真藤順丈『宝島』(講談社)
第160回直木賞を受賞した真藤順丈『宝島』を読んだ。
わたしは沖縄に行ったことがない。沖縄という場所はわたしの中では観念の中にある島だ。1972年の沖縄返還は、幼少時の自分の記憶の片鱗に残っている。右側通行だった車が、一夜にして左側通行に変更した場所。沖縄激戦、ひめゆりの塔、本の中、教科書の中で読んで、その悲惨さに息をのむが、自分からは遠いところにある島。沖縄を舞台にした本だと、最初に印象に残ったのが灰谷健次郎『太陽の子(てだのふあ)』か。歴史の教科書の中では知ることのなかった沖縄の姿。倉本聰『君は海を見たか』(1982年のショーケン主演のドラマは殆ど見なかったが、原作脚本を読んでラストで号泣)、池上永一『テンペスト』、奥田英朗『サウスバウンド』、有川浩『アンマーとぼくら』、どの本も、沖縄の違った顔を見せてくれた。また、宇田智子『本屋になりたい: この島の本を売る』(ちくまプリマー新書)を読んで、地縁のない場所に行ってでも、古本屋を立ち上げ、沖縄について考えることのできる人がいる、というのにも驚かされた。桐野夏生『メタボラ』もまた、沖縄の、別の顔。
見たことのない島の様々な顔。そんな中で読んだ『宝島』もまた、沖縄の新しい顔をわたしに見せてくれた。この本は、不思議なくらい、沖縄の風景そのものは見せてくれない。それはもうベースにあって、今更描くものではなく、その上にてんこ盛りになった人間関係だけで、ひたすらひたすら単行本541ページ分、グスクとヤマコとレイ、そしてウタの物語が続く。テーマはひたすらに伝説の戦果アギヤー、オンちゃんを探すことで、読み終わって思うのはこれって一種の聖杯伝説?、ってことである。
聖杯は見つかったと言えるのか、言えるのかな。登場人物たちは救われたって言えるのかな。その過程はあまりに長く(物語は終戦直後に始まり、沖縄返還を過ぎるまで続く)、登場人物たちの戦中の悲惨な体験なども織り交ぜられ、沖縄のむしむしとした気候が行間にまでゆきわたり、読者はゆっくりと沖縄の戦後を進む。進駐軍の支配を受けながら、その脇には大きな無法空間がある、そんな場所。米軍基地の圧倒的な存在感とそれに対する反感。社会党や共産党が一定の議席をかちえ続けている風土の背景も見える。
登場人物たちの戦いは今も終わっていない。沖縄返還からもうすぐ半世紀になるというのに、色々なことが、あまりに変わっていないように思われる。何も知らないヤマトンチュが、外から勝手なことほざいていていいのかよ、という自嘲も込めながら、沖縄の海の青さを思う。直木賞の選考委員会では、満場一致でこの作品の受賞を決めた、ということだが、作者の真意(というものがあるのなら)は、どういう風に読者に届くのだろう。読み進めていて、すごく難しい小説だな、と思ったのだけれど。
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