第1277回「三種類の慈悲」

先日久しぶりにライブ配信をおこなっていました。

夢窓国師の「三種の慈悲」について話をしました。

夢窓国師は、円覚寺にとってとても大事な方で、第十五代目の住持であります。

夢窓国師は一二七五年に三重県の伊勢で生まれています。

一二七五年というのは、一度目の元寇である文永の役の明くる年にあたります。

まだ円覚寺に無学祖元禅師がお見えになる前であります。

岩波書店の『仏教辞典』に簡潔にご生涯が解説されていますのでそのまま引用します。

「1275(建治1)ー1351(観応2) 

臨済宗の僧。夢窓は道号、疎石は諱。伊勢(三重県)の出身。

はじめ天台・真言を学びのち禅を修し高峰顕日の法を嗣ぐ。

嗣法ののち十数年、人里離れた地に草庵を転々とした。

その後、南禅寺・円覚寺などに住持となり帰依する者多く、天竜寺はじめ多くの寺を開き、また足利尊氏(1305-58)にすすめて鎌倉末以来の戦乱に落命した人々の菩提のため全国に安国寺・利生塔を建てさせた。」

という通りであります。

禅宗に転じるきっかけについて『夢窓国師語録』には次のように書かれています。

「永仁元年癸巳、師、十九歳 密教を学び兼ねて台講を聴く。其の講師病を得て忙然として死す。師は見て忍びず。」

密教は真言の教え、台講は天台宗です。

十九歳のときに仏教学の講義を聴いていました。

その先生が病気になって、茫然自失になって亡くなってしまったのです。

その死に様が悲惨で、見るに忍びなかったと書かれています。

そこで思ったのは、仏法は真言宗とか天台宗とかいろいろあるけれども、その目指すところは煩悩の世界を出て仏道を会得するにあるだけですが、自分の先生は普段は仏教学についての知識が非常に深かったけれど、いざ死に臨むとなると狼狽して、仏教学の知識が一文字も役に立たなかったと気がついたのです。

それによってわかったのでした。

仏法は学問を学んで至るところではないということがはっきりしました。

禅宗というのは教外別伝といって教えや文字の外に伝えることがあるという、これにはきっと訳があるはずだと思ったのでした。

あれだけ学んでいたのに、死ぬときに学問が何の役にも立っていないと気づいたのです。

結局、経典や書物を読むだけでは、生死の世界を超えることができないということを知り、教えや文字以外に伝えるものがあるという禅に気持ちが惹かれていくのです。

仏国国師について修行したあとも諸方を転々として、五十一歳のとき、後醍醐天皇の勅命を受けて上洛し、南禅寺に住しました。

南禅寺は亀山上皇のお建てになったお寺で、京都五山の上に位置するお寺だといわれるようになった格式の高い寺です。

『仏教辞典』には、

「夢窓は思想的には柔軟で禅密兼修と見られ、性格は隠逸を好むが温順柔和である。

人々に対しては各人の能力に応じた方便を用いて理路整然と、かつ諄々と説き示し、人を感ぜしめること深く、朝野の帰依を一身に集めて広く社会を教化した。

弟子1万3千余人といい、その法系の夢窓派(嵯峨門派)は室町五山禅林の主流となり、夢窓の号のほか国師号を7代の天皇より賜り七朝帝師(国師)という。作庭にもすぐれ西芳寺・天竜寺をはじめ諸寺に残る名庭と共に造園史にも名を残す。」

と書かれています。

その夢窓国師の『夢中問答』にこんな問答が残されています。

講談社学術文庫『夢中問答』にある川瀬一馬先生の現代語訳を引用します。

「問。自分自身がもし煩悩から離脱しなければ、他人を悟りに導くこともできない。それなのに自身をさしおいて、先ず第一に衆生のために善根を修めるというのは、理屈が通らないのではないか。

答。 衆生が生死の迷いに沈んでいるのは、我が身にとらわれて、自分のために名利を求めて、種々の罪業を作るからだ。

それ故に、ただ自分の身を忘れて、衆生を益する心を発せば、大慈悲が心のうちにきざして、仏心と暗々に出会うために、自身のためにと言って善根を修めなくとも、限りない善根が自然によくそなわり、自身のために仏道を求めないけれども、仏道は速やかに成就する。

それに反して、自身のためばかりに俗を離れようと願う者は、狭い小乗の心がけであるから、たとい無量の善根を修めたとしても、自分自身の成仏さえもかなわない」というものです。

そして次に三種の慈悲について説かれています。

「慈悲に三種ある。

一つには衆生縁の慈悲。二つには法縁の慈悲。三つには無縁の慈悲である。

衆生縁の慈悲と言うのは、眼前に生死の苦に迷っている衆生がいるのを見て、これを導いて世俗の煩悩から離脱させようとする慈悲で、これは小乗の菩薩の程度の慈悲である。

自身ばかり離脱を求める声聞・縁覚二乗の考えにはまさってはいるが、まだ世間の迷いの世界を断ち切れない考え方に陥っていて、他に功徳を及ぼそうとする相を残しているが故に、真実の慈悲ではない。

「維摩経」の中に、眼前の姿に心を引かれる大悲だとそしっているのは、これである。

法縁の慈悲と言うのは、因縁によって生じたありとあらゆるものは、有情非情すべて皆、幻に現われたものと同じだと見通して、幻のごとき一切の無実を救おうとの大悲を発し、如幻の教えを説いて、如幻の衆生を救い導く。

これがすなわち、大乗の立場にある菩薩の慈悲である。

しかしながら、かような慈悲は、目の前にある姿に捉われる心から離れて、眼前の姿に心を引かれた大悲とは異なっているが、なおも如幻の相を残しているが故に、これもまた真実の慈悲とは言えない。

無縁の慈悲と言うのは、悟りを得て後、もともと見えている本性のよき働きの慈悲が現われて、教化しようという心を発さなくて自然に衆生を導くこと、あたかも月がどこの水にも影をうつすがごとくである。

この故に、仏法を説くのに、口に出すとか出さぬとかという違いもなく、人を悟りに導くのに役に立つとか立たぬとかの区別もない。かように無条件に徹底しているのを真実の慈悲と言うのだ。」とあります。

月がどこの水にも影をうつすように無心に人を導いていく、夢窓国師はそんな慈悲の方であったと思います。

夢窓国師のことを学び直しているところなのであります。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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