第1228回「警策・考」

『月刊住職』という雑誌があります。

寺院住職実務情報誌というものです。

創刊が一九七四年ですから五十年の歴史を持っています。

現代の寺院のさまざまな問題を取り上げてくださったり、有名人の寄稿もあったり、連載物も勉強になるものが多いので、私も購読しているものです。

この度、この『月刊住職』になんと私の名前が載っていたのでした。

お寺が何か問題を起すと掲載されたりすることがありますが、もっとも何か事件を起した訳ではありません。

「当たり前の是非」ということで、

「坐禅の警策も針供養の針も当たり前でない時代

これまで当たり前だとされてきたことが、時代の変化と共に受け止められ方が変わることがある。

僧侶の修行も、人々に親しまれてきた宗教行事も例外ではない。

現場はいかに受け止め、変えるか、変えられないのか取材した。」

というタイトルがついています。

そして「坐禅中に警策で打つのは釈迦の教えに反すると廃止した大本山管長の一石と反響」という題で文章が進みます、

その大本山管長というのは私なのであります。

記事の一部を引用させてもらいます。

「坐禅に警策(きょうさく、けいさく)は警覚策励、修行精進を励ますものとして、とりわけ禅家では当たり前とされてきたことだろう。

だが近年、当の僧堂から警策自体、不使用の動きがあるという。

神奈川県は鎌倉にある臨済宗円覚寺派大本山円覚寺だ。

それを知ったのは、インド仏教史や戒律が専門の花園大学の佐々木閑教授の寄稿。
令和二年十二月四日付『日本経済新聞』の寄稿「伝統か、停滞か」である。

最近、円覚寺の横田南嶺管長と対談した時に聞いて驚いた話として、こう綴る。

《老師はなんと、その警策を廃止してしまったとおっしゃるのだ。

だから今、円覚寺の修行道場では警策を使っていない。

お坊様たちは、ただひたすらに座り続けるだけで、眠気覚ましに歩き回る役目はいないのである。

伝統や慣習を重んじる禅の世界で、これは大変な革新である。

それでも老師がこのような大決断を下された背景には、「一般社会通念よりも、釈迦の教えを優先すべきだ」という強い信念がある。

警策で「ピシピシ」することは、今でこそ坐禅の決まり事のように思われているが、その歴史は決して古くない。

江戸時代以降のことである。そしてそれは、釈迦の想いに反する》」

というようにこの問題を取り上げたきっかけを書いてくれています。

これはたしかにその通りで、事実に反するものではありません。

そのあと「今回、残念ながら円覚寺の横田管長は多用で取材に応じていただけなかった。」と書かれています。

決して取材を避けたわけではなく、時間的に無理だっただけのことです。

記事には「だが、現在も動画配信サイト YouTubeで公開されているその佐々木教授との対談(令和二年十一月二十一日配信)においても横田管長は要旨、

「警策は古くからのものではない。

身体を痛めつけてというのはお釈迦様の教えにはないでしょう。

うちの修行道場では誓いの言葉を作って、『私たちは仏陀の慈悲の心を学ぶために修行いたします。いかなる理由があろうとも決して人に暴力暴言はいたしません。仏陀に恥じることのない道場を築くことを誓います』と」

そう穏やかに述べられているのだ。

と書かれています。

こちらもその通りです。

もちろん警策を使っている道場も多くございます。

私は、それを否定するつもりはありません。

建長寺の酒井泰玄老師の言葉が記事にありました。

こちらも引用しますと

「うちではまだ警策を使っています。

文字どおり警覚策励という意味で眠気を払うとか、励ましの意味合いで使っています。

もちろん体罰にならないように十分に注意しながらです。

たとえば身体にダメージがないように肩の部分を正確に打つようにとか、細かく注意しながら指導しています。

僧堂に入って間もない雲水に警策を持たせることはありませんが、ある程度の年数が経った者には警策を行じるということで、教えています。」

と書かれています。

酒井老師は私が尊敬申し上げる老師であります。

そして建長寺には長年修行した修行僧が何人もいらっしゃって厳格に僧堂の規則が守られています。

しかも酒井老師のご指導のもとに行われているのは間違いないことでしょう。

ただ円覚寺の場合は、建長寺様のように十年以上の修行僧はほぼいませんし、二年や三年で指導的な立場になってしまっています。

修行年数の短い者同士が修行しているというので、建長寺さまとは大きく異なるのです。

私も酒井老師のように警策の打ち方も注意するように指導してきましたが、どうしても目の届かないところが出て来てしまいます。

長年修行した雲水が警策を持って立っているとそれだけで禅堂が引き締まります。

しかし、修行未熟な者が、ただ警策を持たされて、誰か居眠りしていないかキョロキョロしながら立っているのとでは、まったく違います。

残念ながら円覚寺の修行道場で警策を用いると後者のありさまとなってしまうことが多いのであります。

記事の中で相国寺の小林老師が「昔は五年十年修行する者がざらで」、そんな経験を積んだ者が警策を行じてきたのだが、今は状況が違うと指摘されている通りであります。

ただ警策というのものが昔からものではないからといって否定されるものでもないと思っています。

江戸時代から行われているとしたら、すでに三百乃至四百年の歴史があります。

お釈迦様の精神に反するからやめるとしたら、大乗仏教や禅では多くのことをやめないといけなくなります。

仏教や禅の歴史は変化の歴史でありました。

それは、まさしくすべてはうつろいゆく真理を表わしています。

お釈迦様が禁じたことも認めてきたのが大乗仏教や禅、あるいは日本の仏教なのです。

殺生を禁じたお釈迦様の教えでは農耕は駄目でしたが、禅では農耕を大事な修行としています。

午後から食事をしてはいけないというお釈迦様の教えでしたが、禅では薬石と称して晩ご飯もいただきます。

女性と交わると教団追放となっていたのが、日本の今のお寺では多くが妻帯しています。

修行道場にいる修行僧の多くはそのお寺の子息です。

ですから変化してゆくのは仏教や禅の歴史そのものだと思っています。

警策もそんな流れのなかにあるものです。

そこで、警策を使うのならば、きちんとした規則のもとに、相互に理解した上で行うべきでしょう。

一般の坐禅会などで警策を行じているのは、そんな理解のもとに行われているのであります。

洞春寺の深野様が記事の中で、

「坐禅中、警策を用いて強く打つようになったのは明治以降の富国強兵政策による軍事訓練の強化と並行して当然の事になって行ったと聞きました。

中堅あたりから警策を持たせる僧堂が多いようですが、いったん警策を持てば文殊菩薩に成り代わり、私情を挟まず打てとは言いながら、そもそも惰眠する先輩を打たない、打てないところが既に私情を挟んでいます。

双方の体験交流を行うカソリック修道士からは、僧侶の階級秩序にはめ込む上位から下位への策励として警策を用いているようにしか見えないとも指摘されています。」

という問題があります。

厳しい上下関係がある道場では双方の合意の上で行われるかどうかは難しい一面があります。

深野様は、警策の問題点も指摘されながら、長年修行した修行僧の言葉として、警策をなくすのは行き過ぎだと指摘されています。

そういうことを考えて整理しますと、長い禅の修行の歴史の中で、お釈迦様の教えに反するとはいえ警策を用いてきた経緯があります。

用いるのではあれば厳格な規則の下に行われるべきです。

剣道の稽古や試合では、竹刀で打っても問題にならないように規則の下に行うのです。

ただ今の時代に、畑を耕すのが修行だといいながら、畑をやらない人がいてもいいでしょうし、多くの和尚様が妻帯していても、自分は妻帯しないで修行するという方もいらっしゃってもいいでしょう。

多くの方が晩ご飯を食べているけれどもお釈迦様の教えを慕って晩ご飯を食べないという僧がいてもいいでしょう。

江戸時代の盤珪禅師は寝ている修行僧を叩くことはないと仰っていますので、叩かないで修行する者もいて良いのではないかと思うのです。

私のところの道場ではこの頃は修行年数も短く未熟な者が大半ですので、間違いを起すことのないようにという思いがもとにあって、それではお釈迦様の教えに基づいて、盤珪様の教えもあるので、警策を使わずに坐ってみようという気持ちなのであります。

なにも一石投じようというような大それた気持ちはないのであります。

ただ記事の終わりに曹洞宗の老僧の言葉がありましたが、深く心に刻みたいものでした。

引用します。

「今や警策で若い僧侶を脅かす時代ではない。

言葉の交わし合いで理解をする。

教育とはそういうものでしょう。

あんな棒きれでひっぱたいても牛や馬でも根性悪くします。

修行の名のもとに行き過ぎた行為が多かったのがこれまでで、もっと緻密で懇切丁寧な教え方があっていい。

お釈迦様の慈悲心によって説かれたのが仏教なのですから、必要以上に教えを優しく説いていかねばならない。

またそうでないと和尚は人様にあがめられる存在になりえないでしょう」
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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