第523回「はだしで歩く」 4 【公式】臨済宗大本山 円覚寺 2022年6月13日 05:00 雨ふるふるさとははだしであるく山頭火の句であります。私の好きな句の一つであります。裸足で歩くということは、今の暮らしではほとんどなくなりました。時には靴を脱いで裸足であるくというのはよいものであります。京都から帰ったその日、そのまま自室にも戻ることなく、近藤瞳さんの地球を生きるワークショップに参加しました。僧堂の雲水達と一般の方もまじえてのワークであります。題は「地球46億年を感じる旅」というものです。何をするかというと、まず円覚寺周辺の山を近藤瞳さんと一緒に歩くのです。これは近藤瞳さんが、2016年、イギリスのシューマッハカレッジで体験したディープタイムウォークをベースにして、近藤さん独自の体験談・哲学・心理学などなど、あらゆる視野を投入して創作されたものだそうです。この学びを通じて、「今生きることが、自分が存在することが、どれだけ奇跡に溢れているのか」を実体験してゆくのです。ワークは「地球の歴史だけではなく、宇宙の誕生(138億年前)から」話が始まりました。そして歩きながら、今に至る地球四十六億年の歴史を辿る旅を約4.6kmの距離になぞらえて、歩きながら行ったのでした。円覚寺の裏山は六国見山というところで、小高い山になっていまして、そこを皆で歩いたのでした。歩くのに際して、近藤さんは、裸足で歩くといいですと仰いました。修行僧達は、ふだん裸足で生活していますので、すぐに裸足になっていました。一般の方々も修行僧の影響を受けてか、多くの方が裸足になって登ったのでした。そうなると、私も皆さんと同じく裸足になって登りました。この裸足で登ることに実に多くのことを学んだのでした。さて、四十六億年を4.6キロで歩くというと、一歩がなんと五十万年に相当するのだそうです。この一歩五十万年と思って歩くと重みを感じます。よく地球カレンダーというのがありますが、そのような感じで説明してくださいました。まずは地球がどのようにして生まれたのかということからでした。いろんな隕石がぶつかって集まってできたというのです。地球ができて一億年が経った頃、地球カレンダーでいうと一月十二日に月と地球が別れたというのです。これも大きい隕石が衝突したからだというのです。衝突、破壊から再生が始まるのだということでした。地球の歴史は、この破壊と再生の繰り返しなのだと学びました。近藤さんが興味深いことを教えてくれました。私たちが空を仰いで宇宙だと思って見えている星空というのは、宇宙の三パーセントだそうです。九十七パーセントはわかっていないのです。この九十七パーセントと三パーセントの割合はいろんなところで共通らしく、潜在意識と顕在意識もこの割合だそうです。六十兆あると言われる細胞のことも九十七パーンセンとはわかっていないのです。脳も三パーセントしか使っていないというのです。地球カレンダーの二月九日、四十一億年前に水ができたそうです。地球における水の割合と人体における水の割合とはだいたい同じようなものだそうです。地球カレンダーの二月二十五日、最初の生命が生まれました。微生物だそうです。微生物は私たちの原形のようなものですから、これと今も共存して生きているというのです。五月三十一日で酸素ができました。二十四億年前、六月後半には、氷河期だったのでそうです。二十一億年前にあたる七月十日に細胞に核を持つ真核生物が誕生しました。これによって生命に多様性が生まれたのです。十一億年前にあたる九月二十七日、多細胞生物が生まれました。六億年前にあたる十一月十四日、オゾン層が形成されて、有害な紫外線を遮ってくれるようになりました。しかしこの頃もまだ微生物だったのです。五億年前にあたる十一月二十日、生物が多様化して魚類が現われました。十一月二十八日頃、魚類から両生類に別れて陸にあがるようになりました。この海から陸にあがる時にできたのが、肺であります。肺は内臓のなかで唯一、人間が意識して動かせるものであります。ちなみに人間は母親の胎内にいる間に、魚類から両生類、は虫類、哺乳類へと進化を遂げてゆくのだそうです。つわりが起きる頃というのは、海から陸にあがるときだというのでした。十二月十三日、恐竜が現われて恐竜の時代になりました。最古の哺乳類はネズミのような小さいものだっだそうです。十二月二十七日あたりから哺乳類が繁栄しました。十二月三十一日になってようやく人が現われました。今の人、ホモサピエンスは午後十一時40分頃なのだそうです。午後十一時五十八分五十二秒から農耕牧畜が始まったそうです。五十九分三十秒になって宗教が始まりました。五十九分五十八秒で産業革命、地球カレンダーではたった二秒でこれだけの産業を発達させたのです。最後に近藤さんは三つの大切なことを教えてくださいました。一つ目は、今ここに生きていることは奇跡であるということ。長い長い宇宙の営み、地球の歴史の末に今ここに生きているのです。二つ目には、自分のペースで生きること。裸足のペースが自分のペースだと教えてくれました。何度も登った裏山の六国見山なのですが、私も裸足で登るのは初めてでした。裸足ですと、足下に注意しながらゆっくりと登ります。登る前に近藤さんが、上を見ずに足下を見つめながら歩きましょうと仰いました。先を見るのではなく、足下の一歩一歩を見ながら歩くといつのまにか頂上に着くというのです。そう言われずとも裸足ですと、けがしないように足下に注意するので、本当に気がついたら頂上だったのです。それから靴を履いて登るよりもずっとゆっくりと歩くようになりました。このペースを忘れてしまっていると反省しました。三番目には地球上にあるものはみんなもともと一つのものだということ。同じように進化発展してきたもの同士なのです。特に裸足で歩いた感覚は忘れられません。足の裏全体がよい刺激になりました。体が活性化した思いでした。いろんな悩みや苦しみなどは、裸足で森を歩くとかなり消えるのではないかと思ったのでした。 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺 #毎日更新 #鎌倉 #禅 #円覚寺 #呼吸瞑想 #管長日記 #地球を生きるワークショップ 4 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート