第713回「新しい挑戦」

「ホトカミ」さんの取材を受けました。

「ホトカミ」といってもご存じの方もあれば、ご存じでない方もいらっしゃるかと思います。

説明したいと思いますものの、私自身がまだよく分かっていないのです。

いただいた資料によりますと、

「月間百二十万人の参拝者が活用する神社寺院の検索サービス「ホトカミ」の運営や神社寺院の広報、経営、デジタル化の支援、御朱印めぐりの企画などを行っている」株式会社なのだそうです。

会社が「DO THE SAMURAI」、運営しているインターネット事業に「ホトカミ」があるのだそうです。

その代表が吉田亮さんであります。

龍雲寺さまに法話に行った折に、細川さんからのご紹介でお目にかかったのでした。

実に爽やかな好青年で、私のYouTubeラジオも毎日聴いているというので、気軽に取材を受けたのでした。

取材の前にいただいた資料で、初めて「ホトカミ」さんは御朱印を積極的に活用しようとされていることを知りました。

仏教二千五百年の歴史における御朱印についてどのように考えるのかと聴かれました。

仏教二千五百年の歴史と言われても御朱印はそんなに古くからあるものではありません。

もともとは般若心経などを写経してお寺に納経した時にいただくのが御朱印でありました。

ただ、巡礼や巡拝ということを考えると古くお釈迦様のことまでさかのぼることができます。

お釈迦様がお亡くなりになる前に、自分の生まれた場所ルンビニと、悟りを開いたブッダガヤ菩提樹下と、初めて説法した鹿野苑と、涅槃に入ったクシナガラとこの四つの場所を巡拝すれば功徳は計り知れないと説かれています。

こうして四つの聖地をお参りする習慣ができたのだと思われます。

日本からそのような四つの場所をお参りに行くことは困難ですので、日本の中の由緒ある寺院を巡拝するようになったのだと想像します。

お釈迦様をお慕いし、その教えを受けてゆこうという気持ちが巡礼になったのでしょう。

仏を一拝すれば妙心を生ずという言葉もありますように、ご本尊様に一度手を合わせて拝むだけでも、素晴らしい仏心があらわになってくるものです。

坂村真民先生の「手を合わせる」という詩を思い起こします。

 手を合わせる
手を合わすれば 
憎む心もとけてゆき 
離れた心も結ばれる
まるいおむすび 
まるいもち 
両手合わせて作ったものは
人の心をまるくする 
両手合わせて拝んでゆこう
手を合わすれば 
重い心も軽くなり
濁った心も澄んでくる 
生かされて生きて花薫る
楽しい世界にしてゆこう 
二度とこないこの人生を

「ホトカミ」代表の吉田さんからはいろんな質問を受けました。

「お参りをより良い時間にするために、心がけると良いこと」を聴かれました。

私はお参りしている状況によって困難な場合も多いと思いますものの、やはり早朝か夕方、余り人が混んでいない時がよいかと申し上げました。

その方が気持ちが澄んできます。

また車で参拝に行った時にはなるだけ遠くにある駐車場にしましょうと話をしました。

ゆっくり歩いて境内に入ってゆくのがよいのであります。

もっともおみ足が悪い場合は別でありますが、お元気で歩けるならば、なるだけ遠くに車を置いて境内に入ってゆくのがよいと思っています。

神社でもお寺でもその境内地は尊い土地なのであります。

寺の場合ですと、その境内地は御開山のお体だと教わったものでした。

その他にも私が行っているインターネットでの活動などについても聴かれました。

吉田さんは三十代ですが、神社やお寺が好きで、とても熱心な方だということが伝わってきました。

こういうお若い方が神社やお寺をもり立ててゆこうと考えてくださっているのであります。

その熱意に心打たれまいた。

そしてもう一人取材に来てくださったのが、「ホトカミ」の西脇唯真さんでした。

西脇さんには、今回初めてお目にかかることができました。

西脇さんのことは、令和三年一月二十三日に「阿弥陀様のような」と題して書いています。

その記事には名前を書いていないのですが、令和二年三月に大学を卒業した折に、西脇さんは「阿弥陀様のような慈悲を持った人を目指して僧になりたい」とnoteに書かれていたのでした。

「「阿弥陀様は「誰一人決して捨てない」「ありのままの自分を救ってくれる」仏様です。

僕は阿弥陀様のように深い慈悲を持った人になりたいです。

そして、一人でも多くの人々が人の温かさを感じられるような慈悲の心があふれるお寺や社会をつくりたいです」

という尊い願いを書かれていました。

しかし、西脇さんの属する浄土真宗の教えでは、このような願いはあまりよくないのだそうです。

問題があるというのです。

以前書いた文章には、

「浄土真宗で問題になるというのは、

「阿弥陀さまのような深い慈悲を持った人になりたい」

という箇所なのです。

松本さんの言葉によれば、

「浄土真宗は阿弥陀如来の一人ばたらき。

阿弥陀様にカケラでも自分が近づけると思ったら、大間違い」

になるのだそうです。」

とあります。

この辺は、禅の立場とは異なるところです。

禅では、やはり阿弥陀様のような慈悲を持った人になりたいというその心が阿弥陀様だと説くのであります。

ただそんな純粋な志をもった西脇さんがその後どのようになされているのか、ずっと気にかけていました。

一時期はTikTokをなさって、たいへん評判がいいとも聞いていました。

それがしばらくしてやめてしまわれて、その後はどうしていらっしゃるのか気になっていたのでした。

その西脇さんが、「ホトカミ」ではたらいているというので驚いたのでした。

ご自身のお寺の副住職を務めながら、「ホトカミ」でもお仕事をなさっているというのです。

西脇さんは今もnoteは続けているというので、最近の文章を読みますと、ご自身のお寺でも写経や落語会、お寺ヨガ、フレンチレストランなどなど多才な活動をなさっているようなのです。

文章や写真を拝見しても、いきいきと活動されている様子が伝わってきてうれしくなりました。

「ホトカミ」の取材の時にもテキパキとはたらいておられました。

終わった後に、少しお話してみましたが、西脇さんから私に

「年をとってみて、良いと思うことは何ですか」と質問されました。

私はこの質問には絶句しました。

なんと私は「年をとっている」と思われているのだと、愕然としました。

冷静に考えると西脇さんは二十五歳で、彼からみれば明らかに年寄りなのでしょう。

「年をとったという思いはない、今も若いつもりです」と答えたのですが、かなり無理があったと反省しました。

ともあれ、ホトカミの吉田さん、そして西脇さん、お若い方々が常に新しいことに挑戦しようとされているそのお姿に、大きな感動と力をいただきました。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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