、終演後彼女が突然作品コンセプトを語りだす。やめてくれー無粋だ―、しかしそう思った時にはすでに最後のギミックの中にいる(というか終演してなかった)。主人公が彼女の話を止めたときに明かされる、何故彼女が作品コンセプトを語るか。それは彼女こそ主人公のイマジナリーフレンド “マリー” だから。茶をふるまったのも観客と同じ同じイマジナリーフレンドだったから。冒頭でさんざん脚本が凡庸と言っておきながら、ここで見事な一本背負いを食らった。すべては、友達である主人公の為。
イマジナリーフレンドたちが薔薇をつけたドレス。それを着た主人公は旅立って行く。その背中を押すマリー。展開は凡庸でも、公演の構造すべてを利用したギミックで見事なワンシーンへと作り上げる。
見れば見るほど点数が上がっていくが、いや待って。戯曲やゆるすぎる部分など欠点も多い。あげすぎちゃうの?と思ったが、点数なんてなんぼあってもいいですからね、と心のミルクボーイが囁いたので高得点あげちゃう
7点

・平井寛人(studio hiari、FUKAIPRODUCE羽衣)

はじめの10分間での感触はというと、耽美的な、とか、60年代後半のアヴァンギャルド的な絵作り、とか、そういう表面的なところだったわけだけど、主人公の元で圧倒的に現代的な呼び出し音、携帯電話の通知音が鳴り、それまでの虚構を裏切るような態度が滲み出てくると、そこからぐっと引き込まれた。
先に書いた印象を持ったのには、演出面でのちぐはぐさとか、どこか抜けている感じのある台詞、不完全に鮮やかな赤い舞台セットが、どことなく威風堂々とした佇まいであったから、これには感覚的な動機があるものだと思って、その印象に対しても疑念的に観る事が出来たのだけど、どれにも肯定的な筋立てを見出すことが可能で、結果的に親しみを持てて気持ちがよかった。
役者さんの演技面の切れ味もよく、陰りもありながら晴れやかに振る舞ってみせる様が赤いフィールドによく映えていたから、チェコ映画『ひなぎく』だったりの悪戯な感じに翻弄されれば良いのだろうかと最初は構えた。開演と同時に役者さん(この芝居は妥当に一人芝居である)が登場し、「やけにご機嫌なやつが出てきたな」と思わされたし、そのフィーリングで充分に楽しみうるであろう自信も舞台から見て取れた。

作品としては、夢見るものが、そこに本来の自分はいるとしながらも、加齢やつまらない環境から、つじつまがあわなくなっていくところで揺れ動く、というものであったと思うが、そのドラマはかなり素朴で、本公演においては、それ以上に見せ方についての冒険のところが大きかったように私は思う。
例えば美術の色合いに浮いているキーボード奏者とキーボードについて、キーボードから繋がるスピーカーをキーボードから離してもう少し真ん中に設置することで奏者の舞台上での実在感を減らす(音の出どころと演奏者が圧倒的に一緒にいて色合いとして浮き、音のバランスも左右に傾けることで、特に舞台上で顕在する)、などという選択肢ではなく、確かに奏者が舞台上に存在し続けさせられたり、プロデューサー兼制作と思しき女性が客席の目立つ位置に座し、60分のうち二度ある休憩時間に観客に向かって大きく機能する、あるいは可笑しみをもって聞こえる近くの出どころからの男の声、観客をイマジナリーフレンドとして見立てて進行する作り、これには一貫した狙いがあると思われた。

私とメーカー、キャラクターの関係性から、上記のところについて私は、PCフリーゲームを体験しているかのような種の面白味を今回覚えた。
途中の休憩時間には明らかに我々に選択「眠る or 眠らない」が課され、「眠らないのであればドレスに花を指す」というプレイングが要求される。観客がドレスに花を差したことでキャラクター及びにドラマに対して観客(キャラクターからするとイマジナリーフレンド)が干渉し、その後の展開を左右する。ラストの展開についても納得させられる。メーカー & 観客の関係性とキャラクター & 観客の関係性が明らかに違うことが示された上で、メーカーとキャラクターの名がそれぞれ明かされる。そこでこのクリエイションの総体的な意味づけがおこなわれ、この意味づけの示し方が普段クリエイターにとって苦難なところだと思うが、三者の関係性によって本作では気持ちよく試みを成功としている(私たちはイマジナリーフレンドとしてそれを見ても、プレイヤーとして見てもよい)。
批評家の東浩紀氏が15年程前に「ゲーム的リアリズム」を説き、受け取り手は、物語を読む以上にアイテムやコマンド、データベースを消費する意味を持ち、そこに没入感を抱くようになったみたいな旨のことを確か言っていたのを思い出した。それは作り手と読み手の視点の変化であり、フィクションの在り方の拡張と、回帰であったのだと思うのだけど、今回などは、非演劇的なものを演劇的に置き換えたものの一種であるように思えた。たまたま公社流体力学さんと同じ回を観ていたので、演劇とそうでないもの、について駄弁ったわけで、それについてはクリエイターが如何に自覚するかどうかみたいなところで私は落ち着いたのだけど、これはなにか、と、フリーゲームを高校の部室でやっていた時のラフなお菓子を思い出させるような、注文することで紙コップに休憩中に注がれて、プレイの合間を体験した時間の痺れを肌に残しながら、興味を持つ観劇体験を迎えられた(私は観劇のつもりで来ていたので)。
団体のHPを見ると、なにより、「余白」にまつわるプロジェクトとのことで、その上で感じられる演劇好き感が、今の私にとっては丁度よく観せてくれた。
まだ結成から間もない団体というので、これからどんなコンテンツをよりはっきりと見せてくれるのか、たのしみ。
好き度は、
7.5点

合計点数
14.5点

見事な高得点。
ギャラリー公演という小規模さを逆手に取った、見事なコンセプトで高評価。番外企画の時点でこうならば、本公演はどのような面白さなのか。今後に大期待。

平井寛人
(演出家、脚本家、作曲家。studio hiari代表、尾鳥ひあり主宰。FUKAIPRODUCE羽衣所属。普段は、事態が膿んで膿ませてぐっじゅぐじゅになったところから思うままにやってみる、というテーマで表現活動をしている。小劇場劇団のサポート事業、佐藤佐吉演劇祭初のショーケース「見本市」、バーで行う演劇ショーケース「
劇的」のプロデュース等を行っている。)

公社流体力学
(2015年旗揚げの演劇ユニットであり主宰の名前でもある。美少女至上主義啓蒙公演を行い、美少女様の強さを知らしめる活動をしている。やってることが演劇かどうかは知らんが10代目せんがわ劇場演劇コンクールグランプリ。
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