第1196回「健康とは」

「花発いて風雨多く、人生別離足る」という一句があります。

「君に勸む金屈巵

滿酌辭するをもちいず

花發いて風雨多く

人生別離足る」

という五言絶句であります。

晩唐の詩人、于武陵(うぶりょう)の『勸酒(さけをすすむ)』という題の詩です。

井伏鱒二の翻訳が世に知られています。(訳詩集『厄除け詩集』)。

コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトへモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

花に嵐のたとえもあるというように、花の季節は風雨も多いのです。

まるで台風かと思うような嵐の日があったかと思えば、その翌日はよいお天気になりました。

空は見事に晴れ渡り、円覚寺からも富士山が綺麗に見えました。

そんな晴天の日に、円覚寺の幼稚園の入園式が行われました。

少子化の影響は避けるべくもなく、年々園児の数は減りますものの、お寺の幼稚園に預けてくださるのは有り難いことであります。

幼稚園の入園式ではまだ泣いているお子さんもいます。

そんな園児の姿を見ながら、どうか明るく元気に育って欲しいと願わざるを得ないのであります。

幼稚園のある伝宗庵から富士山がよく見えました。

まだ桜の花も残っていて富士山も見えて、入園児たちを祝福しているかのような一日でした。

修行道場にも何名もの新しい修行僧が入ってきています。

これもまた有り難いことであります。

三月の末頃から修行道場の玄関で、大きな声で「たのみましょー」と声をかけるのが聞こえてきます。

少し離れたところにいても響いてくるものです。

ああ今年もまた新しい修行僧が来たのだと思います。

それから玄関で二日間頭をさげて入門をお願いするというのが修行道場の決まりなのであります。

そんな姿を見ると、こちらも自ずと気が引き締まります。

人生別離足るというように、新しい人が入ってくるのと、出て行くのとは同じなのであります。

春に巣立ってゆく修行僧もまたおります。

お見送りして、またお迎えするという季節でもあります。

『華厳経』には「初発心時便成正覚」という有名な言葉があります。

道を求めようと初めて心を発した時に、もう悟りは成就されているという意味であります。

道場に入門して「たのみましょー」と声をかけたときの初心ほど尊いものはありません。

善財童子が訪れた善知識に、医師の弥伽という方がいます。

善財童子が、この上ない悟りを求める心を起こしたと聞いて、深く礼拝し、敬いを捧げるという場面があります。

そして、この上ない悟りを求める心を起こしたということ自体が、一切諸仏の系譜を保持することになるのだと説かれています。

真実なる道を求めて歩む者は、その道を歩もうという心の清らかな光で、菩薩の道を明るく照らしてゆくと書かれています。

道を求めようという心こそが、仏の道へと導いてくれるのであります。

入園式が終わってそのままとある会社の新入社員の研修会が円覚寺で開かれていて、そこで新入社員のみなさんに話をしました。

今年は、坂村真民先生の詩を紹介しながら話をしていました。

午後からは、椎名由紀先生にお越しいただいて呼吸法の講座でありました。

私もみんなと共に受講させてもらっています。

今回はほとんど姿勢の講座となりました。

はじめに椎名先生が、今日のテーマは「健康」だと仰いました。

「健康」とは何か、あまり深く考えたことがありません。

健康とは何かと聞かれて何と答えるだろうか考えていました。

幸福とは何かというのと同じようなものかなと思っていました。

幸福とは何か、幸福ということも意識しない時が幸福のように思います。

幸福はそれを得ようと目指すものというよりも授かるものだと思っています。

健康も健康を意識しない時が健康なのではないかと思ったりしていました。

そして健康の為に何かをしようというよりも、一所懸命に勤め励んでいて、自ずと授かるのが健康かなと思ったりしていたのでした。

修行僧達に、健康とは何か椎名先生が聞かれていました。

聞いているといろんな答えがありました。

「肌が綺麗なこと」という答えがありました。

たしかに健康な人は肌がきれいでしょう。

「姿勢がいいこと」という答えもありました。

これもたしかに姿勢のいい人は健康のように思いますし、健康な人は姿勢もよいように感じます。

「特に心配事がない」という答えもありました。

「元気なこと」「笑顔でいること」などという答えもありました。

『広辞苑』に「健康」とは、

「身体に悪いところがなく心身がすこやかなこと。達者。丈夫。壮健。また、病気の有無に関する、体の状態。」と解説されています。

健康科学大学の平尾真智子先生のご研究によれば,「健康」という言葉を文献で始めて使用されたのが白隠禅師だそうです。

中国においても使われてはなかった言葉だそうです。

一七五一年に上梓された白隠禅師の『於仁安佐美』で一番はじめに用いられ、そこに三回使われているそうです。

それから一七五七年の『夜船閑話』にも用いられています。

白隠禅師は、十の著作に合計十六箇所「健康」という言葉を用いられているそうであります。

これが文献に於いて「健康」という言葉が出るはじめだそうなのです。

実に「健康」という言葉を初めて用いたのが白隠禅師なのであります。

それが明治時代になって、福沢諭吉が『文明論之概略』などで「健康」の語を使用して、「健康」が常用語として浸透していったのではないかと言われています。

椎名先生は、人間は自然な状態であれば元気でいきいきしているし、身体全体が元気だと心もいきいきすると説いてくださり、そこから姿勢の講座となりました。

ともあれ、この春幼稚園に入ったお子さん達も新入社員のみなさんも修行道場に新しく入った修行僧達も、聞いてくださっている皆々様も、まずは健康でありますようにと願うばかりなのであります。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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