第1410回「布薩は坐禅」

第二日曜日の午後は一般の方と布薩を行うようにしています。

今年の一月から始めてもう十一回目となりました。

毎回満席と、とても人気があるようなのです。

ただ予約をとるのが大変だとよく言われます。

方丈で礼拝を行うのに、六十名くらいがちょうどいいので、このところ六十名を定員にして募集しますが、すぐに満席になるようなのです。

六十名のうち、初めての方が九名のみで、あとの五十名はリピーターであります。

五回以上参加されている方が、全体の四割に近いほどなのです。

それほど繰り返して参加してくださるのはとても有り難いことであります。

これは毎回初めての方がいらっしゃいますので、同じような説明を毎回行っています。

そのそも布薩とはという話から始めています。

先日は、少し肌寒い日だったので、体操から始めました。

つま先立ちを繰り返してもらいました。

つま先立ちは体にいいものです。

ふくらはぎにもよい刺激が与えられます。

自然と背筋が伸びてきます。

手を後ろに組んでもらいましたので、肩や胸郭も開くようにしました。

つま先立ちになっては踵を下ろし、それを繰り返してもらって、その間に話をしました。

それから足踏みを行いました。

これも簡単ですが、体を調えるのにいいものです。

足を上げて足踏みしますが、足をあげたときに、もう一方の足は床をしっかり踏んでいます。

床を踏んでいる足に注意を向けて足踏みをしてもらいました。

足で踏むということを繰り返していると、自然と腰も立ってきます。

それから礼拝を繰り返しますので、腰も回してみました。

股関節のあたりを動かしながらゆるめてゆきます。

それから坐って足首まわし、そして足の指を一本一本回してゆきました。

布薩では二十七回の礼拝を繰り返します

足で立つことを繰り返します。

足で立つ、その一番の土台を支えるのが足の裏です。

足の指も大事なのです。

足の指も一本一本丁寧に回してゆきます。

それから両手の親指で、足の裏を押してゆきます。

足の指の付け根から土踏まずにかけて、そして土踏まずから踵にかけて押してゆきます。

いつも体をささえてくれる足の裏に感謝しながら押してゆきます。

それから、これからも頑張ってもらおうと、手で拳を作って足の裏ををトントン叩いてゆきました。

そんな準備体操をしてから布薩を始めました。

布薩は岩波書店の『仏教辞典』には、

「ウポーサタに相当する音写」だと書かれています、

もともとは「火もしくは神に近住する意」です。

「婆羅門教の新月祭と満月祭の前日に行われた儀式を仏教に取り入れたもの」ということです。

「発展段階に応じて内容や表現に相違が見られるに至った」のですが、

「半月に一度、定められた地域(結界)にいる比丘達が集まって、波羅提木叉を誦して自省する集会。」なのです。

更に「のち、月に6回、六斎日(ろくさいにち)に在家信者が寺院に集まって八斎戒を守り、説法を聞き、僧を供養する法会が盛んになり、これも<布薩>と称するようになった」と書かれています。

「月ごとの十五日、三十日に寺々に布薩をおこなふ。鑑真和尚の伝へ給へるなり」という用例が示されています。

波羅提木叉とは戒の条文のことです。

もともとは新月と満月の前日に行われていました。

六斎日というのは毎月の8・14・15・23・29・30日を言います。

その日に八斎戒を在家の方も守ったのでした。

八斎戒は、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の五戒に「装身具をつけず歌舞を見ないこと」、「高くて広いベッドに寝ないこと」、「昼をすぎて食事をしないこと」の三つを加えたものです。

在家の方も布薩の日にはお寺の参ってこの八斎戒を守ったのでした。

一般の方の布薩で行っているのは、まずみんなで般若心経を唱和します。

それから、

南無釈迦牟尼仏と唱えながら三回礼拝します。

南無観世音菩薩と唱えながら三回礼拝します。

南無三世三千諸仏と唱えながら三回礼拝します。

これで九回の礼拝となります。

そして懺悔文を一回唱えて礼拝し、三回繰り返します。

そして三帰依を三回繰り返します。九回の礼拝になります。

そして
三聚浄戒を唱えて、十善戒を唱えます。

十善戒は
第一不殺生
すべてのものを慈しみ、はぐくみ育て
第二不偸盗
人のものを奪わず、壊さず
第三不邪婬
すべての尊さを侵さず、男女の道を乱すことなく
第四不妄語
偽りを語らず、才知や徳を騙(たばか)ることなく
第五不綺語
誠無く言葉を飾り立てて、人に諂(へつら)い迷わさず
第六不悪口
人を見下し、驕(おご)りて悪口や陰口を言うことなく
第七不両舌
筋の通らぬことを言って親しき仲を乱さず
第八不慳貪
仏のみこころを忘れ、貪りの心にふけらず
第九不瞋恚
不都合なるをよく耐え忍び怒りを露わにせず
第十不邪見
すべては変化する理を知り心を正しく調えん

というものです。

そして「誓いの言葉」を唱えて三拝し、最後に四弘誓願を三回繰り返して三拝して終わります。、

終わると、今まで読んだ戒にもとる行いがなかったか反省し、これから戒にもとる行いがないように心に誓って三分黙想します。

それで終わるのです。

準備体操をしてから礼拝の仕方を教えました。

呼吸に合わせてゆっくり丁寧に礼拝します。

まず立って合掌し、息を吐きながら股関節から九十度曲げます。

そして息を吸いながら体を起こします。

それから息を吐きながら両膝を床に着きます。

この時に膝を痛めないように座布団の上に膝をつくようにします。

膝に不安のある方はまず手をついてから膝をつくようにします。

膝をついて、つま先を立てたままで、一息息を吸い込みます。

そして吐きながら両方の肘と額を床につけます。

そこで手のひらを上に向けて、息を吸いながら手のひらを耳の高さまで持ち上げます。

そのてのひらにお釈迦様のおみ足をいただくのです。

それから息を吐きながら、手のひらを床に伏せて、更に息を吐き尽くします。

吐き尽くしたら、吸いながら体を起こして、吐きながら立ち上がります。

これを繰り返すのです。

足で床を踏みしめて立つときに腰も自然と立ちます。

垂直方向の運動がなされます。

それから体を床につけて、水平方向にもなります。

水平方向と垂直方向と交互に繰り返しながら体が調ってゆきます。

それに呼吸を合わせて、両手を持ち上げる時には尊いお釈迦様のおみ足を恭しくていただく気持ちです。

毎回呼吸を言葉で伝えながら、ゆっくり丁寧に礼拝を繰り返します。

そうしますと自然と体が調ってくるのです。

修行道場で長年暮らしていて、とても違和感を持っていたのが礼拝を粗雑にすることでした。

修行道場では何でも早くすることをよしとしますので礼拝もバタバタと行うのです。

これでは尊いお釈迦様のおみ足をいただく敬虔な気持ちにはなれません。

これはなんとかならないかと思い続けていました。

師家として指導するようになってまず改めたのが、礼拝を丁寧にすることでした。

毎朝の朝課でも皆と一緒に丁寧に行うようにしています。

そうして礼拝を繰り返してとても体が調うのを感じました。

その前日のイス坐禅では二時間かけてあの手この手を使って体をほぐして調えたのですが、礼拝はただ単調な動きを繰り返すだけで同じように調ってゆくのです。

やはり古来の行法は素晴らしいものです。

そうして布薩をおこなってしみじみ感じたのは、布薩の礼拝で体が調い、呼吸に合わせて行いますので、呼吸も調い、お釈迦様のおみ足をいただく敬虔な気持ちになり、更に戒の条文も読んで心も調うです。

坐禅はこの体と呼吸と心を調えるものですから、布薩は実に坐禅になっているのです。

そんなことをしみじみ感じたのでした。

それからみんなで行うと一層深まります。

これがみなさん繰り返しお越しくださる理由なのだと感じました。

毎月の布薩もこれで定着してきたように思っています。

ご参加くださる方には感謝しています。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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