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第一話 16歳のとき

1979年生まれ。
サッカー好きであれば、その年で思いつくのは「黄金世代」というキーワードだろう。
2002年に行われたワールドカップ日韓大会では、この「黄金世代」が主力メンバーとなり初の決勝トーナメントに進出。
その「黄金世代」は「サッカー王国」=「静岡県」の出身者が多かった。
私もその「王国」育ちの「黄金世代」。中学は強豪校のサッカー部に所属していた。
「全国制覇」を目標にしていたその中学は、向かうところ敵なしのチームになっていった。
「マインドコントロールが重要だ」
とコーチはいつも言っていた。「絶対に勝てる」と自分を信じ込ませるのである。
1995年、中学卒業直後に、地下鉄サリン事件が起こる。その後、オウム真理教がその言葉を「洗脳」という意味で使っていたことが報道された。さすがに、そのサッカー部もその事件以降は使わなくなったと思う。
だがサッカーで使われていた当時から私はそれを「洗脳だよな」と、冷めた気持ちで聞いていた。
勝つことよりもファンタスティックなプレーができれば良いと思っていた私は、ダンスをするかのようにドリブルしようとして、その度に転倒した。
キラーパスのつもりで蹴ったボールは、コートの外に飛んでいった。
夢見た「キャプテン翼」の「ネオタイガーシュート」は、ゴールネットを揺らすことなく、特大ホームランとなって場外へ消えた。
単純に下手だったこともあった。だが、それ以上に「緊張」していたのだと思う。
「大石、まじめにやれ!」
とコーチの怒声が、ミスするたびに飛んできた。その度に、萎縮していた。
今思えば
「勝たなくていい。楽しんで面白いプレーをしろ」
と「洗脳」してくれていれば、ドリブルも、パスも、シュートも、自分なりにできていたのだと思う。
中学3年の全国大会では、(私以外は)チーム一丸となって突き進み「全国優勝」を果たした。当然、私は試合に出られず、興奮状態のベンチの空気にもなじめなかった。

そんなある日、父がたまたま星野道夫さんの写真集『風のような物語』を買ってきた。
父はカメラが好きで、よくカメラの専門誌を購入していたが、写真集を買ってきたのはそれが最初で最後だった。
そして、それは私にとっては衝撃的な一冊となった―—。

アラスカの原野の広がり。
広大な自然の中に住む人々。
氷河を抱いた山々。
空を舞うオーロラ。
それまでの自分の中にあった「自然」の概念を覆えさせられる光景の連続だった。
学校の野外教室で訪れた近郊の山とは別次元の迫力が、どのページにも溢れていた。
その雄大な景色の中を、ザックを背負い、カヤックを漕ぎ、星野道夫さんは、旅を続けていく。
写真が映し出す広大さと、行間からにじみ出てくる自由に驚いた。
こんな世界があったのか……。

「全国制覇」という一点に向かいがんじがらめの生活の中にあって、その本は過剰なほどのスケール感とエネルギーを持っていた。
自分もこんな世界を見てみたいと思った。
そのためには、まずこのサッカーの日々から抜け出すことだった。
中高一貫の私立だったが、そこから逃げるために私は他の高校を受験した。偏差値的に高い高校でなければ、受験は許されないような雰囲気があったから、進学校を選ぶことになってしまった。
受験した進学校には奇跡的に合格した。星野さんのように自然の中で自由な旅がしたくて、部活はそれに近い山岳部に入部した。 
大学入試を見据えて入学してくる学生たちの中で、アラスカの原野のことしか考えていない私は、明らかに浮いていたのだと思う。当然、試験の点数は、目も当てられないほどだった。
「まじめにやれ!」
みごとにコーチと同じ言葉を、先生に言われた。
だが、まじめにやっても、どの教科も一行たりとも理解できなかった。
「これじゃあ大学には行けないぞ」
そんなことばかりを先生たちは言っていた。
「君はこの分野の勉強が好きなんじゃないか?」「勉強をすればこんな体験ができるようになるぞ」そんな言葉をかけてくれる先生は、ただのひとりもいなかった。

そんな時、ふらりと寄った書店に星野道夫さんの『旅をする木』が置かれていた。
深い青とコバルトブルーの表紙に、白色でカリブーがデザインされていた。
反射的に手を伸ばす。レジに向かい、なけなしの金を払う。
その本は発売されたばかりだった。一枚も写真が使われていない文章だけのハードカバー。
だが写真集『風のような物語』と同じように、アラスカの「別世界」がそこにあった。
そこには、星野さんが高校の時にアメリカ本土をヒッチハイクで旅をしたことが書かれれた「16歳の時」という章もあった。
星野さんは、アルバイトでお金を貯め、アメリカまで船で渡り、ひと夏をヒッチハイクで様々な州を回っていた。
16歳の時にだ。
その行動力に羨望した。

机に向かわなくはいけない高校時代にあって、星野さんはすでに広い世界を自分の体で受け止めていた。
私には、一人で海外に旅にいくという困難さも、方法論もまるでわからんかった。ただ、ひたすら「ここではないどこかへ」という気持ちが、ふつふつとあふれ出して止まらなかった。
教室や家で、勉強をするふりを続けながら、私は星野さんの本を読み続けていた。
そこに描かれた、壮大な光景や、野生動物の命の煌めきが、こうやって机に向かっている今この瞬間も、確実に、同じときに、存在している。
「大学進学こそが全て」そう言っているかのような学校のなかにいる中で、『旅をする木』は、私の気持ちをホッとさせてくれた。 
そして、「16歳のとき」にどこかへ旅をするべきだと、強く訴えかけてきた。
                  (つづく)


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