第1245回「戒は不要?」 11 【公式】臨済宗大本山 円覚寺 2024年6月4日 05:00 仏教の修行の根本は、戒定慧であると言われています。戒によって、正しい生活習慣を身につけ、禅定を修めて心を静まらせて、正しい智慧を身につけるのです。それによってこそ慈悲の行いもできるようになるものです。仏弟子となるのには、戒を受ける必要があります。我々僧侶となるには、必ず受戒を致します。一般の信者さんもまた、仏教徒となるには、戒を受けます。はじめお釈迦さまの頃は、お釈迦さまのもとで出家したいと願う者には、お釈迦さまが「来なさい。自分のもとで梵行を修せよ」と言ってくださると、それでよかったのであります。漢訳で「「善来、比丘。梵行を修すべし」というもので、「善来比丘具足法」と言ったりします。これで具足戒になったのです。具足戒というのは正式に出家した僧侶が守るべき戒律を総称したものです。そのはじめは、かつて一緒に苦行していた五人の修行者に対して、お釈迦さまが「来なさい。自分のもとで梵行を修せよ」と言えばそれでよかったのです。一緒に修行しようという思いがあればそれで、必ず良い方向へと修行を進めてゆくことができるのです。だんだんとそのように仏弟子ができて、サンガという仏教教団が形成されてゆきました。そこで仏法僧の三宝が成立しました。仏さまと、仏さまの説かれた教えと、その教えを守り実践する集団であります。次にこの三宝に帰依することによって、教団に入れることになりました。これを三帰依と申します。三帰戒ともいいます。三つを拠り所としようと思って修行することで自然と規律も調ったのでした。それから更に戒が増えてゆきました。殺生、偸盗、邪淫、妄語などから、さらに戒が増えてゆくのであります。五戒とは、第一不殺生 命あるものをむやみに殺さない第二不偸盗 人のものを盗み取ることをしない第三不淫欲 道に逆らった愛欲を犯さない第四不妄語 嘘偽りを口にしない第五不飲酒 酒に溺れて生業(なりわい)を怠ることをしないの五つであります。先日花園大学で栗山英樹監督と話をしていて、大谷翔平さんのことが印象に残りました。大谷さんは門限を知らなかったという話であります。栗山監督は、大谷さんが入団後、外出時の「大谷ルール」を作られ、外出は許可制にして門限も設けていたそうです。大谷さんが二刀流をやるにはどうしても練習で身体に負荷がかかるので、休む時間をしっかり取らせるために作られたそうなのです。実は、何人かの選手にも同じようなルールを作ったそうなのですが、これを最後まで守り切ったのは、大谷さんだけだったとのことです。栗山監督の『信じ切る力』には、「超スーパースターになろうとしている翔平に会いたい人は多い。しかし、それをすべて許していたら、間違いなくおかしくなると思いました。ただ、本当に行きたいのであれば、行っても構わないと思っていました。」と書かれています。大谷さんが入団して2年目の7月、仙台で完投勝利をした夜、栗山監督のもとに大谷さんから連絡が来たそうです。花巻東時代のキャフプテンが仙台に来ているので食事をしにいってもいいかという連絡でした。栗山監督が「どうぞどうぞゆっくり食べてきなさい」というと、大谷さんが門限は何時ですかと聞いたそうなのです。ということは、大谷さんは2年目の夏まで、門限を知らなかったというのです。門限が必要なかったのだということです。『信じ切る力』には「翔平を見ていて、思ったことがありました。ストイックに身体を鍛え、練習し、外出もしないし、遊びにも行かない。しかし、それは彼が生活を律しているのではない、と僕は感じていました。」と書かれています。どういうことかというと、「みんなで食事をしたり、お酒を飲んだり、女の子と騒いだりする一瞬の楽しさよりも、スタジアムに来ている 万人が「すごい」と驚いたり、喜んでくれるプレーができる。翔平が目指しているのは、それなのです。」と書かれているのです。大きな目標を掲げて、それに向かってひたすら努力しているので、細かな門限などの規則は必要なかったということなのです。そんな話を聴いて私は盤珪禅師のことを思っていました。戒は多くなって二百五十もの戒にまで増えてゆきました。盤珪禅師のもとに二百五十の戒を守っているという僧がやってきました。盤珪禅師はその僧に二百五十の戒を守ることは究極ではないといいました。自分たちは律を守っているのだというのを表看板にしておいて、律宗は究極の教えだと思っているのは、他人に自慢するようなことではない、むしろ恥ずかしいことだというのです。なぜかというと、もともと律というのは、決まりを破るお坊さんがいたから「〜をするな」という形で律ができたものです。また新たに悪いことをするものが出るので、律が増えていったのです。もともと戒というのは、お釈迦様の最初は、三帰依、仏・法・僧の三宝に帰依するという、それだけでよかったのです。もっと言えばお釈迦様と一緒に修行しようという心さえあればよかったのでした。盤珪禅師は、酒を飲まないものに飲酒戒はいらないのだと説かれました。そのとおりです。酒を飲んで周りに迷惑をかけたお坊さんがいたから、飲酒戒が出来たのでしょう。もっとも酒の場合は、よっぱらって人に迷惑をかける以前に、アルコールを体に摂取することによって、精神の集中、瞑想ができなくなります。酒を飲むというだけで、研ぎ澄まされた瞑想の心は乱れてしまいますから、飲まないに越したことはありません。一所懸命に修行しようとしていれば、飲むなと言われなくても飲まなくなるものです。戒を保つというのは、不心得なお坊さんのために作ったものだというのです。もともと本来、生まれながらに具わっているのが不生の仏心です。その仏心のままでいれば、戒を破る心など起こすはずがないというのが盤珪禅師の教えでありました。大谷さんも多くの人に喜んでもらえるプレーをしたいという高い目標を持って努力しておられたので、門限も必要なかったのでしょう。戒も意識しないのが理想でありますが、現実にはやはり道に逸れてしまいそうなことが多いので、私などはやはり戒を意識して暮らすように努力しています。 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺 #毎日更新 #鎌倉 #禅 #円覚寺 #呼吸瞑想 #管長日記 11 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート