第1280回「お互い皆、体は仏体、心は仏心」

鈴木正三の『驢鞍橋』にこんな言葉があります。

『日本の禅語録十四 正三』にある古田紹欽先生の現代語訳を参照します。

「この頃も臨済禅の僧の十八、九歳になる人を、見性した人として尊敬しているということを聞いている。

そんなにたやすく悟りが得られるものなら、私などもはや仏菩薩にもなっていることだろう。

若い頃から道に志し、胸中にもゆるような一大事の問題がおこり、八十歳まで修行してきたが、まだすっきりしない。

そのような若い人を尊ぶくらいなら、その無得とかいう人の仏法も大体どんなものかわかりましたわ。

この頃、そのような道者が多い。

たとえ見解があっても、若い仏法者は貴いものとは思わぬわい。

修行などというものは、そんなにたやすく熟するものではない。

私は、たしかにそのことを知っている。」

鈴木正三は、七十七歳で亡くなっているので、八十歳までも生きてはいないのですが、こんな気概をもって生涯修行を貫かれたのだと分かります。

そのあとには、このように説かれています。

「六十歳の時、ある暁の寅の刻に、仏さまが、三界の衆生を一子のように思し召しくださる御心がひっしりとわかった。

まことに、その時は、蟻や虫螻を見ても、彼等がその生涯を楽しんだり苦しんだりする有様が憐れに思われ、何とかして救う方便はないかと、心の底から思った。

その心も三日間続いて後にはなくなった。

しかしながら、この体験は今でもためになっている。

それからすこし慈悲心がおこった」

というのであります。

更に次のように説かれています。

「また私にも見性の体験がないことはない。

これも六十一歳の時、八月二十七日、明くれば二十八日の暁、はらりと生死の迷いを離れ、たしかに自己の本性につきあたった。

その時の気持ちは、ただ、何もない何もないと踊ってばかりいたい心であった。

まことにその時は頸を切られても なしなしですこしも実なるものはないと思われた。

三十日間くらい、そのようにして過ぎたが、私が思ったことは、いや私に似合わぬことだ、これはただ、ある一つの心がまえの上に自覚されたことにちがいないと思い、こちらからその自覚を打ち捨てて、本にとって帰り、あの死ということを胸の中につめこんで強く修行してみた。

そしたら案の定、みな嘘八百で、今にいたっても正三という糞袋はかくし持ってるわい。

また、その後、同じようなことだが、普化和尚の心が、道ならば三町ばかり行く間、たしかに私に乗り移った。

これは大いに功徳になった。

私も普化和尚くらいには、世々生々において修行してみたいと思う心が強くおこった。」

ということであります。

そんな体験を経ながらも生涯かけて仏道を求め続けられたのが鈴木正三の魅力であります。

鈴木正三を高く評価されたのが中村元先生でした。

中村先生の『近世日本の批判的精神 中村元選集第七巻』に第一編「鈴木正三の宗教改革精神」という文章があります。

そこにはこんなことが書かれています。

「従来、日本の多くの仏教者は、世間を離脱して、山林のうちに隠棲して、禅定を修するとか、あるいは念仏読経に専心するとかいうことが、仏道修行であると考える傾向が強かった。

たとい都市にいても、寺院のうちに居住して、世俗的な生活から離れ遠ざかっていることが、僧侶の本分であるとされる傾きがあった。

一般の在俗信者は世俗的な職業を追求してはいたが、なお世俗生活と信仰生活とは別のものであると考えていた。

ところが鈴木正三は、従来のこうした見解に反対して、世俗的な生活のうちに仏道修行を実現しようとする。

『仏法修行は、諸の業障を滅尽して、一切の苦を去る、此の心即ち士農工商の上に用ひて、身心安楽の宝なり』といい、また『仏法は渡世身過に使ふ宝也』と教える。

かれによれば、いかなる職業でも仏道修行であり、万民すべてそれによって仏となることができるのである。

『何の事業も、皆仏行なり。

人々の所作の上におひて、成仏したまふべし。

仏行の外なる作業有るべからず。

一切の所作、皆以て世界のためとなる事を以てしるべし。

仏体をうけ、仏性そなはりたる人間、意得あしくして、好て悪道に入ることなかれ。』

かれによると、いかなる職業も絶対者の顕現なのである。

絶対者である唯一の究極の仏の顕現であるという点において、いかなる職業も神聖であるということになる。」

と説かれているのであります。

そこで『驢鞍橋』にも、

「農業はとりもなおさず仏行であるから別に仏法の用心を求めてはならぬ。

皆さんもそれぞれ、体は仏体であり、心は仏心であり、皆さんの生業がとりもなおさず仏業である。

しかしながら、心の向け方が一つ悪いので、善根を作りながら、かえって地獄に落ちるのである。

或いは憎い、愛しい、慳しい、ほしい等と、さまざまひそかに悪心をつくり出し、今生は日夜に苦しみ、未来は永遠に悪道に堕ちるのは、口惜しいことではないか。

それで、農業をもって自己の業障を滅ぼし尽くそうと大願力を起こし、一鍬々々に南無阿弥陀仏々々と称えながら耕作したら、必ず仏果に至るであろう。」

と説かれたのでした。

鈴木正三の教えに今も学ぶところは大いにあります。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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