第1227回「第二の人生」

昨年の春に、六十歳の修行僧が二人入門してきました。

私にとって、六十代の修行僧が入門するのは初めてであります。

五十代で修行に来た人はかつておりましたが、六十歳というのは厳しいものがあると思いました。

一人は同じ臨済宗でも妙心寺派の方であります。

妙心寺派では、第二の人生プロジェクトというものを行っています。

今地方のお寺で後継者がいなくなっているのが大きな問題となっています。

お寺といっても檀家も少ないと、そこで家族を養ってゆくのは困難となります。

そこで定年を迎えた方に声をかけようという考えです。

六十で定年を迎えてもそのあとまだ人生は長いものです。

ただ問題となるのが、臨済宗の場合修行道場で修行しないと、住職としての資格は認められないことです。

実際に私が今まで修行道場で勤めてきて、五十代でもよほど元気な人でないと難しいと思っていました。

特に私のところの修行道場では、二十代の若者がほとんどですから、年配になると体力的に厳しいところがあります。

妙心寺派の方と、もう一人は円覚寺派の方であります。

円覚寺派の地方のお寺で、住職の娘さんと結婚されてはたらいていたのでした。

住職は師匠であると同時に義理の父にあたります。

二人とも私より年が一つ上でありますから、久しぶりに自分より年上の修行僧を預かることになりました。

今回は、この二人をなんとかして修行生活が送れるように最大限の配慮をしたつもりであります。

後継者が不足して困っている状況で、貴重な人材であります。

また元来禅の修行に年齢は関係がないはずなのです。

六十代でもできないとおかしいという思いがありました。

ちょうど修行道場もコロナ禍を通じて、修行の形態も大きく変化しました。

修行道場に長くいるからといって高圧的に指導することもなくなっています。

今の修行僧たちならなんとか受け容れてくれるのではないかと思いました。

こちらがいろいろ配慮したといってもやはり庭詰や旦過詰というものは経験してもらわないと入門したことになりません。

「庭詰」というのは、修行道場の玄関で頭をさげて二日間ほどお願いするものです。

そのあと旦過詰が三日間あります。

狭い部屋に入ってひたすら坐り続けるのです。

円覚寺の場合庭詰二日旦過詰三日かかります。

これだけでもたいへんであります。

二人とも途中で体調を崩したりしたこともありましたが、一年間頑張って勤めてくれたのでした。

円覚寺派の場合小さな寺であれば修行道場に一年いれば住職の資格をとることができるのです。

円覚寺派の方は、もと法務省に勤めていて少年鑑別所、少年院、そして刑務所に三十八年務められたのでした。

結婚された相手が寺の次女で、お寺の傍に住いながらお勤めされたのでした。

住職はもう高齢なのです。

他に跡取りはいませんので、なんとか自分がやらないとと思ったそうなのです。

そこで六十歳で定年を迎えての修行となったのでした
先日一年勤めて無事にお帰りになるので、その前に修行して感じたこと、これまでのご自身の人生などについて少し話をしてもらったのでした。

はじめは体力的にももつかどうか不安ばかりだったと言っていました。

そうだろうと思います。

若い者でも厳しいのです。

それでも頑張ってくれました。

若い修行僧達にも良い経験になったと思います。

私は六十代の修行僧を受け容れるにあたって、修行僧たちには、長い人生経験を積んだ方なので、尊敬の心をもって接するように言いました。

修行道場は年功序列のはっきりした世界で、年が上でも早く入った者が先輩となるので、高圧的になったりすることがよくありました。

これはよくないので、序列があったとしても、年配の方には敬意をもって接するように言ったのでした。

そうしてどうにか無事一年の修行を務めてくれたので、いろいろ感じたことを話してもらったのです。

修行道場に来て良かった点を四つあげて話をしてくださいました。

まず第一は、多くの人に出会えたことだというのでした。

年齢は自分の半分にも満たない若い人たちと一緒に坐禅し、作務という労働をしてくれたのでした。

そうして新しい発見があったと言っていました。

若い人は、今いろいろと言われますものの、寺の子というプレッシャーと戦いながら修行している姿に接して自分も頑張らねばと思ったというのです。

これは、若い者も、自分の親の年齢で修行しているのに接して頑張らねばと思ったことでしょう。

どんな本を読んで学ぶよりも、こうして多くの方に接して素晴らしいこころ打たれる経験をすることができたと言ってくれていました。

第二には、円覚寺ではいろんな外部の講師を呼んで学んでいますので、外部の方の話を聞いて学ぶことができたことをあげられていました。

無理なく坐禅できるように身体技法などもかなりいろいろ学ぶようにしてきました。

いろんなことを学んで自分に合うものを取り入れてきたというのです。

腰の痛みを感じておられたので、スワイショウが腰にきいてとてもたすかったと言ってくれていました。

外部の先生方に聞いて学んだことはよい財産となったと言っていました。

これは、いろんな方に来てもらって勉強するようにして良かったとしみじみ思いました。

三番目には、まわりをよく見ることの大切さを学んだことだというのです。

その時々の状況を見ながらよく判断することが大事だと、これは常に指導してきたことであります。

四番目には、私に出逢えたことをあげてくれていました。

これは私もその場で聞いていたので気を使ってくれたのだと思います。

それでも私がいつも修行僧のことをよく見ていて腰が悪そうだとすぐどうしたらいいか教えてくれたりしてくれたことを言ってくれていました。

とてもとても十分とは言えませんが、気をつけるようにはしているつもりであります。

私が修行僧達を見てその人その人に応じて声をかけたり指導したりしているのを見て感銘を受けたと言ってくれていましたが、とても十分ではありません。

むしろ、私ごときものの傍で修行できてよかったと言ってくださる心配りにこちらが恐れ入ったものです。

悪かったこと改善すべきこともいろいろ指摘してくれたので参考になりました。

最後にここの僧堂に来て、暴力暴言は一切なかったことはよかったと言ってくれました。

注意をされるにしてもその行為について、それはいけないというだけなので、よかったというのです。

これは長年指導してきて心がけてきたところです。

修行道場で戸惑ったこととして、いろんな注意を受けて、「キョロキョロしてはいけない」と言われたかと思うと「まわりをよくみなさい」と言われたり、「急ぐように」と言われたり「バタバタしないように」と言われたり、どっちなのかと迷うこともあったそうです。

そんな時には私が坐禅堂に入り口の近くに書いている山本五十六の言葉を読んでは納得してきたというのでした。

苦しいこともあるだろう。  
言い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。 
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが
男の修行である。

という言葉であります。

最後に若い修行僧たちに言ってくれていました。

修行道場も理不尽なことはないように勤めてきていますのでかなり改善されたとは言え、やはり理不尽なと思うようなこともあります。

そこで社会に出ると実際にはもっと理不尽なことがたくさんあると話してくださいました。

ご自身が法務省に勤めてきて、クレームの対応などはそうだったと言っていました。

理不尽だと思ってもまずあやまるしかないときもあるのです。

終わりには皆さんと一年頑張れたことは大きな自信になりましたと謙虚に語ってくださいました。

もう一人の六十代の修行僧は道場を出てなんと四国遍路に旅立ちました。

それぞれ第二の人生を歩んでおられる姿には頭が下がります。

私も一層精進しなければ思うのであります。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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