第1213回「良い言葉が力を生み出す」

湯島の麟祥院で、榎木孝明さんの古武術の講座があると知って、先日受講してきました。

麟祥院でチラシを見て、ご住職にお願いして参加したのでした。

そっと会場の片隅で受講しようと思っていましたが、会場に入ると何と既に榎木さんがいらっしゃいました。

これはご挨拶しなければと思って、名乗りますと、既に私のことをご存じで、還暦ですねと言われたのには驚きました。

榎木さんは八つ年上でいらっしゃいます。

姿勢もよろしく、さりげない身のこなしもさすがでいらっしゃいます。

これは「榎木孝明さんに学ぶ 親子で古武術体験」というものです。

私は修行僧を一人、自分の子どもとして参加したのでした。

まずはじめに礼をすることを学びました。

正しく坐ることからでした。

正坐して背筋を伸ばして、左手をつき、次に右手をついて両手で三角形を作って、そこに顔を近づけてゆくのです。

背筋を伸ばしたまま頭を下げます。

はじめに少しお話がありました。

日本人の体の動かし方の変化についてお話してくださいました。

明治維新から、軍隊の訓練のために西洋式の体の動かし方を教えるようになりました。

軍隊にはいろんな方が入るので、それを一様に訓練する為に西洋式の方法を取り入れたのです。

江戸時代の飛脚は一日に七十キロから八十キロ走っていたそうです。

そんな走り方と、今のランニングとは全く違うのだそうです。

日本人独自の歩き方、体の使い方があったのでした。

手を振って歩いたり、手を振って走ることはなかったのです。

古い画をみても手を振っている画はないそうです。

手を腰にあてて、薄い氷を踏むように、或いは一面に水をまいてその上に和紙を置いて、その和紙を破らないように歩くのです。

上体はほとんど動きません。

この歩き方を皆で実習しました。

こんな歩き方が日本の伝統芸能に残っているとのことです。

能の歩き方などはまさにその通りです。

それから横になって寝ている人を起してあげる方法を習いました。

頸の骨の下のところに手をあてて、起してあげるのです。

その時に言葉を使うことを教わりました。

有り難うと言って、手をあげるとスッと起きるのです。

ところがバカヤローと言うと、起きないというのです。

これも実際にやってみると、相方の体はなかなか簡単には起き上がりません。

榎木さんが、私が修行僧をなかなか起こせないのを見かねてご指導してくださいました。

手や肩は脱力していないとうまくゆかないのでした。

ご指導いただいた通りに行って有り難うと言って起すと実にスッと持ち上がりました。

横になっている人を起き上がらせるのも教わりました。

これも少し習うとうまくできました。

それからまっすぐに立っていて、踵と持ち上げてストンと三回ほど落とし、更に肩を持ち上げてストンと二三回落として立つと正中線が決まって、前から、或いは横から押しても動かないようになります。

そして自分の名前をいうと押しても動かないのです。

ところが人の名前を言うともろくなってしまいます。

これはおそらく、誰の名前にしようかなどと、考えるので、調った線が崩れてしまうのだと思いました。

また先生は、人の正中線を崩すことが出来るといって、実演してくれていました。

手で何かを抜くような動きをしていました。

確かにそれで何か抜かれたように崩れてしまいます。

私は、自分ならなんとか抵抗できるのではないかと思っていました。

するとそんな思いが読まれたのか、やってみましょうかと先生が私の方に寄ってきてくださいました。

なんと見事に気を抜かれてしまったのでした。

脳の奥にある松果体に働きかけるのだと仰っていましたが、こちらは私などには不可解なところでした。

人を引っ張るにも力で引っ張ると抵抗されますが、力を抜いて気で引くと、すっと引くことが出来るということも学びました。

最後に、先生が手の力を抜くのに親指と中指薬指を合わせて狐の手をして実演してくださっていました。

私はそれを見てハッと思い出しました。

白隠禅師の画に出てくる人物のほとんどは、手を狐にしているのです。

これが何故なのか、なんの意味があるのか、ずっと不思議に思っていましたが、脱力の手なのだと思ったのでした。

講座のあと先生に、狐の手は、何にもとがあるのですかと聞きましたが、先生は昔から言われていることだと仰っていました。

講座の終わりに少し黙想をして、それから礼をしました。

これだけで疲れが取れてスッとします。

よい言葉がよい気の流れを生み出すということを丁寧に教えてもらったのでした。

終わりに麟祥院の矢野ご住職が春日局についてお話下さいました。

麟祥院を建立したのは春日局です。

春日局は、三代将軍徳川家光の乳母でした。

家光公がまだ竹千代と呼ばれていた幼い頃、乳母をお務めの春日局は、泣いている竹千代に「智仁武勇は御代の御宝」という言葉を度々掛けて、あやし育てていたそうです。

智は、考える力、思考力、知恵です

仁は思いやり、優しさ、慈悲です

武 は行動力、実行力。

勇は誠実、正直です。

この四字こそが「一生の宝」だと、家光公を育てたのでした。

ところがこの逸話が江戸の庶民に伝わって「智仁武勇」がいつの間にか「ちちんぷいぷい」と変化して世の中に広まっていったという話でした。

これは初めて知った話でした。

榎木さんから直接ご指導いただいて、多年疑問だった狐の手についても分かって、よき学びでありました。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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