第634回「善をほこらず」

九月末の日曜日の毎日新聞朝刊に、小池陽人さんの記事が大きく出ていました。

最近楽しみにしている『僧侶・陽人のユーチューバー巡礼」であります。

今回の対談のお相手は、「ロシア生まれ、関西育ちの2人組 ピロシキーズ」のお二人です。

小原ブラスさん、中庭アレクサンドラさんのお二人なのですが、残念ながら、このお二人について私は全く存じ上げませんでした。

お二人は、ロシア出身で、関西(大阪、姫路)育ちだそうです。

2018年12月に結成したユーチューバーコンビなのだそうです。

記事の見出しには「自分を大事に生きないと」「ロシア生まれ、関西育ちの2人組 ピロシキーズ」「戦争の元凶は相手負かす「欲」」「外から見えない中身を発信」という言葉が見られます。

お二人のYouTubeで、「2月24日のロシアによるウクライナ侵攻を受け、直後にプーチン政権を批判する動画を配信したことでも注目を浴びた」というのです。

そこで対談のはじめに小池さんが「侵攻の直後に「ウクライナ侵攻、ロシア人としてもう我慢できません。許されないことです。」などといった動画をユーチューブで発信されました。すごい勇気だと思ったんですが、改めて今どのような思いですか。」と尋ねていました。

それに対して、ブラスさんが

「今言ってもらったように「すごい勇気やと思います」とたくさん言われたんですが、その言葉が自分を苦しめることになりました。」と語っていて、特に勇気をもって挑まなければならないというような思いではなかったというのです。

そうすると、「本当に勇気があるなら、ロシアに行ってデモをすればいい」という声が増えたらしく、それで悩んだというのです。

ブラスさんは、謙虚に

「僕は自分の人生、もしくは家族や知り合いを危険にさらしてまで、人の命を救える人間ではないということが心底分かったんです」と語っておられます。

そして改めて自分は自分のことを好きなのだと分かったといいます。

それに対して、小池さんが、コーサラ国のパセナーディ王のことを語ってくれています。

「インドの王様が「この世で自分以上にいとおしい存在はない」と思いお釈迦様に話したところ、お釈迦様は「その通りだ」と答えた。自分以上に大事な存在はこの世にはない、それが分かるなら人を傷つけられないはずだ、と」いう話です。

そこから「人生の真理って突き詰めると、自分がどうやって幸せに生きていくかということ。そうすることで周りの幸せも願うようになっていくのだと思います」と小池さんが説かれています。

最後にも、小池さんが「自分は勇気のない人間だと分かった」という言葉が印象に残ったと書かれています。

そして

「我々は誰しも、人からよく見られたいという欲望を持っていると思いますが、自分はそんな立派な人間じゃない、自分のことが一番大事なんだと素直に認められるブラスさんは、ある意味で本当に強い。自分の弱さや駄目なところをあえて隠さずに認めるということが、自分に対しても、人に対しても正直に生きるコツなのではないかなと感じました。」

と書いてくださっていて、小池さんの優しい慈悲の心が伝わる文章であります。

その次の日の月曜日は新月の日で、松本紹圭さんの行っておられるオンラインの布薩の日でありました。

この春から毎月新月と満月の夜に、オンラインの布薩を松本さんが主催されているのです。

私はその第一回に招かれてお話させてもらったのでした。

松本さんたちが円覚寺にお越しになって、布薩を講習させてもらったのでした。

それがご縁となって、毎月二回オンラインで独自の布薩を行ってくれています。

円覚寺で行っている布薩は、一時間ほどで百回の礼拝を繰り返しながら、慚愧懺悔して、戒の現代語訳を読み合わせてお互いに反省するという儀式なのです。

オンラインでどう行うのか興味がありましたが、はじめに毎回招かれる講師の方が読経と法話を三十分ほど行って、そのあとグループに分かれてお互いに話し合うという形式なのです。

自分自身を見つめ直して反省するということが大事なので、形にとらわれることはないと思います。

それよりも継続することが大事です。

第一回に招かれて以来、御無沙汰していて、今回小池陽人さんが講師をお勤めになるというので、参加させてもらいました。

三十分ほど小池さんの法話をオンラインで、zoomという機能を使って拝聴させてもらいました。

zoomでは、お互いの顔を見ることができますので、私の顔も画面に出ているのであります。

気づかれないように拝聴しようと思いましたが、無理でありました。

御法話が終わって、松本紹圭さんから、私が居るので一言をと促されましたが、私は、とっさに「今画面に映っているのは、じつはニセモノです」と申し上げたのでした。

小池さんも今年の一月に円覚寺にわざわざお越しくださり、布薩を体験されて、今もご自身で毎月二回行っておられるのであります。

有り難いことであります。

はじめにご自身の体験談から自分で自分を見ることは難しいことを話されて、布薩の時間は、仏さまと向き合い心から反省するときだと話してくださいました。

それから最近行かれたという大峰山の御修行に触れて、そのときに唱える「慚愧懺悔六根清浄」という言葉を紹介してくださいまいた。

慚愧という言葉について、「すばらしい人を敬い、自分のいたらないことを反省することだ」と解説してくれていました。

これは佐々木閑先生の『日々是修行』にある言葉であると教えていただきました。

佐々木先生は慚愧を「良い人を敬い、至らぬ自分を反省する」という意味だと解説されています。

そこから佐々木先生は「慚愧はとても善いことで、悟るための必須条件とされている。なぜなら、その謙虚さが、自分をいっそう高める活力になるからだ。」

というのです。

自分のいたらなさに気がつくことは劣等感にもつながります。

慚愧というのはこの劣等感をプラスにしてゆくのです。

それは『日々是修行』に

「劣等感は 、「他人より劣っているから、私には価値がない」と考えるが、慚愧は、「劣っているから、その分、傲慢にならなくてすむ。傲慢にならないから、まだまだやれる」と考える。劣等感を別の方向から見て、「さらなる向上のための活力源」として積極的に捉えたのが、仏教の慚愧なのだ。」

と書かれています。

小池さんは、佐々木先生のそんな話を紹介されて懺悔の意味、そして六根清浄の意味を説いてくださいました。

私が印象に残ったのは、最後の方で吉田兼好の言葉を引用されたことでした。

それは『徒然草』にある

「人としては、善に伐らず(ほこらず)、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは、大きなる失なり。」という言葉です。

人は、自分の長所や美点を敢えて誇らず、何物とも争わないことを徳とするものだということで、更に気をつけないといけないのは、他者より優れていることがあるなら、それが欠点ともなるということです。

人より優れている思ったら、それを口に出さなくても心に多くの過ちが生まれてしまうというのです。

そこで『徒然草』では自分の長所などは忘れたほうがいいと説いています。

禍を招くのは慢心からだというのであります。

そして一つの道に精通した者は、自分で自分の欠点を知っているので、どこまでも謙虚に道を求め続けるという内容が書かれています。

佐々木先生も「劣っていることは少しも心配ない。一番悪いのは、傲慢になって地道な努力をやめてしまうことだ」と書かれていました。

ほんの少し善を行うと、内心どこかに誇りに思ってしまうものです。

この布薩を行うことですら、こうして自分たちは布薩を行っているのだと誇ってしまってはどうしようもありません。

常にこの自身を省みて、善をも誇らぬように気をつけなければと、小池さんの御法話を拝聴して自らを戒めました。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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