第1197回「バカバカしい事を楽しむ」

先日は、アメリカのウパヤ禅センターからハリファックス老師ご一行がお越しくださいました。

二十数名の方々でいらっしゃいました。

うかがったところによると、その前の日に日本に着いたところらしく、都内で泊まって、朝ホテルを出て円覚寺にお越しくださったのでした。

ハリファックス老師は、八十才を越えていらっしゃるのですが、とてもお元気であります。

今回のご一行の中には、棚橋一晃さんがいらっしゃいました。

棚橋先生のお名前は、ティク・ナット・ハン師の本を日本語訳されていたりしますので、存じ上げていました。

お目にかかるのは初めてです。

うかがうと、もう九十才になられるのです。

とても矍鑠としていて、なんと私の話す日本語を英語に訳してくださっていたのでした。

ハリファックス老師をはじめあちらの方々が英語で話す言葉を、木蔵君子さんが日本語にしてくださっていました。

バスで予定より早く到着されましたが、総門までお迎えに行きました。

久しぶりにお目にかかるハリファックス老師、明るくお元気です。

山門や、仏殿、そして選仏場をそれぞれご案内しました。

私の話を棚橋先生が英訳してくださいます。

仏殿の中では、ハリファックス老師は丁寧に五体投地の三拝を捧げられました。

それから宗務本所にあがって、お茶を召し上がってもらい、暫時休息してから、舎利殿開山堂をご案内しました。

私は挨拶をするのに、自分で書いた文章を英語のできる方に英訳してもらって、下手な英語で歓迎の挨拶をしました。

どれほど通じたか分かりませんが、下手でも一所懸命にやれば心が通じるものだと思って行ってみたのでした。

舎利殿については、教学部長の蓮沼直應先生が、ご説明くださいました。

舎利殿でもハリファックス老師は恭しく五体投地の礼拝をなさっていました。

今北洪川老師のお墓がございますので、そこにもお詣りしてもらいました。

それから開山無学祖元禅師のお墓が山に登ったところにありますので、お若い方には登ってお詣りしてもらいました。

開山堂は中にはあがれませんので、階段の下から拝んでもらいました。

そして禅堂をご案内して、ハリファックス老師のご要望で、特別に毎日修行僧たちと禅問答をしている部屋をご覧いただきました。

修行僧達が礼拝する場所のござが擦り切れていて、そんなところに関心があるようでした。

そうして、信徒開館に戻ってお昼のお弁当をいただいて、それから質疑応答のディスカッションを行いました。

いろんな質問がございました。

今世界では、地球環境の問題、ビジネスの問題、政治の問題などさまざまな問題がありますが、どのように対処しようと考えるかという難しい質問がはじめにありました。

地球環境といっても自己と別物ではなく、自分自身のことだととらえていますので、自分を調えることだと答えしました。

修行僧達を無心の境地に導くのに何を心がけているかと聞かれました。

無心の境地に導こうなどと思った時点で無心ではありません。

こちらが無心であることだけなのです。

修行僧の指導などはまさにそうなのです。

何か特に導こうなどと思うとうまくゆきません。

それよりこちらが常に無心でいることなのです。

医療者は仏教から何を学ぶのかという質問がありました。

医療に携わっている方からの質問でしたので、それはこちらからうかがいたいところですと申し上げました。

ちょうどお昼のお弁当をいただいた後だったので、私は、先ほどのお弁当でもご飯から何を吸収し、おかずから何を吸収するか、全く考えなくても、ちゃんといろんなおかずやご飯の中から、身体に必要なものを身体は自ずと吸収し、必要でないものは排出しています。

そのようにただ無心に出会った教えを学んでいれば必要なことは身体で吸収してゆくと思いますと答えたのでした。

死にゆく人と共にあるときに、どんなことを説くのかという質問がありました。

今回来日された方々は、死にゆく人を看取るお仕事をなさっている方が多いようでした。

死にゆく方に、何かを説いて聞かせようなどと思わないことですと申し上げました。

手を握ることができれば手を握ってあげて、ただ呼吸を合わせて息をするだけだと申し上げました。

そうしているうちに何か心の底から湧いてきたら、それを言えばいいのでしょうと申し上げました。

質問されたのは、多くの方の死に立ち会ってこられた方だそうです。

その方に逆にうかがうと、聞くことはもっと多く、話すことはもっと少なくと仰っていました。

じっと耳を傾けることが大事なのです。

エンゲイジドブディズムについても聞かれました。

エンゲイジドブディズムとは、仏教徒が社会問題についても深く関わることを言います。

この社会に参加していない人間はいないと私は申し上げました。

たとえ山の中で一人畑を耕していても、この社会に参加していることになります。

それから公案についてもとても興味があるようでいろんな質問を受けて答えていました。

公案を用いて禅問答をするのに、よく老師と呼ばれる方は修行僧が部屋に入ってくるだけで出来ているかどうか分かるものだと聞いていました。

修行を始めた頃はそんなことがあるのかなと思っていましたが実際に自分が行うようになるとまさにそんな想いを強くします。

長く坐禅していると、自分と外との境界線が曖昧になってきます。

この部屋いっぱい、いや外の廊下まで自分自身となってゆきます。

そこに誰かが入ってくると反応するものです。

こちらはただ無心に坐っているだけなのです。

曹洞宗と臨済宗との修行の違い、通じるところは何かと聞かれました。

よく問題にされるところです。

その方はアメリカの曹洞宗で指導的な立場にあるらしく、私は、曹洞宗の方が臨済はどんなのかなどと考える必要はないと申し上げました。

自分のいる場所をただひたすら深く掘り下げてゆくと、必ず他と相通じるところに出るはずだと伝えました。

曹洞宗なら曹洞宗の只管打坐を脇目も振らずにただ掘り下げてゆけば、必ず臨済の禅にも通じるようになると申し上げました。

公案の修行を終えた老師は、どんな修行をするのかと聞かれましたので、公案は終わってはいないと答えました。

生きとし生ける者の苦しみをどうしたらいいのかというのが最も大きな公案です。

永遠に終わらない、解決しない公案と言ってもよいでしょう。

それをひたすら抱き続けて坐っているのです。

いろんな質疑応答があった後、最後に私から質問させてもらいました。

ハリファックス老師も棚橋先生もとてもお元気そうにみえて、長くお元気でいらっしゃる秘訣はありますかと問うたのでした。

これは是非うかがいたいところです。

棚橋先生は、まず少食をあげられていました。

現代人はやはり栄養過多になってしまう場合が多いようです。

それから二つ目は時間さえあれば、身体を動かしているというのです。

そして三つ目は、早く歩くことでした。

早く歩くというのは、文字の通りです。

マインドフルネスではゆっくり歩きます。

それが早く歩くようになって身体もよくなったと言いました。

ゆっくり歩くのもいいことですが、早く歩くのもいいのです。

どちらかにとらわれるとよくありません。

ハリファックス老師も元気な秘訣を三つ教えてくださいました。

一つは深い自然環境の中にいることだそうです。

ハリファックス老師がふだん暮らしていらっしゃるの山の中の禅堂は、電気も水道もないそうです。

水道もないので、雨水をためて暮らしているとのことでした。

そんな自然の中にいることだというのです。

二つ目は、全くのひとりぼっちでいることだと仰っていました。

とても社交的に見える老師ですが、一人でいることも大事にされているのだと分かりました。

三つ目に感動しました。

バカげたことをすることだというのです。

バカバカしいことを楽しむというのでした。

あまり深刻に考えすぎない方がいいのだと仰っていました。

とても楽しく拝聴しましたが、禅センターの方がハリファックス老師がお元気なのは、菩薩戒をたもち、この世の苦しみを取り除くために懸命に生きておられるからだと話してくださいました。

その通りだと思いました。

今後のアメリカの禅について問われたので、日本の禅も中国の禅から随分変化して発展したことを申し上げました。

今の日本の禅というと、枯山水の庭とかわびさびの茶道などを関連づけて思いますが、これらは中国にはなく日本独自の禅として発展したものです。

アメリカの禅も日本とは違う新たなものを作り上げてくださいと申し上げて懇談も終わったのでした。

久しぶりにハリファックス老師にお目にかかって元気をいただいたのでした。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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