第764回「神父様との対談」

先日、PHP研究所の企画で、片柳弘史神父と対談をさせていただくというご縁に恵まれました。

片柳神父様は、現在山口県宇部市で教会の神父様をなさっています。

もともと慶応義塾大学を出て、インドのマザー・テレサのもとでボランティア活動をなさっていたそうなのです。

一度昨年末に、円覚寺にお越しいただいてお話させていただいたのでした。

お目にかかって、とても話しやすい方だと感じましたので、対談ということになったのでした。

PHP研究所の「オンライン衆知」とPHPのYouTubeに載るのだそうです。

まずは、私が仏門に入ったきっかけを話し、片柳神父様は、洗礼を受けられたきっかけを話してくださいました。

大学をでて、これからどう生きてゆけばよいのか悩んで、インドのマザー・テレサに会えば何かがわかると信じてインドに行ったというのですから、とても純粋なお心をお持ちな方でいらっしゃいます。

そこでマザー・テレサにであって、得られた答えというのは、一言でいえば「愛」であったと、このことは片柳神父様の、ご著書『あなたのままで輝いて マザー・テレサが教えてくれたこと』に書かれています。

そして「人間が生きてゆくために必要なものは、すべて愛の中にある」というのであります。

私が対談の中でも、マザー・テレサという歴史に名の残るような偉人に直接お目にかかり、一緒に暮らすことができるというのは素晴らしい経験だと思いますが、神父様はマザー・テレサとご一緒に暮らして、一番印象に残っていることは何ですかと質問しました。

片柳神父様は、マザーに出逢った人は、誰でも自分が一番マザーから愛されていると思うようになるとお答えになりました。

それほどまでにマザーテレサという方は、会う方に全身全霊を傾けて向きあっておられるということです。

先の『あなたのままで輝いて マザー・テレサが教えてくれたこと』には、そのことが詳しく書かれています。

一部を引用させてもらいます。

「マザー・テレサにとって「人を愛する」とは、助けを求めてやって来た目の前の人に自分のすべてを差し出すことに他なりませんでした。

目の前の一人ひとりを大切にすることで、マザーは 「あなたはかけがえのない、大切な人です」というメッセージを全身で相手に伝えたのです。」

という姿勢で向き合われたのです。

そして片柳神父様は本の中でマザー・テレサがその愛を相手に伝えるポイントが四つあると書かれていました。

「1つは、心の底から湧き上がる笑顔」だそうです。

「マザーは、助けを求めてやって来る人をどんなときも満面の笑みで迎えました。

「あなたに会えてうれしい。 来てくれてありがとう」、 そんなメッセージがはっきり伝わってくる笑顔でした 」

というのです。

それから「2つ目は、きらきら輝くまなざしです。

憧れの人に会ったときや、高価な宝石を差し出されたときなど、自分にとって本当に価値のあるものを見るとき、人間の目はきらきら輝きます。

マザーは、誰と会うときでも、澄んだきらきらしたまなざしで相手を見つめました。」

というのです。

それから

「3つ目は、 相手の言葉を一言もらさず聞き取ろうとする耳です。」

ということです。

そして、「マザーはわたしたちの話を黙って聞いているだけでしたが、 その沈黙によって「あなたは大切な人です」と力強く語っていたのです。」

と書かれています。

それから「 4つ目は、手のぬくもりです。

わたしたちの手をそっと握るマザーの手のぬくもりは、「何があっても、わたしがついているわよ」とやさしく語りかけていました。」

というのであります。

なるほど、「笑顔、 きらきら輝く目、一言もらさず聞こうとする耳、やさしく触れる手のぬくもり」という、これらによって会う人は誰も自分が一番愛されていると思うようになるのだそうです。

片柳神父様もそうでしたかと聞くと、もちろんそうでしたとお答えになりました。

自死について話し合ったことも印象に残りました。

かつてはキリスト教では、自死は罪が深いと説かれていました。

仏教でも自死は、自殺という自らの命を殺生することになるので、罪だと説かれる方もいました。

最近では、花園大学の佐々木閑先生が、自死は悪ではないとはっきり説かれています。

仏典の記述から殺生には当たらないと明言されています。

そんなことを申し上げると、片柳神父様は、ヨハネ・マリア・ビアンネという司祭の話をしてくださいました。

ある女性が、司祭に会いに行ったそうです。

その女性の夫は、橋から飛び降りで自殺されたのでした。

自殺した夫は地獄に落ちたにちがいないと思って司祭に会ったのでした。

ビアンネ司祭は、「橋と川のあいだには、神様の慈しみがあるではありませんか」と言ったという話であります。

片柳神父様は、自ら命を絶とうとするまで苦しまれた人を神様が見捨てるわけがないと仰ってくださいました。

それから現代において宗教家として何を説くべきかということについて、片柳神父様は、どんな人に対しても、あなたはかけがえのない存在であると説くことだと仰せになりました。

片柳神父様には私の『パンダはどこにいる?』の絵本を差し上げていましたので、私もどんな人も素晴らしい存在だと気がついて欲しいというメッセージを込めて絵本を作ったことを伝えたのでした。

片柳神父様の『何を信じて生きるのか』という本には、

「聖書の中には、人間は、神という陶芸家が粘土をこねて造った器のようなものという話が出てきます(イザヤ64:7など)。

神はわたしたち一人ひとりを大切に造りあげ、この世界に送り出してくださるのです。

かつて「スラム街の聖女」と呼ばれ、貧しい人々への奉仕に生涯を捧げたマザー・テレサは、「わたしたち一人ひとりが、神の最高作」だと表現しています。

神という陶芸家は、一つひとつの作品を丹精込めて造りあげ、「もうこれ以上はできない」というところまで造り込んでこの世界に送り出す。

だから、あなたもわたしも、神の最高傑作だということです。」

と説かれている通りなのです。

片柳神父様は、なんども神様はあなたの中にいらっしゃる、目の前の人の中にいらっしゃる神様に気づくことだと説かれていました。

この教えなどは、すべての人に仏心が具わっていると説く禅の立場に近いものであります。

お互いに共通しているところを見出しながら、対談をさせてもらいました。

宗教は異なっていても通じ合うところがあると学ぶことができました。

片柳神父様の素晴らしいお人柄に触れることのできた対談でありました。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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