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ミロ展ー日本を夢みて

Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「ミロ展ー日本を夢見て」を見てきた。2022年2月11日~4月17日、会期中すべての土日祝及び4月11日~17日は入場日時予約必須。今日(4月7日)は適用外だったので、誰でもすぐ入れた。そんなに大きな混雑はなし。


初めてミロを見た頃はホアン・ミロ、という表記をされていたが、それはスペイン風(カスティーリャ語、フランコ体制下でカタルーニャ語は禁じられていたため)の発音なので、近年はジョアン・ミロと表記されることが多かったが、更に原語に使い発音と言うことで、今回はジュアン・ミロという表記を使用。

1981年に富山県立近代美術館が開館し、20世紀絵画の充実したコレクションを展示するようになったのだが、特にシュルレアリスム絵画のコレクションが多く、わたしがミロの作品を初めてみたのは富山県立近代美術館でだった(近代美術館は2016年末に閉館し、コレクションは富山県美術館に引き継がれた)。シュルレアリスム詩人瀧口修造との交流なども含め、多面的なミロ作品のコレクションを、高校生の頃見られたのは大きな幸せだった。

今回のミロ展にも、富山県美術館から「絵画(パイプを吸う男)」や、瀧口修造とのコラボレーションなど、多くの作品が来ていて、懐かしい気持ちで眺めた。富山県美術館のみならず、国内に多くの収蔵作品があり、展示作品の半分以上は国内のコレクションだった。ミロ自身も日本が好きで、生前2回来日しているが、日本人もミロが好きだったことがよくわかる展覧会だった。

ポスターにも用いられた「アンリク・クリストフル・リカルの肖像」、本物は服とか肌とかの多色遣いがすごく魅力的なのだがこのサイズだとわからない。

展覧会冒頭の「アンリク・クリストフル・リカルの肖像」(ニューヨークMOMAの収蔵品)という、ミロが一緒にアトリエを構えていた友人の画家の肖像画は、背景に浮世絵が描かれていて、1910年代のバルセロナにもジャポニズムのブームは来ていたのか、と感じ入る。描きこまれていたのは、ちりめん絵、と呼ばれる、輸出用の安価な版画だったが、該当のちりめん絵も展示されていて、絵画の中に忠実に再現されていることにも驚く。
具体的に日本をモチーフにしている作品はこれ1点だけだったが、ミロの画歴の中で、水墨画とか、書道などの影響を受けている気配を、学芸員が丁寧に掬い上げていることがよくわかる展示だった。名画展等で展示されるミロの代表的イメージの作品(黒と三原色の太い線で何か不思議なものが描かれている、みたいなイメージ)は少ない感じがしたが、ミロの色々な画風の変遷をしっかり説明してあり、陶芸作品、彫刻作品なども見られ、1966年の初来日の際のスケジュールとか写真アルバムとか、「祝毎日」って漢字で書かれた外国人の書いた習字、みたいな絵とか(毎日新聞社所蔵)、マキモノという、横長の紙にずっとモチーフが続いている版画とか、大阪万博のガス館に陶板の大きなパネルが展示され、来日してそれを見た際に、通路のスロープに絵を描くと言い出して、大きな筆などで製作している映像とか、なんだか盛り沢山。福袋のような展覧会だった。バルセロナのミロのスタジオの大きな写真パネルの前に、ミロの蔵書である日本の画集などが並べられていたり、こけしなどの民芸品のコレクションが展示されていたり、民藝活動との接点などにも触れられていた。
ミロは、作品名にこだわりがなかったのか、「絵画」とか「無題」とかの作品名が多く、あとから展示品リストを見てもイメージが湧きにくいのがちょっと残念。だからこそ、ちょっと不思議なタイトルの絵はすごく印象に残る。「絵画=詩(おお!あの人やっちゃったのね)」とか、草月会所蔵で、ミロが勅使河原蒼風に捧げた「すると鳥は、ルビーが降り注いで茜色に染まったピラミッドの方へ飛び立つ」とか。

これまでミロの作品は随分見てきた気がしていたが、生涯を展望するように鑑賞したのは初めてだったかも。いつかバルセロナを再訪する機会があったら、ミロ美術館も行きたい。

バルセロナのミロ美術館(時間がなくて入れなかった、痛恨)
屋外の彫刻作品だけ眺めた
バルセロナ、ランブラス通り、ミロのモザイクの石畳。

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