第1262回「「多子無し」あれこれ」

臨済録について四月から麟祥院で講義をしています。

講義にあたっては、あれこれと調べ直しています。

臨済禅師が、黄檗禅師のもとで修行していて三年、問答にもゆかずにひたむきに修行していました。

そんな様子を見た修行僧の頭が、黄檗禅師のところに問答にゆくようにうながされます。

何を聞いていいのか分かりませんという臨済禅師に、仏法の根本議とはどのようなものですかと聞くといいと教えました。

言われた通りに、黄檗禅師のもとに行って尋ねようとしましたが、その質問も終わらないうちに棒で打たれてしまいました。

禅師のお部屋からもどってきた臨済禅師に、修行僧の頭がどうだったかと聞くと、事の次第を有り体に答えました。

もう一度質問に行きなさいと言われてもう一度黄檗禅師のところに行って尋ねますが、やはり質問も終わらないうちに棒で打たれてしまいました。

お部屋から戻ってきた臨済禅師に、もう一度行くようにと修行僧の頭が勧めました。

しかし、三度も同じことでした。

若き日の臨済禅師は、修行僧の頭の方に「忝くもお心に掛けていただき、黄檗禅師のもとに質問させてもらいましたが、三度問うて三度打たれました。

残念ながら因縁が熟さないために、その奥義を悟ることができません。

しばらくお暇をいただきます。」と言いました。

それでは黄檗禅師のところにご挨拶してから行くようにと伝えました。

そう伝えておいて修行僧の頭は、先回りして黄檗禅師のところに行き、「先ほど質問に来た若者はなかなかみどころがあります。

もし暇乞いに来ましたら、どうかよろしくお導き下さい。

将来きっと鍛え上げて一株の大樹となり、天下の人びとのために涼しい木陰を作るでありましょう。」と言いました。

黄檗禅師は、臨済禅師に、
「高安灘頭の大愚のところへ行くがよい」と伝えました。

大愚禅師のことについては詳しいことは分かっていません。

『祖堂集』では、黄檗禅師と共に馬祖のもとで修行していた仲間となっています。
馬祖の弟子の帰宗禅師の法を嗣いだとも伝えられています。

大愚禅師のもとに来た臨済禅師は、「どこから来たか。」と問われ、「黄檗禅師のところから参りました。」と答えます。

「黄檗はどんな教え方をしておられるか。」と問われて、

「私は、三たび仏法の根本義を問うて三たび打たれました。いったい私に落ち度があったのでしょうか。」と正直に伝えました。

すると大愚禅師は 「黄檗は、それほど老婆のような心遣いでお前のためにくたくたになるほど計らってくれているのに、その上わしのところまでやって来て、落ち度があったかどうかなどと聞くのか。」

そう言われて臨済禅師は言下に大悟して言いました。

「ああ、黄檗の仏法は端的だったのだ。」という話であります。

「ああ、黄檗の仏法は端的だったのだ。」というところの原文が「元来黄檗の仏法多子無し」であります。

「ああ、黄檗の仏法は端的だったのだ。」というのは岩波文庫『臨済録』にある入矢義高先生の現代語訳です。

朝比奈宗源老師の『臨済録』では、

「なんだ!黄檗の仏法なんてそんなたあいもないものだったのか。」となっています。

「たあいない」とは「たわいない」ともいい、『広辞苑』には、

「①とりとめもない。思慮がない。「実にたわいないことを言う」
②正体ない。「酔ってたわいなく眠る」
③張合いがない。てごたえがない。「たわいない勝負だった」」

という解説があります。

山田無文老師の『臨済録』には

「なアーんだ、黄檗の仏法とは、たったそれだけのことだったか。」と説かれています。

大森曹玄老師の『臨済録講話』には、

「黄檗の禅って、どんなドえらいことかと思ったら、ナーンだ、こんなものだったのか。明けてみたらば猫の糞かなというところである。」と説かれています。

柳田聖山先生の『臨済録』(中公文庫)には

「なんだ、黄檗ともあろうに、仏法には何のわけもなかった。」と訳されて「註」には、「夾雑物がない、簡単、単純なことで、価値的な意はない。」とあります。

同じく柳田聖山先生の仏典講座30『臨済録』には、

「なんだ、かれの佛法は造作ないんだな。」と訳され、

「従来の解釈は、黄檗の佛法もたいしたものでない、という臨済の師に超える気概をいったものと見ているが、無多子という語は、価値的な意ではなく、むしろ佛教そのものの端的さ、もしくは自明的であることをいったもの。」

と註釈されています。

衣川賢治先生の『臨済録訳注』には

「ああ!なんと黄檗の佛法はただひとつだったのだ!」と訳され、

「「多子」は多いことをいう口語。「無多子」は「多子」の否定で、一つである意(無ではない)。」
と註釈されています。

古い註釈書などを調べてみると、

無許多也
そこばくもないと云う義

別なることもない也

如龍得水
似虎靠山

などと註釈されています。

『臨済録贅辨』には、

「元来黄檗の仏法は何の造作もない者じゃと叫んだ。

無多子は多きこと無しの意。」とあります。

『諸録俗語解』に多子無しの意味は、

「大なことはない」
「仰山なことはない」と云う意と解説されています。

小川隆先生の『臨済録のことば』(講談社学術文庫)には

「元来、黄檗の仏法、多子無し!

なんだ、黄檗の仏法には、なんの事も無かったのか。

黄檗の教えは、謎解きも種明かしも必要ない、そのものずばりのものだったのだ!

「元来~」は口語で「なんだ~だったのか」という、発見と納得の語気を表す。

現代中国語の「原来~」にあたる言葉で、「元来」がもともとの表記だったのが、「元(モンゴル)が来る」という連想を嫌って、明代以後「原来」と書かれるようになったという。

「多子」は「多事」ともいう。

多くのこと、ではなく、余計なこと。

それが無いのがつまり「無事」」であると解説されていて、

更に「くだくだしき道理も意味づけも無い、「即心是仏」という事実の端的な提示、それが黄檗の仏法だったのである」

と明確に説いてくださっています。

そして「入矢「禅語つれづれ」参照」とありますので、入矢義高先生の『求道と悦楽』を参照してみますと、

「さて問題は「多子無し」である。これも俗語なのであるが、従来これは「なんの造作もない」とか、「大したことはない」(岩波文庫旧版)とか、「たあいない」(同上新版)などと解釈されてきた。

某師の『臨済録新講』 でも、右の一句を「黄檗の禅って、どんなえらいことかと思ったら、ナーンだ、こんなものだったのか」と釈し、さらに「明けてみたらば猫の糞かなというところである」という解説までついている。みな誤りである。」

「つまり「多子無し」とはここでは「特別変ったしさいがない」「普通のもの以上の何か違ったものがない」ことである。「多子」の「多」とは、文字通りには、「必要以上・普通以上の余計なもの」という意。」

「「多子無し」という言葉じたいには、もともと価値判断は含まれていないのであり、したがって「たいしたことはない」とか、「たあいない」とかいった評価や批判にはなりようはないのである。」

と説かれているものです。

柳田先生が示されたように、臨済禅師が悟りを開いて、師の黄檗禅師に超える気概をいったものと解釈すると、それは読み込みが過ぎるでしょう。

ただ私としては、ここのところ、臨済禅師ご自身が、仏法とは実に高い理想の境地のように思いこんでいたのが、気がついてみれば、実にそんなものはどこにもない、ただこれこれだという意味で、たあいもないと言ったとすれば、旧来の解釈もあながち逸れてはいないようにも感じます。

「多子無し」の一語ですが、実に「多子無し」どころか、いろいろとたくさん、あれこれあるものなのです。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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