第1225回「顔面問答 – 眉の役割 –」

釈宗演老師の『臨機応変』という書物に、「顔面問答」という一章があります。

「支那近代の碩学たる曲園先生の書中に載せてある小話がある」といって、おもしろい問答が載っています。

原文は文語体なので現代風に訳してみます。

ある時、口が鼻に向かって言ったそうです。

「あなたはどうして、そんなに厳然と高く構えているのか。

私こそ、命をつなぐために毎日食べ物を摂取している、それだけでなく、あれこれ言葉を発していろんな用をこなしているのだ、あなたよりもよほどはたらいている、それなのに、あなたは私よりも高い処にいるというのは傲慢ではないか」

と言ったのであります。

そう言われた鼻は、口の不平を聞き流して、

「いやいやごもっともの御言葉です」

といいながら、

「しかし、私がもしも息を止めたら、あなたはどうなりますか」

と聞き返します。

「あなたがそうしてはたらいておられるのも、私が絶えず空気を呼吸しているからでしょう。」

と言いました。

そこで、口と鼻とは、更にその上にある目に向かっていいました。

「只今聞いていた通り、口も鼻もともに、この身の命を保つためには大きなはたらきをしている、それなのに、目よ、あなたは何もたいしたこともしないのに、高見の見物ばかりしているのは、どういうことですか」と。

すると目が答えて言いました。

「成程、口も鼻もたいそうご立派なお務めを果たしておられる。

しかし、私もなにも好んでここで見張りをしているわけではありません。

これも私の役目なので、もしも私が見張りを怠ったならば、あなたはここが明るいか暗いかも分かりませんし、身に迫る危険も察知することができなくなります。

あなた方がよく危険を避けているのは、私がこうして見張りをしているからですよ」と言ったのでした。

そうして口と鼻と眼とは、お互にその務めを語り合って、それぞれが役目を果たしていることを語り合ってお互いに理解を深めたのでした。

更に今度は、口と鼻と眼とが合議して、眉毛に向って詰問を始めました。

「口と鼻と目と我らそれぞれ大事な役目をしているのに、眉毛は我らの最高位に御坐るというのはどうも納得できぬ」と言いました。

眉毛に向かって「あなたはどんな役目を果たしておられるのか」と聞きました。

時に眉毛は自分の役目に就ては、一言も語らないで、

「諸君のお言葉の通り、自分は大した仕事をしないで、高いところに居ては相済まない。」と実に謙虚に控えていたというのです。

宗演老師は「眉毛は何等の役目無きに非ず、彼れは彼れ相當の役目を有つて居る。

然しながら彼れは其の自己の功に語らず、否な自己の功を知らざるが如き所に、我等の今日學ぶべき所が大いにあるであらう。」

と眉毛の謙虚なことを讃えているのです。

そのあと、宗演老師は、

「前の小話が教うるが如く、此世の中は、凡て或る秩序によりて組織されて居る。

一見する時は、甚だしく働くが如き者と、何等の働きをも爲さざるが如き者もある。

然し之は種々異つた役目の人々が相寄つて居るので、それを仔細に観察すれば、一切の人は、皆な相當の役目を有つて居て、其の一つでも缺いてはならぬものである。

然し一見無用の如く見ゆる者も、實は大用を有つて居るものである。」

と語っておられます。

眉毛が果たしてなんの役割をしているのか、禅の語録にも眉毛がよく出てきます。

「今日方に知る、眉毛、眼上に横たわり。口稜、鼻下に在ることを」という言葉があります。

眉毛は目の上にあり、口は鼻の下にあることを今日ようやく分かったという意味であります。

誤った説法をすると眉毛が抜け落ちるというのですから、眉毛は抜けては困ることを表わしています。

羅漢尊者の姿として、「厖眉雪頂」という言葉あります。

「厖」は「もやもやとして大きい。また、大変多い。たっぷりとあるさま」ですから、眉毛がふさふさとして、白髪の頭という意味です。

眉に関する言葉もたくさんあります。

「白眉」という言葉があります。

これは「兄弟の中で最もすぐれた者」を言います。

「蜀の馬氏の五人の兄弟のうち、眉毛の中に白い毛のあった良が最もすぐれていたということから」いうそうです。

そこから白眉は「多くの中で最もすぐれている者のたとえ」として使われています。

眉毛の役目もないわけではありません。

まずは日除けの役割があります。

太陽の光がまぶしいと顔をしかめます。

顔をしかめると眉毛が目に日陰を作るそうです。

6ミリメートル程前に飛び出すとも言われます。

わずかですが、それでも日よけになっているのです。

汗除けの役割もあります。

眉毛の上の方は上に向かって毛が生えていて、中程の毛は外に向かって、そして下の方の毛は斜め下向きの外側に向かって生えているそうです。

そこで額の汗が流れてきても、目を除けて外側にたれていくようになっているのだそうです。

汗がだらだら目にはいるとたいへんですから、ちゃんと汗をよけてくれているのです。

それから怪我防止の役割りもあるようです。

眉の所は目よりも出っ張っていて眉毛がさらにクッションになって、ぶつけてしまった時に最小限の怪我ですむようにしているという説もあります。

それから更に眉毛には他にも感情表現において非常に重要な役割を果たしています。

「眉を吊り上げる」と「怒るさま」を表わします。

「眉を顰める」とは「不快・憂鬱に思い眉のあたりにしわをよせる」ことです、

「眉を曇らす」というと、「心配や不快の思いで、眉のあたりにしわをよせて暗い顔つきになる」ことです。

「眉を開く」というと、「心中の憂いが晴れてほっとする」ことで「愁眉を開く」という表現もあります。

「眉を読む」とは「相手の表情から、その人の心を推しはかる」ことです。

人間は他の人とコミュニケーションをとることで暮らしていますので、この眉は大きな役割を果たしているのです。

「眉唾」という言葉もあります。

これは「眉に唾をつければ、狐狸にだまされないという俗信に基づく」もので「欺かれないように用心をすること」を言います。

そこから「眉唾物」というと「いかがわしいもの。真偽のうたがわしいもの」をさします。

「眉に火がつく」というと、これは「危険が身に迫る。物事が差し迫る」ことで「焦眉の急」という言葉もあります。

「眉を落とす」とは「かつて女性が結婚すると眉毛をそり落とし、お歯黒を塗ったことから」「結婚して妻となる」ことを言いました。

「眉目秀麗」は「顔立ちが整っていて美しいさま」で「多く男性にいう」そうです。

「眉山」というと「美人のまゆ。また、顔かたちの美しいさま」を言います。

これは「まゆを山の形にたとえていう」のです。

「眉寿」は「まゆが長く伸びるまで長生きする人。長寿の人」を言います。

驚いたのは「眉斧」という言葉があります。

こちらは「美人のまゆ」を言いますが、「美貌のためにかえって身をうしなうことになるので斧(命を断つおの)という」のだそうです。

という訳で眉毛も実に多くの役目を果たしていますが、それを誇らずに謙虚にいるのを宗演老師は讃えていたのです。

味わいのある話です。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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