第1372回「松を栽える」

十月三日の開山忌も無事に終えることができました。

円覚寺では、一週間以上も前から、あれこれと支度をします。

一山あげての大行事であり、終えるとホッとします。

考えてみると、この行事も管長として十五年も務めたことになります。

毎年心配するのがお天気であります。

円覚寺の開山忌は、いつの頃からか、「泣き開山」と呼ばれるほど、よく雨が降るのです。

今年は、特に四年に一度の巡堂という行事を行います。

巡堂は、外を回るので、お天気は気になるものです。

十月一日に巡堂の稽古をしていた時点では、三日の午前中大雨という天気予報で、これはもう外を回るのはあきらめて、佛殿の中で行うように習礼をしたのでした。

ところが、仏天の加護というのか、三日の日はよいお天気になりました。

そんなに暑くもなく、心地よい秋の風が吹く中おつとめすることができました。

開山忌には、私も管長として正装して、境内を歩きます。

先導の方々がいて、何人も行列を組んでゆっくりと歩くのです。

開山堂のある正続院にもゆっくりと入ってゆきます。

いつものならサッサと歩いているのですが、ゆっくりと歩いているといろいろ気がつくことがあります。

正続院に植えた松の木が立派に育っていることに改めて気がつきました。

正続院という開山様をお祀りしているところに住んで、もう三十数年になります。

三十数年もいると枯れてしまう木もあり、そこに新しく植えた木もあるものです。

いくつかの木を私も植えているのですが、松の木は二本植えたのでした。

これがそれぞれ立派に根付いていて、ああ松の木も育ったなと感慨深く眺めていました。

松を栽えるというと、なんといっても臨済禅師のお言葉を思います。

臨済録にある話であります。

こちらは岩波文庫の『臨済録』にある入矢義高先生の現代語訳を参照しましょう。

「師が松を植えていると、黄檗が問うた、

「こんな山奥にそんなに松を植えてどうするつもりか。」

師「一つは寺の境内に風致を添えたいと思い、もう一つは後世の人の目じるしにしたいのです」、そう言って鍬で地面を三度たたいた。

黄檗「それにしても、そなたはもうとっくにわしの三十棒を食らったぞ。」

師はまた鍬で地面を三度たたき、ひゅうと長嘯した。

黄檗「わが宗はそなたの代に大いに興隆するであろう。」」

という問答であります。

『臨済録』には松の木を栽えたことになっていますが、『景徳伝灯録』には杉を栽えたことになっています。

どちらにしても常緑樹であることが重要です。

『論語』に「子の曰わく、歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るることを知る。」という言葉があります。

岩波文庫の『論語』には、金谷治先生が、

「気候が寒くなってから、はじめて松や柏(ひのき)が散らないで残ることがわかる。(人も危難の時にはじめて真価が分かる)」

と訳してくださっています。

「松は冬も凋まぬ貞潔の象徴として、法統の連続不断を暗示する。」とは『臨済録訳注』にある衣川賢次先生の解説であります。

「嘘嘘」の声というのはよくわかりにくい言葉です。

岩波文庫『臨済録』には「喉の奥から息を長く吐きながら鋭い音を出す。つまり長嘯すること。」という解説があります。

大法輪閣の『臨済録訳注』には、

「「シッ、シッ!」。「嘘!嘘!」は不満、制止を示す擬音語。

相手の対応を認めないしぐさ。ここで義玄は黄檗に対して超師の気概、自信のほどを示している。」

と解説されています。

「ゆっくり息を吐きながら喉から出す鋭く細い声」というのは『禅語辞典』にある解釈です。

『諸録俗語解』には「嘘声」として嘘は「唇を蹙(すぼめる)し気を吐くを吹と曰う、口を虚して気を出だすを嘘と曰う」。「口を少し開いて、ホヲと云う声」なり。」と解説されています。

山田無文老師の提唱を拝読してみましょう。

禅文化研究所の『臨済録』から引用します。

「「こんな山の中へ松を植えて、どうするんじゃ。つまらんじゃないか」

そう言われると、臨済、

「一つには山門の与に境致と作し、二つには後人の与に標榜と作さん一つには、この境内の境致を奥ゆかしくしていこうと思います。

二つには、後輩たちの手本になるように植えておくのです」

臨済はこう言うておいて、鍬の頭で地面を、「トン、トン、トン」と三度叩いた。

禅宗では、以来、松を植えることが流行った。

妙心寺へ行っても桜の木なんぞは一本もない。松ばっかりだ。

花見のお客さんなんぞちょっとも来てくれん。結構だ。」

と説かれています。

それから更に、

「道い了わって、饅頭を将って地を打つこと三下す。

ここに、臨済の境界というものがある。

一とおり理屈を言うておいて、鍬の先でコツン、コツン、コツンと大地を打った。

いったい何を臨済は言おうとしておるのか。

いらんことを言うてしまったナ。

つまらんことをしゃべってしまったナ。

「一つには山門の与に境致と作し、二つには後人の与に標榜と作さん」ということにもとらわれてはおらんぞ、というところである。

そこに、臨済の完成された人格が表現されているのである。

何もかもでき上がって、しかもそのでき上がったところさえも超えていく。

人間として完成された人格がそこに表現されておるのである。

それを見てとった師匠の黄檗が言われるのに、

「おまえ、なかなか味なことを言うけれども、昔、『如何なるか是れ仏法的々の大意』とたずねて、俺に三度までも殴りつけられたではないか。

あの時のザマはどうじゃった」

こう黄檗にひやかされた。

すると臨済はまた、鍬の頭で、「トン、トン、トン」と地べたを叩いた。

そんなこともとっくに忘れましたよ。

つまらんことをいつまでも覚えていなさんナ。

そう言わんばかりに地べたを叩いたのである。

そうして、「嘘々の声」をあげた。

喉につまった声である。声にもならん声を出したのであろう。

すると黄檗の言うに、

「まア、一つしっかりやってくれ。

わが禅宗は、おまえの代になったらますます世の中に発展して行くだろう」

臨済の境界を、師匠の黄檗が大いに肯われたのである。

肚の中の分かった者同士の一日のエピソードである。」

という風に説いてくださっています。

かくして松の木は、黄檗、臨済の教えが継承されていく象徴となったのでした。

立派に育った松の木を見ながら、臨済禅師の話を思い起こしていました。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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