第1057回「禅は日常の営みにこそ」

十一月も二十日から二十六日まで摂心という修行期間でありました。

その折には、毎日『無門関』の講義をしていました。

第七則は、趙州洗鉢という公案です。

この本文は、短いものです。

ある僧が、趙州和尚に聞きました。

私は、まだ修行道場に入ったばかりのものです、どうかご教示をお願いしますと。

すると趙州和尚は、お粥は食べましたかと聞きました。

これでは問いに対する答えにはなっていません。

不思議に思いながらも修行僧は、はい食べましたと答えます。

すると趙州和尚は、食器を洗いにゆきなさいと言ったのでした。

この言葉を聞いてハッと気がつくところがあったのでした。

問題はこれだけなのです。

それに対して無門慧開禅師は次のように批評しています。

「趙州は口を開くや、はらわたをさらけ出した。

この僧はちゃんと理解することができず、鐘を甕とよんでいる」。

というのです。

この問題を学ぶには、なんといっても馬祖禅師の教えを理解しておくことが必要です。

馬祖禅師の教えについては、駒澤大学の小川隆先生は、『禅思想史講義』(春秋社)のなかで分りやすく説いてくださっています。

馬祖禅師の教えを

(1) 「即心是仏」、(2)「作用即性」、(3) 「平常無事」の三点に整理してくださっています。

しかし、「これらは実際にはひとつの考え」だというのであります。

そこで「すなわち、自己の心が仏であるから、活き身の自己の感覚・動作はすべてそのまま仏作仏行にほかならず、したがって、ことさら聖なる価値を求める修行などはやめて、ただ「平常」「無事」でいるのがよい、」ということになるのです。

小川先生は「本来性と現実態を無媒介に等置し、ありのままの自己をありのままに是認する、それが馬祖禅の基本精神であったと言えるでしょう」と述べてくださっています。

『馬祖の語録』(禅文化研究所)では、

「道は修習する必要はない。ただ、汚れに染まってはならないだけだ。何を汚れに染まるというのか。もし生死の思いがあって、ことさらな行ないをしたり、目的意識をもったりすれば、それを汚れに染まるというのだ。
もし、ずばりとその道に出合いたいと思うなら、あたり前の心が道なのだ。」

と説かれています。

このあたりが、馬祖禅師の教えの特色であります。

聖なるものを求めて修行してゆくというのではないのです。

聖なるものを目指すこと、いやむしろ、現実を俗なるものとみて聖なるものがどこかにあると思うこと、聖なるものと俗なるものとを分けること自体が間違いだというのです。

この現実を俗なるものとみて、そこから結界をつけて、聖なるものと区分して考える教えが仏教では一般的であります。

世俗と離れた格別の修行をして、高い心境に達するように目指すものです。

これはこれで尊い教えでありますし、多くの方に信仰されてゆくものです。

しかし、馬祖禅師は、そのような考えを否定して、日常の暮らしのままが仏そのものであると説かれたのであります。

もっとも馬祖禅師は長い修行を経てそのような心境に達したのでありますが、ありのままでよいのだと説かれたのです。

そこで、入りたての修行僧にお粥を食べたかと問うたのは、まさしくそこに仏道のすべてがすでに現れているのであります。

問いに対する答えになっていないのではないかという疑問を持ちながら、修行僧は食べましたと答えたのですが、趙州和尚は、更にそれでは鉢を洗いにゆきなさいと示したのでした。

小川隆先生は、『語録のことば』(禅文化研究所)のなかで次のように説かれています。

「さて、自分のたずねたことはどうなったのだろう、

不審に思いながらも僧は答える、「もういただきました」。

趙州、「ならば鉢盂を洗いに行くがよい」。

「鉢盂」は持鉢、応量器。

「~去」は、~しにゆけ、という文型で、「洗い去れ」と訓読はするが、「忘れ去る」などというのとは別で、単に「洗いに行け」ということ。

ちなみに同じ趙州の語として名高い「喫茶去」も「お茶をおあがり」ではなく、「茶を飲みにゆけ(下がって茶でも飲んでまいれ)」。」

と説かれています。

応量器を洗いに行けというと、私など修行道場で暮らす者は違和感を覚えます。

今でも修行道場では、自分で応量器を持っていて、自分で食事を済ませたら、その場でお湯をいただいて、沢庵を使ったり、指ですすぐのです。

そして布巾で拭いて、かたづけてしまうのです。

わざわざ流しに洗いに行ったりはしないのです。

それに対して小川先生は、

「後世、清規の整備された時代なら、応量器は食べたその場で洗うのかも知れないが、『景徳伝灯録』 に 10は「一僧、鉢を洗う次、師乃ち鉢を奪却う」(巻八・南泉普願章)とか、

「師、鉢を洗う次、両の鳥の蝦蟇を争いあうを見る」(巻一五・洞山良价章)といった問答がある。

おそらく唐代では、なお洗い場ーたぶん屋外の井戸ばたや川べりなどーでめいめいが適宜に食器を洗っていたのであり、それで趙州も「洗いに去け」と言ったのであろう。」

と説かれているのです。

その例として、『景徳伝灯録』巻八、南泉禅師の章に、

「一僧、洗鉢の次で、師乃ち鉢を奪却す。

その僧、空手にして立つ。

師云く、鉢は我が手裏に在り。汝は口喃喃として作麼かせん。

僧、対うること無し。」

という問答があるのです。

ある僧が、鉢を洗っているときに、南泉和尚がその鉢を奪ったというのです。

その僧が鉢を取られて何も持たずに立っていて、南泉和尚は鉢は私の手にあるのに、あなたは口でぶつぶつ言ってどうしようというのだと言われました、

その僧は答えることができなかったという問答です。

修行僧が鉢を洗っているところで、南泉禅師がその鉢を奪い取るという場面があるのです。

それから、『景徳伝灯録』の巻十五、洞山の章に、

「師鉢を洗う次いで、両烏の蝦蟇を争うを見る。僧有って便ち問うて曰く、這箇は什麼に因りてか恁麼地に到る。

師曰く、只闍梨が為なり」

という問答があります。

洞山禅師が鉢を洗っているときに、二羽の烏が蝦蟇を取り合っているのを目にしたのでした。

僧が、どうしてこんなことにまでなっているのかと問うと、洞山禅師は「ひとえにあなたに見せるためだ」と答えたというのです。

鉢を洗っていると、二羽の烏が蝦蟇を取り合っているというのを見たというのですから、これは屋外だと思われるのであります。

今私たちが修行道場で、自分でそのまま鉢を洗っているから、どこかに洗いに行くことではないと考えてしまうのは、まだ浅い物の見方なのであります。

その時代はどうだったのかを考えるべきなのであります。

それはそうと、この趙州和尚の入りたての修行僧に対するお示しを読むと、まさに禅は、日常のあたり前の営みにこそ生きていると学ぶことができるのであります。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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