第1206回「どうしたらいつもニコニコしていられるか」

修行道場での入制大摂心では、坐禅もはじめてという修行僧もいるので、天台小止観に説かれている坐禅の心構えについて講義しています。

松居桃樓先生の『微笑む禅』は松居師が天台小止観を分かりやすく説かれたものです。

昭和五十三年四月から五十四年三月までNHKラジオで講話されたものがもとになっています。

私はまだ十三歳から十四歳にかけての頃でしたが、ラジオで勉強していたものです。

はじめに七仏通誡の偈を松居師は分かりやすく

一粒でも播くまい、ほほえめなくなる種は
どんなに小さくても、大事に育てよう、ほほえみの芽は
この二つさえ、絶え間なく実行してゆくならば、
人間が生まれながらに持っている、
いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむ心が輝きだす
人生で、一ばん大切なことのすべてが、この言葉の中に含まれている

と説かれています。

そして更に、

「人間は、どうしたらニコニコになりきれるか?

ひと口にいえば、「感情を波だたせないこと」と、「思考力を正しく働かせること」の二つきり。

なぜならば、よきにつけ、あしきにつけ、何かが気になってたまらないのは、あなたの感情が、波だっている証拠。

ああか、こうか、と迷うのは、思考力が正しく働いていないからだ。

感情が波だっていては、色めがねでしか、ものが見えず、思考力が正しく働いていないと、もののうわべしかわからない。

感情が波だっていなければ、どんなことにも動揺せず、思考力が正しく働いておれば、如何なる難問題も解決できる。

あなたが、感情をしずめ、思考力を正しく働かせることができたならば、自分もしあわせ、周囲の人々もしあわせ。何をやってもまちがいない。

以上のことからでも、わかるように、「感情を波だたせないこと」と、「思考力を正しく働かせること」は、いつでも、どこでも、なにものにも、ニコニコできる第一歩。理想的な人間になる最短距離。

人類平和の帰着点。人生最高の幸福をつかむ根本原理。あだおろそかにすべきでない。」

という言葉はとても説得力のあるものです。

その為に『天台小止観』には、はじめに二十五の方法が説かれているのです。

二十五のはじめの五つが五縁として説かれています。

それを松居師は分かりやすく、『死に勝つまでの三十日 天台小止観講話』のなかで、

一、いつもニコニコ
二、キモノとタベモノに対して感謝の心を
三、なるべく感情を波だたせないような生活の場を
四、今までのモノの考え方を白紙にかえそう
五、純粋な人間関係だけを

と説かれているのです。

原文では

一、持戒清浄
二、衣食具足
三、閑居静処
四、息諸縁務
五、得善知識

という五つなのですが、実にわかりやすく訳されています。

「第一、いつもニコニコ」について、

「感情をしずめ、思考力を正しく働かせる練習の第一歩は、<いつもニコニコ>。」

しかし、そうはいっても人間はほほえめなくなる種を知らず知らずにまいてしまっています。

そこで松居師は、

「では、ほほえめなくなるタネをまいてしまったらどうするか? それには、まず、次にあげる十ヵ条を、頭のなかで、くりかえし、くりかえし反省すること。」

というのであります。

それではその十カ条をみてゆきます。

その概略を引用します。

「一、ほほえめなくなるタネは、どこから来るか?
この世の生きとし生けるものが、何億万年の昔から、先祖代々、みんなが共通にもっている死の恐怖からのがれるためのモガキなのだ。だから、その死の恐怖を克服しなければ、自分ばかりか、全人類の、本当のほほえみは生まれてこない。

二、<ほほえめなくなるタネ>は、どこまでのびるか?
人間同士が、このまま〈ほほえめなくなるタネ〉をまきあっていたら、しまいには、全人類が破滅するような、恐ろしい闘争の渦巻きになってしまう。

三、人間にとって、なにが一番、危険なことか?
現在、自分自身がほほえめなかったり、ヒトをニコニコさせられないこと。なぜならこの世の生きとし生けるものの中で、人間だけができる 〈ほほえみ〉とは、死の恐怖を克服して、感情を波だたせず思考力を正しく働かせることができる状態にある時の表情なのだ。だから、もし、今、誰かが、ニコニコできないでいるとすれば、その人は、人間としての価値を失って、ただの動物に逆もどりしている証拠なのだ。

四、誰かが、現在、ニコニコしていないとしたら?
自分自身にせよ、他人にせよ、その感情の波だちを、少しでも早くしずめるように、あらゆる手段を講じよう。

五、今までの、まちがいを、どうやって発見するか?
過去にまいてしまった〈ほほえめなくなるタネ〉を思い出して、「なるほど、あんな場合でも、お互いにニコニコできる解決方法があったかも知れないなぁ」と考えなおすこと。

六、ほほえめなくなるタネはどうやって絶やすか?
今まで犯したアヤマチが、間違っていたとわかったら、それでいい。すんでしまったことは、いつまでもクヨクヨせずに、すっかり忘れて、「今から後は、どんな小さなひと粒でもほぼえめなくなるタネは、絶対にまくまい」と決心すること。

七、ほほえみの芽は、どうやって育てるか?
今から後は、自分自身がほほえんだり、ヒトをニコニコさせられる機会があったら、どんな小さなものでものがさずに、必ず実行しようと決心すること。

八、どうやって全人類をほほえませるか?
できるだけ多くの、ニコニコの同志を作り、お互いに、ニコニコできる方法を工夫したり、励ましあうこと。<ほほえみ>は、あなた一人が、ニコニコ暮すだけでは意味がない。全世界の人間が、一人残らずニコニコできるようにならなければ、結局、自分自身のニコニコさえもできないのだ。

九、どうしたら、いつもニコニコできるのだろうか?
あなたが、どうしてもほほえめないような破目に追い込まれたら、心の中で、「ほほえみたくても、ほほえめないで苦しんでいるのは、この世に自分一人ではない。過去、現在、未来にわたって、いたる所で、自分と同じ気持の人が、一生懸命ほほえもうと努力しているのだ」と、自分で自分を励ますこと。

十 <いつもニコニコ>に徹しきれると、どうなるか?
人間が、ビクビク、イライラ、クヨクヨするのは、自分とヒトの区別をして、「自分だけが生きのびよう」「幸福になろう」と欲張るからだ。
「自分と宇宙は一体だ」という気持になって、いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむくせをしっかりつければ、この世に不安も苦しみも存在しなくなり、いつの間にか、〈死の恐怖〉まで克服できる。そして、そういう心境になりきれることこそ、人生最大の幸福なのだ。」

と実に丁寧に説かれています。

『死に勝つまでの三十日 天台小止観講話』は『微笑む禅』よりももっと古く一九六六年に刊行された本です。

ほほえみにどうしたら徹することができるのか、これは容易なことではありません。

それでもやはり毎日いつでもどこでも微笑むことができるように努力したいものです。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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