第1399回「僧堂の修行」

先だって曹洞宗総合研究センター様に招かれて僧堂の修行について講演させてもらいました。

要点をまとめると、南嶽禅師と馬祖禅師の問答から、修行というのは特定の姿形にとらわれるものではないことがまず分かります。

では何が大事かというと、心です。

その心は見たり聞いたり歩いたり、動いたりして活動している心です。

その心こそが仏なのです。

心が仏でありますから、外に仏を求める必要はありません。

そしてその心は、体の中に収まっているようなものではなく、心の中で私たちは寝たり起きたり活動しています。

それ故に私たちの活動のすべては仏の営みになるのです。

その教えを黄檗禅師も受け継いで、一切の人は全体まるごと仏であると説かれました。

臨済禅師もまた「仏法は造作の加えようはない。ただ平常のままでありさえすればよい」と説かれたのでした。

しかし、ただなにもしないでそのままでいれば良いというのではありません。

臨済禅師もお若い頃から何も分からず真っ暗闇の中をさ迷いながら苦労されたのでした。

苦労の末に、ある時ハタと気がついたのです。

臨済禅師は、戒律をもとにした暮らしをしながら、坐禅をし、経典を読んで学んで、そして土を耕し作務をなさっていました。

この戒律に則った暮らしと、坐禅、看経、作務が、修行なのです。

それに、宋代になって禅の修行として看話禅が工夫されました。

「特定の「公案」に全意識を集中することで意識を臨界点まで追いつめ、そこで意識の爆発をおこして劇的な「大悟」の体験を得させようとする」(『語録の思想史』より)方法です。

そんな禅が日本に伝わりました。

そこで、本来仏だから何もしないでいいというのではなく、栄西禅師は戒を重視され、厳しい修行を行うようになりました。

戒に則った暮らしを清規といいます。

厳格な清規のもとに、坐禅し看経し作務をして、その中で公案を工夫するというのが禅の修行となっていったのです。

更に鈴木正三は、お百姓さんが一鍬一鍬振り下ろすごとに南無阿弥陀仏となってゆけば、その農業が仏道だと説かれたように、日常の畑仕事や掃除や庭木の剪定など、ひたすら一心に打ち込んで行えば、みな仏道になるのです。

そこで、作務に打ち込んで修行するという今の修行道場の暮らしになってきています。

そうかといって、本来仏であるから、決して厳しい修行によって何か特別なものになるのだという思いを抱いてはならないので、盤珪禅師が眠っている僧を叩くのを戒めたように、仏になろうとするより仏のままでいる方が造作がないという教えも忘れてはならないのです。

そのような内容となります。

この基本をしっかりおさえておけば、現実の様々な問題に柔軟に対応することができると思っているのであります。

私の講演のあとに曹洞宗の新井一光先生が発表なされていました。

そのなかで、睡眠と早起きについての考察がありました。

明治の終わり頃に、『僧堂教育改良論』という論説が発表なされていたそうなのです。

その中に「形式にのみに止って宗門の発達せざるは、其一大原因たるものは早起に失し、徒らに身心を疲労し、太切なる昼間に於て、正しく業務を執ること能はざるのには非ざる乎と察せらる」
ということが書かれています。

睡眠も大事なことで、無駄な時間では決してないと論じています。

修行したり仕事をするのと同じことなのだというのです。

早起きにも一定の程度があって、度を超えた早起きは「乱起暴起」だというのです。

寝る時には、徹底してよく眠り、昼間はしっかり眼を覚ましてはたらき、修行に励んでゆくのだというのです。

そこで早起きも午前四時が昔からのよい時間だというのであります。

確かに『正法眼蔵随聞記』には、次の記述があります。

講談社学術文庫の山崎正一先生の現代語訳を参照します。

「私が大宋国の天童山景徳禅寺にいたころ、如浄老師が住持であられたときだが、夜は十一時まで坐禅し、明けがたは午前二時半から三時には起きて、坐禅したものだ。住持の如浄禅師も、みなの者と共に僧堂の中で、坐禅されたものだ。それは一夜も、欠かされたことがない。

その間、僧たちは多く居眠りした。如浄禅師は、その間をまわってゆき、居眠りしている僧をみると拳骨でなぐったり、あるいは、はいている履をぬいで、それで打ち恥ずかしめ、眠りをさまして、はげましたものだ。」

と書かれています。

別のところには「亡くなった私の師匠天童如浄和尚が住持の折のことだが、僧堂でみなみな坐禅しているとき、居ねむりをしている者がいると、浄和尚は自分の履で打ちすえ、ののしり叱ったが、僧たちは、みな打たれることを喜び、有難がったものだ。」とも書かれています。

厳しい苛烈な修行であったことが察せられます。

私などもこのような修行に憧れて努力してきたつもりですが、残念ながら大半は居眠りばかりしていたと今は慚愧の思いであります。

自ら求道心をもってこのような古人の行履にならって行おうというのはいいのですが、これを無理に強要するのは難しいと思います。

明治の終わり頃にも、もう少し合理的に考えたらどうかという論説もあったことは興味深く思いました。

昔から、僧堂の修行はどうあるべきか、いろいろ考え、論じられて今日に到るのです。

肝心なところは守りながら、柔軟に対応することが大事かと思っています。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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