第1201回「死をみつめて – お医者さんたちに講演 –」

先日の日曜説教のあとは、上京して都内のホテルで、日本臨床内科医会の会合で講演をさせてもらってきました。

この一月からは第二日曜日の日曜説教の午後から、一般の方々の布薩の会を催していますが、四月は第二日曜の午後に都内の講演が入っていて無理だったのでした。

そこで、第四日曜日の午後に布薩の会を開催します。

講演したのは、第41回日本臨床内科医総合学術集会という会であります。

一般社団法人 日本臨床内科医会と神奈川県内科医学会との共催であります。

ですからお医者さん達の集まりなのであります。

まずはじめに「アウェー」の話をしました。

よくスポーツの記事などで、「アウェー」という言葉をみかけますが、どういう意味なのかと思っていましたが、実に今の私が「アウェー」なのだと分かりましたと申し上げました。

まさしくその通り、お医者さんたちばかりの集まりに、私が一人法衣姿で現れるのですから、「アウェー」であります。

皆さんもいまこの場に異物が混入してきたという思いではないかと察しますと申し上げたのでした。

こんな体験をしたのが、もう今から八年前であります。

二〇一六年に日本肺癌学会学術集会で、「仏教の死生観について」と題して講演したことがありました。

横浜のホテルで行われた大きな学会でした。

そこで死について講演したのでした。

それがよかったのかどうか、明くる年には世界肺癌学会でお話させてもらったのでした。

お医者さんばかりの会に招かれ、まさ「アウェー」を実感したことでした。

世界肺癌学会で講演する際にあらかじめ講演要旨を提出するように言われて書いた原稿が残っていますので、どんな話をしたのかを紹介します。

「人は誰しも死を逃れることはできない。それにも拘わらず、人は死を見つめようとはしていない。できれば死を忘れて暮らしたいと思っている。実に死は、現代社会においても忌み嫌われていると言えよう。

 一般に、死は「喪失」であると思われている。たしかに健康な肉体も、人生において与えられた時間も、社会における存在意義も、さまざまな体験も、手に入れたものすべて、貯めたお金や家、家族、友人や恋人、地位名誉などを「喪失」してしまう。

 また生命を一日でも長く生かすことを考える医療において、死は「敗北」と認識されている。しかし、もしも死が「喪失」や「敗北」でしかないとしたならば、人生は「喪失」と「敗北」に向かって確実に進んでゆく空しいものとなるであろう。

 「愚かな人間は、自分が死ぬものであって、また死を免れないのに、他人が死んだのを見ると、考え込んでしまい、悩み、恥じ、嫌悪している。じつは自分もまた死ぬものであって、死を免れないのに、他人が死んだのを見ては、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪する。このようなことは自分にはふさわしくないであろう」。

 このように考えて、死の苦しみの原因を求め、死の恐怖や苦しみから如何に逃れることができるか、その道を求めたのが、紀元前五世紀にインドに生まれた、ゴータマ・ブッダであった。

 ブッダの教えは、インドから中国に伝わり、中国においては「禅」という道に発展していった。「禅」の教えは、今日においても広く世界で求められている。

 「禅」においては、「死」を見つめることを大切に説いている。死を問いとして、それに応えるに足る生き方を学んでいると言ってよい。それは決して死後の世界の探求ではない。あくまでも死を見つめて、積極的に生の意味を見いだすことを目指している。

 現代においても、ともすれば忌避されがちな「死」について、古来の「禅」の教えを参照しつつ、「死」をどう受け止めて生きるかを学んでみたい。」

というものであります。

そんなところから少しずつ、お医者さんたちの集まりでお話することがあるようになりました。

先日の会でも申し上げたのですが、今はまさに「アウェー」ですが、これからももっとお医者さんたちと宗教者とが親和性を持って、「アウェー」ではなくなる日がくることを望んでいますと申し上げました。

二〇二二年の三月には神奈川県内科医学会集談会でもお話させてもらいました。

これはある医師が、私が出版した『仏心のひとしずく』を読んで、思うところあったらしく、話をして欲しいと頼まれたのでした。

『仏心のひとしずく』は二〇一八年に出版されたもので、私が毎月の日曜説教のために準備した原稿がもとになっている本であります。

その神奈川県内科医学会の講演がご縁となって、今回の臨床内科医会での講演となったのでした。

神奈川県内科医学会の金森会長から御依頼をいただいたのでした。

今回もお招きいただいて、ホテルの控え室で、金森会長をしばしお話させてもらいました。

二〇二二年の神奈川県内科医学会の話のことに触れられて、会長からあの時の話がよかったと言ってくださいました。

そこで私は先生、その時の話をあまり変わらないのですがいいですかと申し上げました。

医学の世界は日進月歩、いやそれ以上に早いのかも知れません。

数年も経てばもう古い情報となるのでしょう。

常に新しく学び続けなければならないのだと金森会長も仰っていました。

まさにそういう世界でありましょう。

しかし、私どもの世界にそんな早さの進歩はないのです。

根本的なことはお釈迦様以来変わることはないのです。

科学や技術は発達しても、人の心は変わらないのだと話し合っていたのでした。

アウェーで臨んだ会でしたが、私の講演の始まりに金森会長が、現場の内科医としては死に立ち会うことが多い、医学では死を学ぶことは滅多にないけれども死の問題を避けることはできない、死について宗教者とも対話を重ねるべきだとお話くださったので、「アウェー」の度合いは下がったのでした。

お医者さんたちの集まりなので、皆さんとても熱心に聴いてくださいました。

その日は朝からいろんな先生方の発表が続いていると聞いていました。

ですから私は今回敢えて、パワーポイント資料や紙の資料などは一切用意しませんでした。

少しでも目を休めてもらおうと思ったのでした。

語りだけ、一時間お話をさせてもらいました。

朝比奈宗源老師の

「私どもは仏心という広い心の海に浮かぶ泡のようなもので、私どもが生まれたからといって仏心の海水が一滴ふえるのでも、死んだからといって、仏心の海水が一滴へるのでもないのです。」

「私どもも仏心の一滴であって、一滴ずつの水をはなれて大海がないように、私どものほかに仏心があるのではありません。
私どもの幻のように果敢なく見える生命も、ただちに仏心の永劫不変の大生命なのであります。」

という言葉を紹介して、最後に柳宗悦の句を紹介して終わりました。

「吉野山 ころびても亦 花の中」

吉野山というのは桜の名所で、どこもかしこも見渡すかぎり一面の桜です。

桜の中にいればたとえどこでころんでも桜の中なのであります。

やがてどこで倒れても、どんな死に方を迎えようと、それはみな私ども仏教でいえば仏心の只中、御仏の掌の中に抱かれているのであります。

とお話したのでした。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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