第1230回「しくじり」

「しくじる」という言葉の意味を、改めて『広辞苑』で調べると、

「①失敗する。しそこなって目的を達しない。

②過失などによって解雇されたり、出入りを差しとめられたりする。また、機嫌をそこねる。」

と書かれています。

「しくじり」は、「しくじること」にほかなりません。

お互いの人生にしくじりはつきものでしょう。

しくじりの連続こそが人生といえるような気もします。

先日麟祥院での勉強会は、禅僧のしくじりについてでありました。

いつもは小川隆先生が、『宗門武庫』を講義してくださるのですが、今回は「西院思明と天平從漪の「錯!」」と題して特別の講義となりました。

なぜこの問題を取り上げられたかというと、それは四月に大乗寺の河野徹山老師が妙心寺で歴住開堂という儀式をなされて、その時の法語の最後にこの公案を拈提なされたからであります。

開堂の儀式に参列なされた時の感動を、小川先生は今回も熱く語ってくださっていました。

中国の宋や元の時代から、遥かなる時空を超えて、禅林の伝統が今日まで脈々と受けつがれていることに、感動してくださったのです。

これは形ばかりではありますものの、伝統を受け継いでいる者にとってはとても励みになるお言葉であります。

もっともこれは河野老師が、深い学識による見事な法語と、実直丁寧な所作とが相俟って伝統が今の時代に体現されたからこそなのです。

さて西院と天平の「錯」について、われわれはまず『碧巌録』の第九十八則から学んでいます。

そこでまず『碧巌録』にある記述を参照します。

岩波書店の『現代語訳 碧巌録』にある末木文美士先生の訳文を引用します。

著語は省いて本文のみをあげます。

「天平和尚が行脚していた時、西院に参じた。

いつも「仏法が判ったなどということはもとより、先人の逸話を取り上げる者を探してもおらんぞ」と言っていた。

ある日、西院が遠くから見て、呼んで言った、「従漪君」。

天平は頭を挙げた。

西院は言った、「しくじったぞ」。

天平は二、三歩歩いた。

西院はまた言った、「しくじったぞ」。

天平は近寄った。

西院「いましがたのこの二つのしくじりは、私がしくじったのか、あなたがしくじったのか」。

天平「私がしくじりました」。

西院「しくじったぞ」。

天平は言葉につまった。

西院は言った、「まずはここで夏安居を過ごしたまえ。あなたとこの二つのしくじりを考えよう」。

天平はすぐさま出発した。」

ここまでがこの公案の前半部分なのです。

先だっての講義もこの前半のところで終わってしまいました。

今回注目すべきは、なんといっても河野老師がこの公案について、『碧巌録』からではなく、『景徳伝灯録』から引かれたことであります。

『景徳伝灯録』については、禅文化研究所・基本典籍叢刊本に収められる北宋・東禅寺版を用いることが多いのです。

小川先生は、東禅寺版をもとにしながらも、今回は南宋・四部叢刊本を参照されていました。

河野老師は、更に厳密に金蔵本から原文を引かれていたのであります。

この一事だけでも如何に老師が、綿密に考証なさっているかがよく分かります。

ただ今回の公案の部分に限っては、金蔵本と四部叢刊本とに相違はありませんでした。

この公案が何を言わんとしているのか、伝統的にはどう説かれているかについて朝比奈宗源老師の『碧巌録提唱』を参照します。

朝比奈老師は、次のように提唱されています。

「これは、佛道の基本からいえば、お互いは本来佛です。

「衆生本来佛なり」ただ修行をしてなるほどそうだということを確認する、明らめる。

ですから少し軽薄な修行者は、ちょっとわかると、ああこれでいい、何だ、元から佛じゃないか、そんなに苦しんで修行なんかする必要はない。

本来佛なんだ、これでいいんだ、こういう見方をしてしまいます。

それは考え方として間違いではないけれども、みなさん 、お互い何の道でもそうでありますが、佛教の言葉を用いれば、「佛道は山に登るが如く、いよいよ登ればいよいよ高く、海に入るが如く、いよいよ入ればいよいよ深し」という。

何の道でもちょっとやればちょっとわかる、それだけで済むと思ったら違う。いよいよ入ればいよいよ深しという子細がある。」

というものです。

小川先生は、御高著『語録の思想史』のなかで、

「かくして本則の前段は空しく終る。

行脚ズレして天狗になった修行僧を剛柔両様の作略で接化しようとした老練な師家の話。

そして、そうした師の老婆心切にも関わらず、それを慢心ゆえに理解しえなかった、憐れむべき自了漢・担板漢の話。」

としておいて、

「ここまでなら、そうした話としてこれを読むことも可能だろう。

だが、これで終ったならば、この話の意義は、せいぜい愚かな反面教師の姿を見せて修行者を戒めるという以上に出ないのではあるまいか。

そうした趣旨を圜悟が本則拈弄の重要な意義の一つとしていたことは、後に述べるとおりである。

しかし、もしそれがこの話の趣旨であるならば、この話は、あまりにも索然たることを免れない。」と書かれています。

小川先生は『語録の思想史』の中で、「禅者の後悔」として一章を割いて詳しく論じられています。

この深い公案の味わいは次回に持ち越しとなったのであります。

講義の途中でも小川先生は、何度か河野老師のお考えを伺いたいと仰っていましたので、小川先生のご講義のあと、私は河野老師に、この両錯を取り上げたことについて少しお話くださっては如何ですかと声をかけてみました。

河野老師は苦笑しながら静かに首を橫に振るのみでありました。

そのお姿に私は改めて深く感銘を受けました。

私の言葉を受けてしゃべろうものなら、それこそ「しくじり」なのでしょう。

それに老師が長年の修行の末に、この両錯の公案を取り上げられた思いは、第三者に分かるようなものではありません。

「お話なされはいかが」などと問うた私もおおきな「しくじり」でありました。

そのあと、私が臨済録について、講義をしたのですが、これもまたまた「しくじり」なのであります。

しくじりを重ねることこそが人生の営みかもしれません。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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