第742回「三つの力を持っている」

『いろはにほへと』という拙著があります。

一から三まで三冊出されているものです。

私が法話会や坐禅会などで話したことをまとめてくれたものであります。

まだ管長に就任して間もないの頃の本です。

その『いろはにほへと 二』を調べることがあって、久しぶりに開いてみると、「三つの力」という章が目につきました。

そこには次のように書かれています。

「…お釈迦様は、何をお悟りになったのでしょうか?

お釈迦様がお悟りになったことは、「なんとすばらしいことだ。あらゆる人いのちあるもの全ては、みな仏様のこころを持っている!」ということです。

それでは、この仏様のこころを持っているとはどういうことでしょうか?
平易に考えてみますと、まず一つめは、生きる力・生きていく力です。 明日へ向かって生きていこうという力です。生まれたからには誰もが例外なく、この生き抜いていく力を持っています。

二つめは、耐え忍ぶ力です。この世の中に起こることすべては耐え忍ぶことができると、私は信じています。耐え忍ぶことができないことは起こらないと信じています。

生きていく上でいろいろなつらいこと苦しいことがありますが、それを受け止めて耐え忍んで生きていく力を、私たちはみんな持って生まれて来ているのです。

三つめは、人のことを思いやる力です。 自分のことだけではなく、周りのこと、人のことをいくつしみ思いやる力を私たちは持って生まれてきているのです。
生きる力、耐え忍ぶ力、そして人のことを思いやる力。この三つの力を私たちは生まれながらに持っています。それを発揮させるための坐禅です。」
 というものです。

数年前に武蔵野大学に講演に赴いた折に、門のところに高楠順次郎先生の言葉が書かれていたのが印象に残っています。

「人間の尊さは可能性の広大無辺なることである。その尊さを発揮した完全位が仏である」という言葉です。

この言葉は、何度も紹介しています。

感動してその場で書き写してきたのでした。

大乗仏教ではみんな本来仏であると説くので、人は誰しも「無限の可能性」を本来持っていることになります。

ところが、『論語』の中に、自分の力が足りないという弟子に、孔子は「力が足らないのではない、自分から見切りをつけてしまっているのだ」と言ったように、自分で自分を見限ってしまうものです。

「無限の可能性」という大いなる力がありながら、自分にはとても無理だ、駄目だと思ってしまうものなのです。

お互いは皆、誰しも生まれたからには、この世を生きる力を持っている、身に降りかかることを耐える力を持ってる、そして人を思いやる力を持っているのです。

誰しも具えているという仏の心の内容を、このように三つに分けて説いてみたのでした。

耐え忍ぶことというのは、容易ではありません。

釈宗演老師もその著『観音経講話』の中で、

「我々が心に逆らった境遇に身を投じる時には得て、怒りを発するものである。こういうことはお互いに経験していることと思う。

誰にでもあることと思うが、自分の思っていることに、あべこべのことを持って来ると、猛火炎々として、嗔りの心が頭をもたげてくる。

人と人とが何か話をして、ひょっと感情の衝突を起こすと、心の中の猛火が炎々と燃え立って来ることがある。」

と説かれている通りであります。

そういう時に、感情のままに腹を立てていればどうにもならなくなります。

宗演老師は、そういう時に

「多少精神的の修養がある人ならばいかりの心がむっと頭を上げて来たのを、まぁ待てと頭を押さえることができる。

昔の賢き人は、そういう時に臨んで心に十分の余裕を持っている。

その時には黙って何も言わない。

相手がどのような口を利こうとも、それに逆らったり、刃向かったりしては、取り返しのつかないことがある。

一朝の怒りによって、その身を滅ぼすということは、たくさん例証のあることである。

修養の精神をもっている人は、自分の胸に燃えるところの猛火を打ち消して、能く考えてものをいうのである。

それにはちょっと自分の気息を数えてもいい。

息が出るか這入るか、わずかなその時のはずみに気をつけて、それから後に口を利くと、言い損ないもなく仕損ないもない。」

と示されています。

また「昔の人はなかなか善いことを云っている。

「負けている人を弱しと思うなよ、忍ぶ心の強さなりけり」

それに違いない。

表面から見ると、心を殺して相手にならないのは弱いようであるけれども、怒りの心をじっと押さえる力というものは、驚くべき強さである。

「世の人が邪けんを抜いて斬るならば、我が堪忍の鞘に収めよ」

これも面白い言葉である。そういうありさまで総て人に対さなければならない。」と説かれているのであります。

お釈迦さまは、もっとも力の強いものは何ですかと弟子に問われて、耐え忍ぶ者が最も力の強い者であるとお答えになっています。

そして耐え忍んだ人ほど、人のことを思いやることができるようになるものです。

自分が辛い目に遭っているので、人の苦しみや悲しみが分かるのです。

人は皆生まれながらに無限の可能性を持っています。

具体的には三つの力を具えているのです。

この世に生まれたからには、生きる力をもっています。

この世に起きることには耐え忍ぶ力をもっていますし、そして人を思いやることのできる力をもっています。

そのことを信じて、決して自分で自分を見限らないようにしたいものであります。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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